姉弟
ヒロとグラデスの婚姻の日、死の淵から生還したミルフォスの国王は、エプリトにいる長女マリカルが嫁入り道具で自害したことを早馬で知らされた。
姉妹に毒物の教育を施し、何かあった際、対処するために嫁入り道具に持たせた毒物。
しかしそれはまさに諸刃の剣である。
エプリトとの盟約を解消し、パシャレモと姻戚関係を結ぶという自分の決断が、最終的にマリカルを死に追いやったことを後悔して国王は後を追うように亡くなってしまった。
最大の誤算はマリカルがアーロンに特別な思いを抱いていたことだった。
国王の崩御により、即位したグラデスの弟はまだ十歳にもならない。
くるくるした赤毛で、実際の年齢よりもいっそう幼く見える。
ぎこちなく王座に座ったまま、「遠いところご苦労であった、面を上げよ」と透き通るような声で跪くヒロに向かって言った。
しかしすぐその後、
「お姉様、いかがでしょうか? 練習通りでしたか?」
横で立っているグラデスの方を向いて、子どもらしく出来栄えを確認している。
そんな二人を見ていたヒロは、幼い頃のジェシーアンとジオの思い出を重ねた。
「ええ、特訓の成果が出ていましたよ。後は私がお話をしますから、陛下は食堂に行って御菓子を貰ってくださいね」
グラデスがそう言うと、嬉しそうに椅子からぴょんと飛び降り、控えていた女官に伴われて部屋を出て行った。
婚姻、そして婚姻解消。王の崩御。弟の即位。
自らの環境が目まぐるしく変わり、さすがのグラデスも疲労困憊して顔色が悪い。
「御父上と姉君のこと、心よりお悔やみ申し上げます。その何というか、血判状の効力はなくなったけど、数時間だけ結婚していた訳だし、属国だったことは事実だし。グラデス殿も大変だと思うから、協力は惜しまないつもりだよ」
ヒロがそう言うと、グラデスは少し安心したような安堵の表情を浮かべた。
あの晩のように、罵るのではなく、穏やかな表情のグラデス。
それから彼女は窓辺へと向かい、美しい外の景色を眺めている。
城下や城に張り巡らされた水路には、大河から引き入れた水が流れている。キラキラと水が太陽に反射していることから、別名、水鏡の都とも呼ばれているのである。
「私の姉マリカルが自害し、息子であるフリンだけはこの城に戻ってきました。可哀想にマリカルのことはまだ知らないですが、私のことは顔も似ているせいか、母のように慕ってくれています。父である国王は最後まで二十年前の事を心苦しく思っていました。だから血判状の存在を誰にも明かさなかった。当然だと思います。陥落させたにもかかわらず、統治すらできていなかったのですから。それなのに、即位した弟はまだ幼く、あなたに援助を申し出るなんてこんな都合の良い話はないですね。でもこうするより他に方法が見つからなくて。あなたは東側で誰よりも豪族や部族との繋がりが深い」
ヒロはどう言葉をかけたらよいのかわからない。
あのまま婚姻していたら、グラデスの立場ももう少し違ったものになっていたかもしれないと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
命の危機を顧みず敵国に乗り込んできたのに、婚姻した途端、別の人を愛しているなどと、失礼な物言いをしまったのだ。
「さっき、君たちを見ていた時、昔一緒に暮らした姉弟のことがふと頭に浮かんだんだ。弟は体が弱く、姉がいつも側で支えていた。憎しみとか、敵国とか、そういうものとは無縁で、君たちが幸せに暮らしてくれるなら俺はそれで満足だよ。それに婚姻当日にもかかわらず、愛している人が他にいるなんて、あんな酷い事を言ってしまってずっと謝りたかったんだ。君だって相当な決意を持って来ていたと思うのに。こういう所、直せっていつも言われているんだけど」
ヒロが本当に申し訳なさそうな顔をして詫びを入れると、グラデスはふっと少しだけ口角を上げて微笑んだ。
「私だって心の中では、他の女性を愛している人なんて、こっちから願い下げよ、って思ったわ。しかも貴方、あれほど酔っ払って!! 本当に酷い話よね。でも私も失礼なことを言ったり、はしたなく無理矢理迫ったりしたことは謝らないと。今になって考えれば、もう少しお互いを知ってからでも良かったわ。ところで、貴方が心から愛する人って誰ですか? それほど夢中にさせる御令嬢なんて。ぜひ今後の参考に伺いたいわ」




