本当の気持ち
「失礼にも程がありますわ。あちらは敗戦国であり、我がミルフォスの属国に過ぎないのに偉そうに。でも今回のことでよーく、よーくわかりました」
お喋りな侍女は、湯殿に入るグラデスの身体をごしごし念入りに泡で綺麗にしている。
「何がわかったの?」
「我々は所詮、敵国人の扱いだということですよ。あの王太子だって、ぼーーっつとして、結局、式を途中で放棄したのですよ」
グラデスは湯殿につかりながら、ベール越しに垣間見えた夫の顔を思い浮かべていた。
政略結婚で結ばれる相手なんてどうせろくなものではないと、正直期待してはいなかった。
しかし、王太子は背が高くて、思っていたよりも綺麗な顔に聞いていた通りの吸い込まれそうな碧眼。
あまり悪くはなかったわね。
思い描いていたよりも素敵な人だった。
それがグラデスのヒロに対する率直な感想だった。
「よろしいですか、グラデス様。こうなったら一日も早く、御世継を生んで、グラデス様の地位を不動のものとするのです。もはやこれしか策はありません。我らは敵国の真っ只中にいることをお忘れなく。それが正室に一番求められるお務めです」
侍女の言葉を聞いて、グラデスは現実に直面することになった。
女性を城で囲っていようが、ぼーーっつとして涙を流し、式を放棄するような夫であろうが、明日をも知れぬ命の国王や、幼い弟のため。
何を差し置いても、政権すら維持できない祖国のため、東側で抜きん出た存在である王太子の妻となり権威を誇示する。
それがこの政略結婚の本来の目的なのだ。
グラデスは四年前、失意の内にエプリト領に嫁いだマリカルのことを思いながら、「しつこく言わなくてもわかっているわよ、そんなことぐらい……」と囁くよう言い、初夜用の寝間着に着替えさせられていた。
(鳥も哀れな……)
(戦っている姿が美しいんだ)
ヒロは初めてシキに会った時の事を思い出していた。
着物の袖で顔を隠して木の上から見下ろしていた美しい少女。
月日は流れ、鏡の中に吸い込まれるように二人で落ちた時のこと。
更に、婚姻適齢期になりカージャにお許しを得て、求婚しようとしたのに、そのまま川に落ちて、彼女に助けられ、神気を与えられた日のこと。
いつか迎えに行くって約束したのに、結局は叶えられなかった後悔。
そしてようやく気づいたのは、彼女を心の底から愛していたということだった。
どうしてあの力で引き合っているのを、恋じゃないと思ったりしたのだろう。
彼女に抱いていた気持ちは明らかに恋心で、思い出とともに育まれて、いつの間にか愛情へと変化していったのに。
数時間前、指輪交換するのを精神が頑なに拒み、ようやく自分の本当の気持ちに気付くなんて。
それが証拠にほら、
胸の奥にある白い輝きは、さらに輝きを増しているもの。
“ねえ、君はあの鏡の中で過ごした時のことずっと覚えていただろうか?“
今になって思えば、二人きりで過ごしたあの満ち足りた時間が、一番幸せだったのかもしれない。
二人とも背負うものが何もなく、ただ純粋に愛を囁いていればよかったのだから。
あの時は夢にも思ってもいなかったんだ。
まさか、まさかこんな事になるなんて……………
愛していることにようやく気付いたのに、別の女性と婚姻してしまったなんて。
そして紺色の寝間着に着替えさせられ、新婦が寝室に入ってくるのを待っている。
シキと結婚して、ダリルモアとセラのような普通の夫婦になりたかった。
それすら叶わないことがとてもとても哀しいんだ
いよいよ夜も更け、気を紛らすため酒をひたすらがぶ飲みした後、ベッドの上でヒロは両手で頭を抱え込むようにしていた。
ガチャ。
やがてグラデスが寝室に入ってくる。
彼女は昼の結い上げた髪の毛を解き、元の長さの状態に下して、ごてごてした大きめフリルがあしらわれ、思いっきり肩が開いている寝間着を着ていた。
ヒロは、
「君はこんなのおかしいと思わないの? お互い初めて会ったその日に夫婦になるなんて……」
と言って、目のやり場に困りながら口元を手で覆っている。
「私の姉、マリカルは人質としてエプリト領に嫁ぎ、その日のうちに領主の妻になったわよ。国や私たちを背負ってね。私だって同じだわ、何も違わない」
グラデスはヒロに元に辿り着き、冷たく見下ろした。




