降嫁
「もしもその話が本当なら、将来貴方の夫となる殿方は、さぞや嫉妬に狂うでしょうね………」
「奥方!? それはどういう意味?」
「マリカルと言います。私の名前。いまにわかりますよ、貴方も婚姻すれば。それに貴方の国がいかに世間一般とかけ離れているかってことも。さあ、お喋りはこれくらいにして、着替えさせてくださいまし」
マリカルはそう言ってから手際よくシキの衣服を脱がせている。彼女のガサガサに荒れた手指がシキの白い皮膚に触れると、苦労が滲み出ているような気がし、そしてやはり自分は世間一般とは感覚がずれているのかと、シキは気持ちが沈んでしまった。
「奥方は、見たところ私と同じ年位かしら?」
場の雰囲気に耐えきれずシキが話しかけたところ、「今年で二十歳になります」と素っ気ない声が返ってきた。
「私より二つ年上。二人には御子がいると伺ったけれど」
「今年で三歳になるフリンという息子がおります。私がここに送り込まれたのは、十六歳の時でしたから」
マリカルは次に、胸が開いたワンピース型の寝間着を着せようとしている。
「送り込まれた?」
シキは寝間着の袖に手を通しながら思わず声を出した。
「ええ。………私の故郷はここから遥か北の地にあるミルフォスという小国です。私には元々嫁ぐ相手が生まれた時から決められていたのですが、その方がずっと行方不明とかで。結局、十六歳を迎えたのと同時に、父である国王の命により領主に引き渡されました。父が勝手に決めた契約です」
シキは黙ってマリカルの話を聞いていた。
彼女はシキの着替えが終わると、そのままベッドの方へ行き、シーツを手で伸ばして、最後に枕をポンポンと叩いている。
「私がここにいる限り、何かあればミルフォスを守れという契約です。その逆があるのかはわかりませんが。つまり私はその契約のために祖国を背負い、降嫁してこの領地に引き渡されました。私は体よく売られたのです」
降嫁とは、王女が王族以外の男性と婚姻することである。
マリカルが王女という身分に生まれながら、現在は領主の妻として、こうしてシキの世話をしていることも、アーロンのことをどこか見下すような態度を取るのも、こうした背景があったからなのだろう。
マリカルにかける言葉が見つからずにいると、
「同情は必要ございません。女がこの乱世を生き抜くためには致し方ないこと。ましてや我が祖国ミルフォスには、病気がちな父である国王と妹弟がいるだけです。結局、この地で生きていくしかないのです」
リヴァから手渡された香油を手に取り、マリカルはシキをじっと見つめてこう告げた。
「でもあなたは私とは違う。自分の意志で決定し、行動することができる。それがどんなに尊いことかわかりますか?」
そしてシキの首を両手で挟み、香油をゆっくり塗っていく。
かすかに震える手で、首を絞めてしまうまではいかないくらいのやや強い力でぐいぐいと。
シキはそのマリカルの目の奥に込められたものを感じずにはいられない。自分の運命を受けいれるしかなかったマリカルの哀愁漂い、且つ怒りに満ちた目であった。
「つまらない話で、貴方のお耳を汚してしまいましたね」
そういってマリカルは最後にカーテンを閉めようと窓辺に向かう。
「カーテンは閉めなくてもいいわ。夜空が綺麗ですもの。今日はいろいろ聞かせてくれてありがとう。また明日もお願いしますね」
シキはそう言ってマリカルに柔らかく微笑んでいる。
窓辺から差し込む月の光を浴び一層、美しく輝くシキの姿を見ていると、アーロンが御執心なのもわかる気がする。
マリカルはそう思い、シキに深々と頭を下げてから客間をあとにした。
(夜空が綺麗ですもの)
マリカルは廊下を歩きながらふと窓の外を見ると、シキが言ったように明るい星が輝いている。
嫁いできてから四年間、見上げる夜空はいつも灰色にしか見えなかった。
今日に限って明るく見えるのは、故郷の話をしたからだろうか?
それとも、あのお姫様と同い年の妹のことを思い出したからだろうか?
祖国に置いてきた妹や弟だけは、肩身の狭い思いをさせるわけにはいかない。
マリカルは窓から、祖国がある北の星空を眺めてから、足早に宴が行われていた部屋へ片付けに向かった。




