神が出るか邪が出るか
大陸の最北端にある寂れた集落の古ぼけた小さな家屋。
ペンダリオンと部下のロイは家屋全体が斜めに傾き、扉が開閉しにくい家の中から大慌てで飛び出してきた。
「間一髪でしたね。死ぬ間際に呟いた言葉を危うく聞き逃すところでした」
ロイは口のあたりを覆っていた布を手で剥ぎ取ると、すぐにポケットに突っ込み、大事そうに脇に抱えている紙の束を再度確認し、すぐ肩からかけている鞄に仕舞い込んだ。
「ああ、病気なのか、寿命なのか、もう虫の息だったからな。でも最後の最後に、貴重な証言が得られた。後継者もいないようだから、運が良かったと言うべきなのか。聞き取った内容はしっかりと書き写したか?」
「ええ、確かに。過去の書類も含めると相当な枚数蓄積されましたが、こうしてセプタ人の末裔たちの証言を書き写し、一体何に使うのですか?」
ペンダリオンは冷えた身体を温めるため、懐から酒の入った携帯用の小型水筒を取り出し、一口飲んでから、ロイにもどうだと勧める仕草をした。
そして、「これはあくまで仮説だが、彼等の祖先というのは書記官だったのではなかろうか」と言って口を手の甲で拭っている。
「書記官ですか? 何を記録していたのですか?」
ロイは勧められるままにぐいと酒を飲み、水筒をペンダリオンに返した。
「デルタトロス創世期について記した歴史書。恐らく全て絶滅危惧言語のセプタ語で書かれていただろう」
「歴史書!! そのようなものがこの世に存在していたのですか? も、もしかしたら、先程の証言は、………見つかればすごい大発見じゃないですか! そうか、これまでの証言もセプタ語についてのものも有りましたね。あとは神話めいたものとか」
思わず声を上げたロイは、肩からかけている鞄に入っている書類が極めて重要な役割を果たすものだと知り、改めてグッと鞄を抱え直した。
「ああ、この大陸の成り立ちを記した最古の書物とされる。今では記録された内容が散り散りになってしまい末裔のみが知る伝え話だ。でもこの荒れ果てた北の地に足を運んだかいがあった。死ぬ間際に呟いた言葉から推測すると、歴史書が現存しているかもしれないのだから。発見できれば過去に聞き取った証言を基に謎を解明出来る可能性がある」
「コドモタチの謎かぁ。だから珍しく北まで足を運んだのですね。いつもは一門の者に指示を与えるばかりであまり来たがらなかったのに」
ロイはちらっと酒を飲んでいるペンダリオンの方と横目で見た。
それは感情の読めない彼の根底にあるものが何なのか、垣間見ることができるかもしれないという期待感からであった。
「あまり良い思い出がないのだ、北にはね。寒いし」
ペンダリオンは寒そうに外套の中で、小さくなりながら頭に巻いている頭巾を目深に被りなおす。
「昔、住んでいた事があるのですか?」
間髪を入れずにロイが質問すると、
「……さあ? でも名物料理には詳しいぞ。この辺りの御馳走は北すもものジャムと呼ばれる甘酸っぱい調味料を肉にかけるのだ。でも高級品だから貴族以外は滅多に手に入らない。仕方なく庶民は古くなった林檎をジャムにして代用するのさ」
はぐらかそうとしているようたが、その割に丁寧な説明付きで答えが返ってきた。
「それは気になりますね。一度は食べてみたいな」
「ロイはどこの出身だったかな?」
「私は南西に位置する海が見える小さな村です。ジャムなんて使ったこともない」
「そうか。ではせっかく北まで足を運んだのだ、大国カルオロンにでも立ち寄って、豪勢に北すももの肉料理でも食べようではないか。バミルゴ近郊の魚介料理は食べ飽きただろう」
「ええ。サーミットのバミルゴへの襲撃を静観している間、ずっと魚ばかりでした。まあ故郷を思い出しますから私は構いません。それより襲撃は失敗に終わり、アルギナは討ち取られ私の恨みは晴らしましたが、あなたの復讐は終わっていませんものね。どちらかというとあなたの方がうさばらしに、ぱあと豪勢にやりたい気分なのではないですか?」
ロイは優しい眼差しをして、たまにこうして無自覚で残酷なことを言う。
たとえそれが雇い主に対してであっても気にせずに。
さらに付け加えれば、お腹を満たせば正直何でもいいロイは、食にあまり興味がない。
しかし幻の味と聞けば話は変わってくる。当然ながら一生に一度は口にしてみたいと思うのだ。
ロイは急いで、白い息を吐き木に繋がれている馬たちをこちらに連れてきた。
そして一頭の手綱をペンダリオン渡した。
「ふん。何とでも言え。次こそは逃がさないさ。ほとぼりが冷めたら、あいつだけは一番惨たらしい方法であの世に送ってやる」
負けを認めたくないと言わんばかりに勝気なところをみせ、ペンダリオンはひょいと馬に跨った。
「コドモタチたちの謎が解けたら、未来はどうなってしまうのでしょう?」
同じように馬に跨り手綱を握り締めて、思い詰めたような口調でロイが言った。
「さあな。希望か絶望か、神が出るか邪が出るか、誰にもわからんさ。だからこの世は予測不可能で愉快なのだ」
含みのある笑みを浮かべ、ペンダリオンは風に飛ばされないよう、頭巾の位置を再度確認してから「はいやあっ!」と言って馬腹を蹴りカルオロン方面へと馬を走らせた。




