名君
シュウが戴冠式を終えて三年後、ユイナたちがダズリンドから持ち帰った織物の技術は、カルオロンを支える産業の一つになっていた。
大陸全土から次々と注文が舞い込み、国中に織物工房が建設され、国は活気づき豊かな暮らしを求めて大陸中から人が集まってきた。
「高度な産業と安定した経済活動。恐怖で支配する世の中ではなく、新しい皇帝陛下は優れた名君となる素質がある」と赤の皇帝と呼ばれるシュウを賞賛する声が挙がったという。
父親譲りの冴え渡る頭脳。おみくじ事業で培った経営手腕。
今やあのヒュウシャーを超えるとも称されるシュウは、そんな周囲の声には耳を貸さずに淡々と執務をこなす日々が続いていた。
「――いい加減、すこし休んだらどうシュウ? 根をつめて仕事しすぎよ」
「喧しいな。専属護衛なら、少しはカルオロンの軍の様子でも見てくればいいだろう? お前の指導を仰ぎたい兵士は多い」
ジェシーアンの身体を動かしたいという衝動に駆られる性分は、昔と変わらない。
しかし依然と違い畑仕事に精を出すことも、ここカルオロンでは滅多になくなる。
彼女と手合せを願うものが後を絶たなかったため、特に体の動きが鈍りそうになると、ひと声掛ければ大勢の兵士たちがその相手となったからである。
こうして、かつて大陸最強と恐れられたカルオロン軍は、着々とその兵力を増強していた。
兵士たちと手合わせするため、執務室から飛び出していったジェシーアンの軽やかな足音を聴き、ユイナは執務室内の長椅子に座り、桃入りのパイとお茶を飲んでいた。
幼い頃牢獄内で「だったらここが皇帝の執務室だと想像してみたら」と言っていた兄が、今ようやくこうして政務を執り行っていることを誇らしく思う反面、毎日が綱渡りのような心休まらない生活を送っていた。
それは、いつ記憶が呼び覚まされるとも知れないジェシーアンを傍に置いていることや、目に刻まれた契約のことをスピガがシュウに告発するかわからないからだ。
もはや、ユイナはその精神的ストレスから依存症となり、常に眼帯をしていないと落ち着かなくなっていた。
「脳筋女……」
「ちょっと、本気で言っているの?」
「何が?」
「彼女を護衛から外して、軍に入隊させるって。それも白の兵士からではなく、いきなり赤の将校から」
「ああ、本気だよ。もはや向かうところ敵なしで、赤の将校ですら山猿に教えを乞うほどなのだから、誰も文句は言わないだろう?」
「本当にそれだけ?」
ユイナの並外れた鋭い感受性は、シュウでさえ舌を巻くほどである。
結局、手を止めて立ち上がると、執務室の窓際から外でジェシーアンが手合わせしている風景を見ながら、ユイナに計画を打ち明けた。
「軍事費も確保できたから、そろそろ次の段階に移行し、近隣諸国を手に入れていく。いずれ山猿は将軍の座に就かせるつもりだ」
「それは戦をするということ? しかも将軍って、兄様、気は確かなの? 彼女は女性よ!?」
「それが何だ? 我がカルオロン軍は父の時代より実力主義。能力さえあれば、身分関係なくのし上れる。それが女であってもだ」
「まさか……それって、運命を共にする契約。前に言っていた時期がきたら軛をかけるってそのことだったの? かつて軍事大国だったこの国で将軍がどんな地位にいるかよく知っているでしょう? もう女性としての幸せを掴むことさえ許されないのよ!」
それは将軍が皇帝に次ぐ官職で、城に部屋を与えられ常に皇帝と行動を共にすることだった。
同時に、女性としての権利一切合切を手放すこととなる。
シュウが仮に后を迎えたとしても、何ら変わることはない。
そして、皇帝が崩御した際に自らの役目を終え、命と引き換えの名誉を手にするのだ。




