表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/35

【第28話】半額の恋



***



 午後八時になっても、レジの列は混んでいた。やや急いでいるであろう客が、舌打ちをしている。

 佳織はあくせくとレジスターと、押し寄せる客に立ち向かっていた。佳織が初めて店頭に出る日は、運悪く特売日で、大量に買い込む客が目立つ。狙ったように佳織の元にばかり、買い物カゴを二台とも満杯にした客が来るので、佳織は心底疲れていた。後ろについてくれる指導係の、森岡の態度もどこか刺々しい。

 

「お会計、五八六〇円になります」


「おい、このもやし半額やろ。ここにシールがついとんで。なんで値引かれてへんの」


「申し訳ありません。訂正させていただきます」


 とは言ったものの、佳織はまだレジスターの扱い方に慣れていない。取り消しボタンを探すのにあたふたし、その間にも会計の列は伸びていく。

 森岡が心配そうに見つめている。


「自分なにしとんねん。こっちは急いでんねんから早よせぇや」


「すいません、もう少々お待ちください」


「もうええわ、他の人も迷惑しとるし。後ろの人に代われや」


 そう言われると、頭を下げて森岡と代わることしか、佳織にはできなくなる。「お客様、申し訳ございませんでした」と森岡は、佳織が二分かけてもできなかった動作を、ものの五秒で終わらせた。

 レジを去る客の「ったく、何しとんねん」という何気ない呟きが、佳織にはひりつくように耳に張り付いた。


 森岡に促されて、佳織はレジに戻る。今度はちゃんとしてよね、という釘付きだ。


「い、いらっしゃいませ……」


 佳織の声は、小さくなる。次にやってきた客は男性で、佳織と同年代のように思えた。買い物かごの中には、パックされたコロッケが二つと、野菜サラダが一つ。全てに黄色い半額のシールが貼られている。佳織は慎重にそれらをレジに通す。

 男性の顔は怖くて見ることができない。


「大変やな」


 声が聞こえて、会計の途中だというのに、佳織は顔を上げた。目の前の男性はスーツ姿。眉が上がっていて、地味ではあるが、整っている部類に入るだろう。

 佳織は一瞬、思わず手を止めてしまった。だが、すぐに我に返り、レジを打つ。


「お会計、二五六円になります」


 男性は一〇五六円を差し出す。そのままレジスターに入れようとする佳織。だが、森岡からの視線が刺さる。


「あの、ポイントカードはお持ちでしょうか」


 順番が前後した質問。本当なら会計の前に言うべき案内だ。かえって時間をロスしてしまう。だが、男性はこの世の真理に気づいたようにハッとし、財布からポイントカードを出して、佳織に直接手渡した。柔らかな微笑みつきだ。

 処理を済ませて、男性にポイントカードを返す佳織の手は、少し震えていた。




 その後も週二回ほどの頻度で男性はスーパーマーケットにやってきた。半額の惣菜と野菜サラダを買うのが、お決まりのパターンだった。そして、よく佳織のいるレジに並んだ。ポイントカードは、佳織に言われる前に出した。

 佳織の中で、その男性は半額シールの人という認識になっていた。きっと、食費を切り詰めなければならないほどの、経済状況なのだろう。そのくらいの推察は、フリーター二年目の佳織にはわけもなかった。


 その日は、梅雨真っただ中の雨空だった。佳織は午後十時にアルバイトを上がり、最寄り駅に向かっていた。傘を差しても地面からの跳ね返りで、足元がずぶ濡れになるほどの強い雨だった。

 駅に着いて、屋根の下で列車を待っていると、傘もささずに濡れ放題の男性が、ホームに飛び込んできた。中肉中背の平凡なスーツ姿。左手には、レジ袋を持っている。半額シールの人だと、佳織は直感した。

 屋根に守られてほっとしている姿は、母親を見つけた子供のように思えた。


 列車の中でも、少し色あせた座席に座ることなく、男性は吊革を手にして立っていた。ずぶ濡れの自分が座って、席を濡らしたくないという配慮だろうか。

 気がつくと佳織は、その男性のことばかり見ていた。くしゃみをした時には心配したし、震えが収まっていく様子には安心した。車窓から見える外の景色は雨一色だったが、佳織の視界は実に色彩が豊かだった。




 一〇分ほど列車は路面を走っていき、佳織の部屋の最寄り駅である、住吉駅に到着した。駅と言えば聞こえはいいが、実際には道路の真ん中にポツンと浮かぶ、バス停みたいなものだ。それでも、佳織は正面には住吉大社が見える駅の風景が嫌いではなかった。

 列車を降りてすぐ傘をさす。雨は先刻よりも激しさを増している。

 男性は列車を降りるやいなや、猛スピードで走っていった。革靴が水たまりを踏みしめる音。


 男性は駅近くにある駅舎に入っていった。こちらも駅舎というよりも、実際は屋根のある休憩場に近い。塗装もところどころ剥げていて正直、古い。

 そんな駅舎に男性は飛び込み、手で髪についた雨粒を払いのけていた。そのまま帰ってもよかった。なのに、そのとき佳織は、ほんの気まぐれを起こしてしまった。駅舎に向かって歩いていく。

 男性は遠く空を眺めていた。雨が止んでくれないかと祈るように。佳織は駅舎の中に入って、男性の横に並んだ。

 話しかけるのに、勇気はさほどいらなかった。


「大丈夫ですか、傘がないみたいですけど」


「それなら大丈夫です。この調子やともうすぐ雨も止む思いますし」


 雨は激しさを増す一方だというのに、何を根拠に言っているのだろう。佳織は少し笑ってしまう。


「すいません、何かけったいなこと言いましたか」


「いや、おもろいこと言うな思て。あの、間違いじゃなければ、堀江のスーパーによう来てません?いつも半額のお惣菜と野菜サラダを買っていっとる」


 そこまで言って、男性は話しかけてきた女性が誰か、察したようだった。表情が一気に明るくなる。


「いつも火曜と金曜にレジに入っとる店員さんですか。確か名前は、門司さんいいましたよね」


「はい。降りる駅が一緒なんて奇遇ですね。こっちの方に住んどるんですか?」


東粉浜(ひがしこはま)の三丁目の方です」


「私は長峡町(ながおちょう)の方です。やっぱけっこう近いですね」

 

「こっちの方には昔から住んどるんですか?」


「生まれたときからです」


「そですか。俺最近、この辺に引っ越してきたばっかで。まだまだ慣れないことも多いです」


「まあそのうち慣れる思いますよ。気持ちを強う持つことが大切です」


 佳織は励ますようにつぶやいた。雨は止む気配を見せない。少し勇気を出してみようと思い立った。


「あの、お名前は何と言うんでしょうか」


 男性は少し溜めた後に、こう口にした。


「伊藤といいます」



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ