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【第21話】ラストオーダー



 梨絵はドアを引いた。

 店内はテーブルと椅子が暖かみのある赤茶色で統一されていた。印象に残り、なおかつ主張しすぎないちょうどいい塩梅だ。ソースの焦げる匂いが、暖かさとともに充満している。上から風が吹いてくれるように感じられるのは、冷房だけでなく、きっと天井が高いせいもあるのだろう。梁がそのままインテリアとなっている。テレビからはタレントのはきはきとした広島弁が聞こえる。壁に貼られている『たまゆら』のポスターは、声優や監督のサイン入りだ。

 梨絵は目を輝かせていた。店名は違うけれど、本当に「お好み焼や ほぼろ」に来たのだという実感が湧く。


「いらっしゃいませ」とやってくる店員。梨絵はピースサインを作り「二名です」と告げた。


「すいません。もうラストオーダーの時間、過ぎちゃったんですよ」


 梨絵のテンションはあからさまに下がる。肩で丸わかりだ。こんなに感情を表に出せるなんて。よほど期待していたのだなと、佳織は感じた。


 梨絵は明らかにしょげた様子を見せている。佳織は無言で店員の目を見た。なんとかお願いできませんか、とアイコンタクトを送るつもりで。

 願いが通じたのか、店員は「店長に確認してきますから、ちょっと待っとってもらえますか」と店の奥に消えていった。


 二人が何も話せないでいると、店員が戻ってきた。どうやらオーケーということらしい。

 二人は二席しかないカウンター席に座った。運よく空いていたので、梨絵が指定したのだ。通されたカウンター席は、鉄板が一段高くなっていて、ソースが入っていると思しき缶は、想像以上に大きかった。梨絵が言うにはアニメでは、平らなカウンターに最大六人まで腰を下ろせる仕様になっていたらしい。

 梨絵が指さしたポスターは、確かに四人のキャラクターが横並びになっている。


 佳織はメニューをめくった。メニューは何行にも渡っていて、バラエティはなかなかに豊富だ。だが、梨絵はメニューを見ることもなく、辺りを見渡している。決断は意外なほどに早かった。


「私は、ほぼろ焼きREVOLUTIONにします」


「そないメニューに書いとらんけど」


「でも、壁に貼られているので。アニメにも出てきたほぼろ焼き。ここで食べなきゃどこで食べるんだって感じですよ」


 梨絵が店員に「やってますよね」と尋ねると、店員は小さく頷いた。そのままの意味に受け取った梨絵は、小さく喜ぶ。


「門司さんは、何にするんですか?やっぱりほぼろ焼きですか」


「あたしはこの『純米吟醸たけはら焼』にするわ」


 佳織が指さしたのは、最初の一ページを丸々使った、お勧めらしきメニューだった。生地に酒粕を練り込んでいるようだ。


「二人で同じもん頼んでも、なんか気まずいしなぁ。あたしはこれがええわ」


「門司さん、お酒好きなんですか」


「いつもは安いビール専門やけどね。どないする?お酒も頼むか?」


「私は、他に飲みたいものがあるので、大丈夫です」


 結局二人は、それぞれが最初に決めた店オリジナルのお好み焼き、佳織はそれに加えて中ジョッキの生ビールを注文した。お好み焼きは自分で焼くこともできたが、店員に焼いてもらうことにした。上手くいくかどうか不安だと、二人の認識が一致したからだ。


 待っている間、佳織は店内を見渡した。団体客が数組。皆がお好み焼きを挟んで、会話に花を咲かせていた。二人の後には誰も入ってきていない。先ほど店員が外に出ていたけれど、あれは準備中の看板を、掲げに行ったのかもしれない。

 いの一番に供されたビールを飲みながら、佳織は考えた。鼻の奥に抜ける辛さ、その後に訪れる清涼感に心がほぐされる。


 ビールから口を話した佳織に、梨絵が話しかけてくる。

 視線はテレビの下に向けられていて、もうすっかり名前を覚えてしまったももねこ様のクッションと、人形が置かれていた。「あの人形は『ほぼろ』の店主の、八色(やくさ)ちもってキャラクターなんですよ」と梨絵は言う。その目はどこか憂いを湛えているように、佳織には見えた。まるで人形の向こうに何かがあるような。そんな視線だった。

 梨絵は人形のそばまで近づいて、写真を撮る。注意しようかとも思ったが、佳織にはどうしてもできなかった。


 二人の目の前で店員が、お好み焼きを作り始める。生地を薄くのばす。砂糖の焦げる良い匂いがかすかに漂う。キャベツ、豚肉などの具材が炒められる。麺も一緒に炒められるのは、さすが広島と言ったところか。

 今度はソースが焦げる匂いが直に伝わってきて、煽られるように、佳織はビールを口に運んだ。


 具材が生地と、こちらも薄くのばされた卵に挟まれる。大阪とは作り方が全然違うなと、ごく当たり前に佳織は感じた。最後にソースを塗って、佳織の純米吟醸たけはら焼が完成する。

 店員からヘラが渡される。これで食べろということか。佳織は戸惑った。箸を頼もうとも思ったが、郷に入っては郷に従え、だ。ただ、食べるのは、梨絵のお好み焼きができてからにしよう。一人だけ先に食べるのは気まずい、という配慮はしっかりと佳織の中にあった。


 そう思いながら眺めていると、梨絵のお好み焼きには肉団子や、ツナとコーンのマヨネーズ和え、刻みネギなど佳織がおよそ見たことがないような具材が、使われ始めた。サンドイッチのように挟まれ、極めつけはソースの上のチキンライス。良く言えば独創的な料理が、鉄板の上に出来あがっていた。マヨネーズが溶けて油となり弾けている。

 これは小学生の男の子が好みそうな……。濃い味が好きな人にはうってつけだろうけれど……。

 佳織は少し首を傾げたが、梨絵は湯気まで写真に収めようと、カメラを向けており、ヘラを渡されたときも「本当にこれで食べるんだ」と軽く感動していた。


 とりあえず、後のことは考えずにヘラを使ってくり抜き、佳織はお好み焼きを口に滑らせた。ヘラの熱さを警戒したけれど、お好み焼きはそれ以上に熱く、舌が少し痺れる。

 ソースと生地の中に、柔らかに香る酒粕の匂いが遅れてやってくる。想像よりはあっさりとしていたが、それでも風味は感じられる。酒粕を肴にビールを口に運ぶ自分を、来るところまで来てしまったなと、佳織は少し笑った。

 横を見ると、梨絵は何度も息を吹きかけてから、ようやくお好み焼きを口に運んでいた。満足したかどうかは、緩んだ目元で分かる。


「どう、美味い?」


「はい、美味しいです。刻みネギの食感がよくて、チキンライスも意外とソースに合います。門司さんの方はどうですか」


「美味しいに決まっとるやろ。酒粕がいい隠し味になっとる。キャベツも食感が残ってて絶妙やって」


 そう言いながら、ジョッキを持ち上げて飲むと、ビールはなくなった。店員に二杯目のビールを頼む。鉄板はまだまだ騒がしい。


「はい、ナマチューお待たせしました」


 店員からジョッキを受け取る佳織。テーブルに置く前に一口飲む。梨絵は相変わらず、お好み焼きを冷ましている。


「お客さん、関西の人じゃろ」


 いきなり店員が話しかけてきた。



(続く)

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