【第20話】夜の散策
マップを手にしながら夜道を進む梨絵に、佳織は口を挟まずに、ついていった。すぐにアーケードのある商店街に辿り着く。居酒屋に人が入っていくのが見える。
梨絵が言うには、この商店街は「あいふる316商店街」というらしい。アーケードがあるのは歩道だけで、車道は月と星の光に晒されている。商店街を進もうとする佳織を傍目に、梨絵は入り口の石柱を撮影していた。
「どしたん?何かあったん?」
佳織が問うと、梨絵はすっかり元気になった声で言う。
「これ、『たまゆら』にも出てきた、ももねこ様っていう猫ですよ。石になっても可愛いなぁ」
梨絵は佳織にマップを見せた。確かに、表紙の一番下に、桃色の丸い猫が顔を見せている。
「門司さん、写真撮ってくれます?私とももねこ様のツーショットで」
「別にええけど、このカメラ二十七枚しか撮れへんねんから、考えて撮らんと。自分、駅でもう一枚撮ったやん」
「大丈夫です。ちゃんと考えてますから」
「なら、ええけど」
ももねこ様なる猫の石像と写真を撮った後も、梨絵は一日の疲れを感じさせないほどの、好奇心を見せていた。
「この飛び出し注意の看板、ぽってになってる」
「ほら、門司さん。店の看板もももねこ様ですよ」
「オリジナルグッズのお店は、さすがに閉まっちゃってるか」
独り言を言いながら、佳織の前をどんどんと進んでいく。楽しくて仕方ない様子で、完全に立ち直ったみたいだ。佳織は一息つく。
通ってきた商店街はシャッターも多く見え、現代地方の商店街という有様を地で行っていたが、梨絵にはそんなことは関係ないようだった。
その後は、やはりアニメに出てきたらしい橋を渡り、日が沈んでも営業している道の駅を訪れた。
「『卒業写真』からもう四年以上経ってるのに、この品揃えってさすがだなぁ」と梨絵が感心するように、売店にはぬいぐるみやポストカードなど、少なくない種類のグッズが取り揃えられていた。梨絵の勢いに押されて、佳織もももねこ様のキーホルダーを購入する。
いざ手元に置いてみると、けっこう愛着がある。とはいえ家の鍵につけるには中途半端に大きい。今日みたいな旅行用のハンドバッグにつけるのが、ちょうどいいような気がした。
川を横目に見ながら北上していく。まだ昔ながらの街並みは見られない。ありふれた民家が続いているだけだ。ただ、そんな町並みも梨絵には新鮮に映るようで、ラーメン屋の前で「そういえばここも出てきたなぁ」と誰に言うでもなく語っていた。
佳織には、木の奥に暗くてよく見えないが、他の家々とは明らかに一線を画す建物が見えた。なんだろう。異質なのに、どこか調和がとれているようなこの感じは。
梨絵はその建物を目にすると、歩くペースを速めた。パンプスの靴音が、夜道に響く。
足を止めた二人が見たその建物は、全面が木造で、暗いながらも薄っすらとしたグラデーションが、少し落ち着きのない空気を放っている。白文字で書かれているのは日の丸……。読めない。他の文字は分かるのだが、四文字目がどうしても佳織には読めなかった。この新潟の「潟」の字の、左側みたいな字はなんだ。
「ここは日の丸写真館ですね。ぽってがよく通っていたレトロな写真館です。今はもう写真館の営業はしてないみたいですけどね」
「これで「写」って読むんや。ずいぶんややこしい字やな」
「旧字体か何かじゃないんですか。ここもやってないことを除けば、忠実に描かれてるなぁ」
梨絵は佳織に頼んでツーショット写真を済ませ、日の丸写真館に近づいた。店頭にいくつかの写真がある。名前も知らない、けれど可愛らしい子供の写真が数点飾られていたが、『たまゆら』関連の写真はないようだった。
「門司さん、日の丸写真館、ちょっと離れたところで今も営業中みたいですよ。ここに地図が書いてあります」
梨絵に言われて、建物の側面に回る佳織。確かに新しい店舗があるらしい。
「どないする?行ってみるか?」
「今行ってもこの時間ですし、多分閉まってると思うんですよね。時間もあまりないですし、今日はいいかなと」
佳織は腕時計を確認した。時計の針はとっくに一九時を回っていた。
「それにここが町並み保存地区の入り口みたいですしね。懐かしい街の雰囲気に、夜の静けさが合わさって、今までにない感覚を味わえそうです」
言われてみれば微かに石段が見える。二人は日の丸写真館の角を曲がって、まっすぐ進む。
道路を挟む家々はすっかり木造や石蔵が増えてきていて、間に挟まる普通の家々さえ、ただならぬオーラを放っていた。街灯は照らしているが、なんてことはない。暗く心もとなく、佳織には感じられた。民家から漏れる明かりが石段をさりげなく照らす。
一歩一歩歩を進めはするが、迷路に迷い込んでしまったようで、先が見えるか佳織は不安になる。梨絵はどうだろう。全く躊躇しない歩き方を見ると、不安よりも関心が勝っているようだ。
二人はやがてT字路に行き当たった。道の広さを見るとここがメインストリートらしい。
右を見ても左を見ても、武家屋敷かと見間違うほどの情景だ。木造の家々。黒塗りの梁が、夜に溶けている。
オレンジ色の提灯のような電灯が石段を、手の届く範囲で精いっぱい照らしている。歩いている人もほとんどいない。昼は賑わう観光地も、店じまいの夜にはひっそりしてしまうのだろうか。
偶然だけれど、空いているときに来られてよかった。自分たちの嗅覚もなかなかのだ、佳織は自らを少し誇る。
そうしないと、古風な町並みに呑まれてしまいそうだった。
「やっぱり独特の雰囲気がありますね。こういうのアンニュイっていうんですか。なんかちょっとワクワクします」
「でも、なんか暗ぅて怖ない?道も照らされてへん部分、けっこうあるし」
「でも、夜の町は夜の町でなんか趣があるじゃないですか。それに昔の町並みが合わさると、もう抜群ですよ。江戸時代にでもタイムスリップしたみたいですね」
可憐な見た目に反して、梨絵は意外と肝があるようだ。もっと怖がるのではないかと思っていた自分が恥ずかしい。
佳織は下を向いた。足を動かすと、砂を擦る音がした。
「そうだ、門司さん、お腹空いてません?」
「自分、この状況でよくそんなこと言えるなぁ。肝試しとかしたことないん?」
「お化け屋敷は何ヵ所か行きましたけど、どこも怖くなかったです」
梨絵は微笑む。まったく、神経が鈍いというか、感覚がマヒしているというか。いや、おそらく梨絵は純粋にこの状況を楽しんでいるだけだ。
そう思うと、佳織の心は少しだけ落ち着いた。空腹が遅れてやってくる。
「まあ確かにお腹は空いとるなぁ」
「そうですよね、良い機会ですし、ここでご飯にしましょうか」
「どこにするかもう決めとるん?」
「これですよ、これ」
そう言って梨絵は、マップを揺らした。何がこれなのか佳織にはさっぱり分からない。ただ、左折して進む梨絵についていくだけだ。
少し歩くと煌々と明かりが漏れる、一軒の家があった。藍色の暖簾。外観は土蔵を模している、というかおそらく本当の土蔵だ。広島らしくお好み焼きで決める、ということなのだろうか。そういえば大阪に住んでいると、意外とお好み焼きって食べないな。
立ち止まって考える佳織に、梨絵が話しかける。
「多分ここですよ、『たまゆら』に出てきたお好み焼き屋さんは。作中では『ほぼろ』って言う店名で暖簾も赤かったんですけど、マップが示す位置もここですし、間違いないと思います。ほら、モデルになったお店って書かれてるじゃないですか」
梨絵が差し出したマップを見ると、一言一句違わずにそう書かれていた。ヘラを握った女性のキャラクター付きだ。
「ここで立っていてもお好み焼きが食べられるわけじゃないですし、入っちゃいますか。熱帯夜で暑いですし。こんな日に熱いお好み焼きを食べるのも、逆に風流で良さそうです」
風流ってなんだっけっと佳織が思う間もなく、梨絵はドアを引いた。
(続く)




