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【第13話】湯船のような心地よさ



「あんたら、この辺の人やねぇじゃろ。雰囲気がサッパリしとらー」


 女性に話しかけられたのは、二人がスマートフォンを取り出して、時間を潰そうとしたそのときだった。

 注文を取ったはずなのに、二人のテーブルにまで戻ってきたのだ。シャツの襟がよれている。だが、女性は薄い眉もあり、若く見えた。その女性が、今二人を見下ろして、微笑んでいる。

 自分たちと同じで、手持ち無沙汰なのだろうか。せっかくだから話してみるのも、悪くないのかもしれない。そう佳織は考えつく。


「はい、観光で来ました。この辺りはええですね。暑くてもどっか爽やかで」


「ありがと。で、そっちのあんたは?あんたも観光で来ようたん?」


「えっと、私は……」


 例によって、梨絵は口ごもる。佳織は助け舟を出した。


「あたしたち、旅先で出会ったんです。目的地も同じやし、お互い独り身やから一緒に行くんには、何も不自由ないよねって。それで、二人でフラフラしとる感じです」


 そう佳織が言うと、女性は驚いた様子で口に手を当てた。挙動が少し大げさな人だ。きっと周りからどう思われるかなんて、この人にとっては大きな問題ではないのだろう。


「なかなかええ旅をしとらー。令和にもなって、旅先で出会うた相手との二人旅。まるでドラマみてーじゃ。ほら、この商売やっとると、あんま遠くまで行けんじゃろ。若いってええねぇ」


「知り合うたばっかで、まだ仲はこれからですけどね」


「まあ旅は道連れいうし、自然と仲良うなってくわぁ。いや、ありがとね。ほんま、こねーなとこまで来ょーて。別に大っきな観光名所があるわけじゃねえのに」


「いえいえ。十分ええところですよ。水色の列車も走っとうて、高架からここにしかない風景も見下ろせて。あたし、鉄道が好きで、水島臨海鉄道に乗るためにやってきたんですけど、懐かしい車両にも乗れたし、雰囲気もええしで、好きになっちゃいました」


 佳織が笑うのを見て、梨絵は思う。人たらしだ。すぐ人のガードを、解いてしまう。もともと友好的な女性にも、効果はてき面だった。

 ありがとうと手を差し伸べるので、佳織がまず手を握り、その後に梨絵もやや慎重に握手をした。

 握り返す感触が強く、心からの所作だとすぐに分かる。


「ほんま、ありがとね。臨鉄のことをそねー言うてきょーて。ウチらの大事な鉄道じゃしねぇ。こねー外ん人に評価されてもれーるの嬉しわぁ。そうそう、臨鉄にゃあね、向日葵が描かれとう列車があらー」


「そんな列車があるんですか」と聞き返したのは梨絵だった。佳織は何も言わず、頷いている。


「ひまわり号いうの。丸っこい向日葵が、ドアのところで二輪咲いとって。ここにしかねえ列車じゃけぇ機会があれば乗ぅてみてな」


「はい、ぜひ乗ってみたいです」


 年配の男性たちから、手が上がる。女性は向こうのテーブルに向かった。黒いビロードのソファに、どっかりと腰かけた男性たちが、極めてローカルな話で盛り上がっている。注文されたドリンクを運び終えた女性も、一緒に会話に花を咲かせている。

 その様子がとてものどかで、梨絵は密かに食べ終わっても、まだ少しこの店にいたいと思うようになっていた。




 時計が十二時に差し掛かるころ、先に梨絵が注文したイタリアンが到着した。ケチャップの濃い赤色が、食欲をそそる。ウィンナーが多く入った伝統的なイタリアンだ。湯気とともに立ち上る甘く、どこか酸っぱい匂い。

 梨絵の期待は膨らんでいく。


 間を置かずに、佳織が注文した日替わり定食も運ばれてくる。

 今日の日替わり定食は、生姜焼き定食だった。飴色に炒められた玉ねぎが、豚肉と絡んで香ばしい匂いを醸し出す。ご飯も大きなお茶碗に、佳織には十分すぎるほどの量が盛られており、さりげなく市販のふりかけがついてきている。

 食べ盛りの大学生でも、満足させられそうなボリュームだ。


 女性は注文を確認して、「ゆーにしてなぁ」と言うと、厨房に戻らずに、通路を挟んだあの玉座に腰かけた。佳織も梨絵も、目を丸くする。女性は、「気になさらずどうぞ」とも言いたげな笑顔で、頷いている。

 見られているというより、見守られているという感覚が、二人にはあった。プレッシャーはそれほど感じない。それも女性の睦まじげな風貌に、起因するのだろうか。


 二人はそれぞれのタイミングで、料理を食べ始めた。イタリアンを一口食べると、梨絵の口元にはあっという間にケチャップがついて、佳織と女性は、微笑んだ。佳織は最初の一口を、ふりかけをかけずに味わった。生姜焼きは熱く、玉ねぎの甘さと、生姜の辛さが、お互いを引き立て合っている。


「美味しいです」


 最初に発したのは梨絵だった。飲み込んですぐに、興奮気味に女性に感想を伝えている。


「ケチャップの甘さがホッとしますし、パスタもちょうどいい茹で加減で、噛み応えがあって。とても優しい味ですね」


「この生姜焼きも美味しいです」


 佳織も続く。その言葉に嘘はない。


「めっちゃええ炒め加減で。口ん中にじんわりと美味しさが広がってきます」


「ありがと。あとで旦那にも伝えなねぇ。張り切って作った甲斐があったなぁて」


「お二人って結婚されているんですか」


「そうじゃぁ。夫婦二人でこじんまりとやっとらー」


「そんなこじんまりとだなんて。とても素敵なお店や思います。初めて来たのに、心がホッとします」


「そねーなこと言うてくれん人、あんまいねーから嬉しわぁ。やっとうてよかった」


 女性はずっと笑顔のままで、話す言葉も、本心から出ているものだと分かる。二人は女性に見守られながら、料理を食べ進めた。


「あの、さっき朝市に行って来て、そこで聞いたんですけど、この地域って生姜が名物なんですよね。もしかして、この生姜焼きにも、この辺りで獲れた生姜を使っとったりしてます?」


「よう知っとんなぁ。そん通りじゃ。駅からちょい離れたとこに生姜畑があってな。そこで獲れた生姜を使わせてもろうとるんじゃ。ほれ、産地直送じゃけぇ風味がええじゃろ」


 確かに言われてみれば、口の中に広がる生姜の風味は、普段よりも濃密な気が佳織にはした。


「朝市で飲んだジンジャーエールも美味しかったです。鼻に抜けるような爽やかさがあって」


「そりゃえがったなぁ。うちにゃジンジャーエールはねぇけど、気に入っとうてくれてありがと。今度、旦那にも相談してみらー」


「このお店も、その朝市で出会った人に紹介してもろうたんですよ。『このお店のランチは六〇〇円でお腹いっぱい食べられるからオススメだよ』いわれて。その言葉を信じてきて、えかったです」


 テーブルには、くつろげる時間が流れていた。微笑みを止める理由はない。しかし、厨房から男性の「おーい」という声が聞こえる。


「すまん、呼ばれてもうたわ。ウチは厨房に戻らんと。食べ終わったら、昆布茶を持ってきょーるから、またそんときにでもな」


 女性は、ズボンの裾を気にしながら、戻っていった。女性がいなくなった空間は、十円玉ほどの穴が、ぽっかりと開いてしまったようだった。それでも二人は、また箸を進める。出汁の利いた味噌汁が、心を和らげる。

 冷房が稼働する音を聞きながら、佳織は湯船に肩まで使ったような、心地よさを満喫していた。



(続く)

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