【第12話】軽食喫茶
水島朝市を後にした二人は、再び水島臨海鉄道に乗車し、二つ隣の栄駅で下車していた。駅前には白いオブジェ。七つの帆が空に向かって伸び、風に吹かれて緩やかに回っている。
高架沿いに沿って北に進む。道は案外広く、歩道もタイル張りと整備されていて、チェックポイントのように常緑樹が一定の間隔で植えられていた。
歩いていると、やがて幹線道路にぶつかる広々とした交差点に出た。横断歩道を渡り左折する二人。視線の先にある電話ボックスは、都会では見なくなって久しい。行き交う車の走行音に紛れて、室外機の音が徐々に大きくなっていく。
近づくに連れてだんだんと立体感を増していく赤い屋根。中央に飾られたピンクのバラ。店内のかすかなざわめき。二人が水島の朝市で、偶然出会った女性に教えてもらった飲食店である。『昔懐かしの雰囲気が味わえる』と女性は言っていたが、まさにその通りだと佳織は察した。ここだけ時間の流れが違うような。八ミリ映画にでも出てきそうな、そんな出で立ちだ。色の褪せた外壁が、なおさらそう思わせる。
入店する二人。大窓から日光が差す。赤いマットが迎える先には、淡い緑の絨毯が敷かれている。椅子は左側は薄橙のありふれた椅子だが、右側はシックな茶色に、これまた赤い布地が目立つ。玉座のように、梨絵には思えた。
食材が入った冷蔵庫の奥に、厨房が見てとれる。
髪を束ねた女性の明瞭な「いらっしゃいませ」が、高くはない天井に響く。
店内には、不揃いだけれど不思議な統一感があった。なるほど、確かに「昔懐かし」だ。駅前のオブジェもそうだったけれど、いつか来た記憶がある。そう思える場所があるのは、些細なようでとても幸せなことかもしれない。
佳織は、薄橙の椅子に腰掛けた。梨絵も正面に座る。玉座に座るような大それた勇気は、二人とも持ち合わせていなかった。
「確かにレトロな雰囲気が漂っとんなぁ。メロドラマにでも出てきそう」
「地元の人行きつけって感じですよね。私たちが入って良かったんでしょうか」
店内では初老の男性三人が、野放図に話していた。なかなか強烈な岡山弁である。
「ええんちゃうの。別に一見さんお断りいうわけでもなさそうやし」
「そうですね。でも、この机、メニューないですよね。どうやって注文すればいいんでしょうか……」
梨絵はバツが悪そうに、縮こまっている。佳織は厨房に向けて、「メニューください」と声を上げた。
髪を束ねた女性がゆっくりと二人のテーブルにやってくる。渡されたメニューは一枚の長方形で、写真はなく文字ばかり。ラミネートされた表面が、天井照明を跳ね返している。
「注文が決まったらまた呼びんせぇ」
女性は営業では作ることのできない笑顔で、厨房に戻っていった。メニューにはドリンクや軽食の名が、きちんと整列されていた。
「どうします?この『オリジナル』って書いてある中から選びます?」
「自分は何が食べたいん?」
「私はイタリアンスパゲティですかね。こういう喫茶店のイタリアンって、風情があっていいじゃないですか」
「自分、イタリアンいうんか?これ、ナポリタンちゃうの?」
「でも、私の家ではイタリアンって言ってたんですけど」
「そか。あたしは日替わり定食にしよかな」
「そんなものありました?」
「あるやろ、メニューの一番上に」
言われるがままに梨絵は、メニューの上に目をやった。十一時三〇分からのランチサービス六〇〇円。しっかりとそう書いてあった。目立つのに、案外見落としているものだ。
「門司さんって、結構ベタなところいきますよね。日替わり定食って。もしかして美容室でも『おまかせで』とか、美容師さんに委ねてしまうタイプですか」
「やかましくて嫌やなと、思われん程度には言うなぁ。だいぶ手加減はしとるけど」
「門司さんの手加減って、手加減になってなさそうですよね。美容師さん、戦々恐々としてそう」
「自分、けっこう言うようになったなぁ。まぁ、そらそれとして、ナポリタンと日替わり定食でええな?頼むで」
梨絵に「イタリアンですけどね」とささやかれてから、佳織は手を上げた。
「すいません」と言うや否や、女性があけすけな返事をして、注文を取りに来る。「ナポリタン」と言いそうになるところを、梨絵の視線を感じ「イタリアン」と佳織は言い直す。
今日の日替わり定食が、何かは聞かなかった。対面した時の驚きが、なくなってしまう。
伝票を置いて女性は厨房に戻っていく。サッと書いて読みづらい伝票も数多くある中、その女性の文字は実に読みやすかった。丸みを帯びていて、温厚な人柄を感じさせる。
この飲食店は安心して身を預けられると、梨絵は感じていた。
「あんたら、この辺の人じゃねぇじゃろ。雰囲気がサッパリしとるが」
女性に話しかけられたのは、二人がスマートフォンを取り出して、時間を潰そうとしたそのときだった。
(続く)




