【第11話】水島朝市
終点の一駅前。水島駅を出ると、こぢんまりとしたバスターミナル跡地が二人を迎えた。
バスはもちろん、看板もバス停もない。待ち人もおらず、使用されていないのは明らかだった。三本のアスファルトが、ただ太陽に照らされている。
「寂しいですね。使われていた痕跡が、残っているのがいっそう」
「せやね、でもこないな光景は日本じゃわりといろんなとこにあるしなぁ。そない驚くことちゃうて。寂しいけど、それも含めての地域やし、残されたもんを味わんと」
二人はバスターミナルだった道路の、奥に進んでいく。タクシーが一台止まっている。梨絵は、胸の奥が詰まるような思いがした。二人でいるのにこの孤独感は、どういったわけだろう。何も言えずに一瞬立ちすくむ自分がいた。
だが、ふと耳を澄ますと、話し声が聞こえてくる。割れた笑い声も混じった、あっけらかんとしたざわめきだ。
「ガイドブックに書いとった通りやっとるみたいやな。ほな、行こか」
「行くってどこにですか」
「水島朝市。毎月この日になるとやっとんの。交流サロンの近うでね。これ目当てに水島駅で降りたんやから」
そう言うと、佳織は脇目も降らず歩き始めた。
ここからでも、簡易テントの屋根はいくつか確認できる。梨絵も、道に迷うことはないだろう。
朝市はいい。新鮮な農産物が安く手に入る。網のように張り巡らされた流通網をかいくぐった先にある、朝露の匂い。早起きをするだけの価値はある。鉄道の次に好きなものを聞かれたら、迷わず三度の飯と答える佳織にとっては、物欲と食欲を同時に満たせる朝市は、うってつけである。
朝市の会場となる芝生広場までは、歩いて三分もかからなかった。黄緑に覆われた芝生の上に、いくつもの簡易テントが並んでいる。半袖のポロシャツを着た出店者たちの肌は、日に焼けていて、関西弁とは少し異なる言葉が、あちらこちらで飛び交っていた。
佳織は、朝市の中へずんずんと進んでいった。後ろからついてくる梨絵を気にしてもいない。ただ、梨絵も活気のある朝市の雰囲気は、嫌いではなかった。
佳織がいなくても、自分から入っていけるとさえ思う。
テントの下はトマトやパプリカ、トウモロコシといった、夏が旬の野菜が並べられていた。アジやイワシといった、魚介類もある。そのどれもが都心のスーパーで買うよりも、三割から四割ほど安く、梨絵は思わずため息を漏らした。
朝市は初めて来たけれど、意外と悪くないかもしれない。
ほとんどの来客が手ぶらである。地元に根付いているのだろうと感じた。
ふと、隣を見ると、佳織が出店者に話しかけている。青い帽子を被った気難しそうな初老の男性。だけれど、佳織の持つ人懐っこさのようなものが、男性の口を開かせていた。
「なら、こんあたりはゴボウや生姜が名物なんですか」
「そじゃな。こんゴボウは春に種を蒔いたんを、収穫したモンじゃ。他にも蒔く時期によーて収穫時期が違うて、今じゃ大体一年中獲れんな」
男性は少しぶっきらぼうに佳織の質問に答える。ハンドバッグを持った佳織からは、観光客という雰囲気がはっきりと出ていて、そのことに戸惑っているのかもしれなかった。
「そうですか、ほな、こちらの生姜も、一年中獲れるもんなんですか」
「おめぇさんたち、生姜の旬げーつだか知っとるか」
佳織は、隣に並んでいた梨絵と顔を見合わせた。返答がないことを見るに、梨絵も生姜の旬を知らないらしい。
「スーパーとかじゃ一年中売られとるけどよ、生姜の旬いうんは、夏から秋にかけてなんじゃ。で、ここにあんのが今年のうったてん生姜じゃ。まだまだ小せーけどよ、味ぁ保証すんが。なんつったって、今朝獲れたばかりじゃけぇな」
ざるに置かれた生姜はごつごつしていて、いくつにも枝分かれしていた。まだまだ小さいとは言っても、スーパーで売られているものよりも、大ぶりなように佳織には見えた。
二人の後ろを、男性と同じぐらいの年齢の女性が通りかかる。調子のいい声が聞こえた。
「星野さん、今日も出ょーるの。いつも大変じゃね」
「まあこっちにも生活があんでな」
「生姜獲れんようになったんじゃねぇ。今年ももうそねーな時期なんじゃなぁ」
「今年は春が長げーけぇな。いつもより早う育ちよったわ。どうじゃ、一つ買うてくか?」
「んじゃ今年もいただくわ。星野さんのとこの生姜、コクがあってでーれーうめぇけぇ」
「おお、あんがとな」
佳織と梨絵をそっちのけにして、星野さんと呼ばれた男性は、女性に生姜を手渡していた。お釣りを渡す手にはいくつものマメがあり、手作業で作物を掘り起こす光景を想起させる。
「こっちこそありがと。旨ぅいただくわ。で、こっちの子んたちは誰ね?」
女性の矛先が、急に佳織と梨絵に向いた。梨絵は体を強張らせて、女性から一歩離れる。
「こっちの姉ちゃんたちか。たぶん観光客じゃろ。あんま見ん顔じゃし、おっきなバッグ持っとるしな」
「ほんまに!けったいじゃねえ!こんによそからの人が来ょーるなんて!」
「そねーな珍しいことじゃねえじゃろ。今ぁ夏休みの時期なんじゃし、どこんでも観光客はおんじゃろ。こねーな田舎の朝市でも、毎回観光客らしき人は来んしな。先々週は外国人も来とったじゃねぇか」
「けど、ありがてーことじゃねえ!こねーな何ものーとこに来ょーるなんて!おめぇたち、どうして水島に来たん?」
「あの、私は……」
女性の押しの強さに、何か答えなければならないとでも思ったのだろうか。梨絵は見通しも立てずに口を開いた。
だが、佳織の声がすぐに覆い被さる。梨絵のことを思ってか、女性の気分を害さないようにしてか、どちらかは佳織自身にも分からない。
ただ、梨絵は密かに安堵していた。
「あたしら、鉄道に乗るのが好きなんです。たまに全国の鉄道を巡る旅をしとって、今回水島臨海鉄道に乗ってみよう思たんです。ここでしか走ってへん列車もありますし。それで、せっかくやから途中下車してみよかってなって。水島駅近くで朝市が行われていることを知り、やってきました」
佳織が「ね?」と同意を求めたので、梨絵は細かく頷いた。それを見て女性は、より嬉しくなったらしい。手を叩いてまでして喜ぶ人間を、梨絵は久しぶりに目の当たりにした。
「臨鉄目当てか!おめぇたち、ええセンスしとんな!水色の車体、綺麗じゃったろ!」
「すごく色鮮やかで、乗っていて楽しかったです」
「ほんま来ょーてありがとね。ぎょーさん買い物していってな。こけーは泊まりか?なら農産物を買うなぁ、ちいと難しいかもしれんなぁ。けど、ご飯食べれんとこもあるし。きんぴらごぼうと、ジンジャーエールがお勧めが。どれもこんあたりで獲れたゴボウや生姜を使うた、自慢の一品じゃけぇねぇ。あっちの方で買えるけぇ、よーけ食べてくれや」
「おい、わしんとこはどうなるんじゃ」
「んないうてもしゃあねぇじゃろ。持ち帰るなぁ厳しい言いよるんじゃし。また買うてくれる人がおるが」
別に持ち帰るのは厳しいなんて、一言も言っていないのだが。
佳織はしぶしぶ座る星野を、目にしながらそう思った。茶色いタオルで、額の汗を拭っている。
「すいません。生姜一つください」
梨絵は急な佳織の宣言に、思わず声にならない声を出した。そんなこと言ったってバッグの中身はもう......。
「おう、けど、ほんまにええんが。今日帰るわけじゃねえんじゃろ」
「いいんです。お二人の会話を聞いとったら、なんかほしくなってしまいました。こちらの一番小さいのでもええですか」
店頭に並んだ生姜は、一番小さいものでもスーパーで売られているワンパックの生姜より大きかった。
「全然構わんが。ほんなら三百円じゃけど、特別に二百五十円にまけちゃるわ。その代わり、家けぇたらすぐ冷凍庫に入れぇ。生姜は冷凍のままでも、すりおろす分にゃあ困らんけぇな」
星野は生姜を新聞紙に包み、ビニール袋に入れて、お釣りの五十円と一緒に佳織に手渡した。佳織は「ありがとうございます」と軽く星野の手に触れた。星野の顔に、今日初めて笑みがこぼれる。
ショウガを買った後も星野と佳織の会話はしばらく続いた。その間梨絵は、辺りを見渡していた。
販売されているのは農産物だけではない。服や小物、果ては骨董品までが販売されていて、どちらかというと朝市というよりも、フリーマーケットの色の方が強いなと、一人考える。
列車が通過する音が、人々の声でかき消される。先を急ごうとは、梨絵には不思議と思えなかった。
(続く)




