【第8話】明日の話
夜も八時を回って、店内の混雑は徐々に解消されつつあった。高い天井。クリーム色の椅子。煌々とした照明。程よいざわめき。
二人はホテルのチェックインを済ませて、とあるファミリーレストランに来ていた。どちらも地元の名産品に対する知識がなかったため、適当なファミリーレストランで済まそうと、佳織が提案したのだ。
梨絵は二人掛けのソファを、片側だけ開けて座っていた。カフェモカのような優しい色合いが、緊張をいくらか軽減させる。そこに佳織が、二人分の水を持って戻ってくる。佳織はまず、自分よりも梨絵の前にコップを置き、そして梨絵の真正面に座った。張りのある唇に、一日の疲れは見られない。
「お水ありがとうございます」
「別にええって。それよりも空いとってよかったなぁ。ホテル」
佳織が泊まろうとしていたのは、倉敷駅から徒歩五分のビジネスホテルである。受付は二階にあり、背の高い受付係が対応してくれた。梨絵がおそるおそる空き部屋はないかと聞くと、四階に一部屋あるとのことだった。
駅周辺にホテルはたくさんあるとはいえ、有事を考えたら、佳織と一緒のホテルに泊まったほうが良い。会って一日も経っていないのに、佳織のことを梨絵はすっかり信頼しきっていた。
ただ、同じ階だと気まずいと感じるくらいには、梨絵も幼くはなかった。
「地方のファミレスいうんも、また違った雰囲気があってええなぁ」
「そうですね。なんか西日本って感じがします。みんな関西弁で喋ってますし」
「正式には、関西弁とはまたちゃうんやけどなぁ。せやけど、確かにこのチェーンは西日本にぎょうさんあるし、ある意味、西日本を代表するいうても、言い過ぎちゃうかもな」
佳織はかつて九州に行ったときに、駅前で同じ黄色の建物を見たことを、思い出していた。黄色に赤文字の看板は、遠くからでもよく目立っていた。
「ところで、明日はどうするんですか」
「明日は八時にホテルを出て、まずは倉敷市駅から水島臨海鉄道に乗るわ」
梨絵が話題を変えると、佳織はにべもなく答えた。梨絵にはその路線名は、全く初耳だった。未知の単語に対して取れる反応。それは、オウム返しだけだ。
「水島臨海鉄道?」
「全国的に有名な路線ちゃうし、知らんのも無理ないわなぁ。水島臨海鉄道いうんはね、西日本唯一の臨海鉄道なんよ。ここでいう臨海鉄道は、もともとは貨物輸送のために設立されたもんで、旅客輸送を行うとんのは、その中でも日本に二つだけなんやって。で、そのうちの一つが水島臨海鉄道いうわけ」
佳織の説明は梨絵にとって、雲を掴むように感じられた。専門用語を並べられても、鉄道に明るくない梨絵には、ぼんやりとしかわからない。
つまり海のそばを走る電車ということか。そんな曖昧な理解を梨絵はした。
佳織は続ける。
「でな、その水島臨海鉄道、略して水鉄には、日本で七両しか製造されんかったキハ38があって。昔懐かしの国鉄色なんやけど、ここでしか走っとらんのよ。編成を組むキハ37も、日本では五両しか製造されへんかったレアもんやし、これに乗らずして、今回の目的は果たせへんて」
一方的に捲し立てる佳織に、梨絵はたじろぐことしかできなかった。こんな風に自分の好きなものを熱意を持って語ることができる人間に、梨絵は出会ったことはなかった。
それからも、佳織が水島臨海鉄道について話していると、店員が二人の元に料理を運んでくる。梨絵が頼んだハンバーグステーキが先に来てしまった。
鉄板の上で軽やかな音を立てる肉汁が、沈黙の間にこだまする。梨絵はなるべくハンバーグステーキを見ないように努めた。佳織が「気にしないで先に食べて」と言っても、梨絵は手を付けようとはしなかった。
「あの、ただその列車に乗って往復して終わりということですか」
気をそらすように梨絵は会話を切り出す。
「それはまたちゃうなぁ。どっかの駅で途中下車して街を歩いたり、なんか食べたりはするで。せっかくの旅なんやから、楽しまな」
「どこで降りるんですか?」
「それは明日決めるわ。ちょうどガイドブックもあるしなぁ」
佳織がカバンから取り出したガイドブックは、ちゃんとした厚さの本だった。地元の学生と商工会議所が、制作したものらしい。梨絵は見せてもらうように頼んだが、料理が先と佳織は断った。
二分後に、佳織が頼んだオムライスが運ばれてきた。ビーフシチューがかかっており、キラキラと照明を反射している。佳織は律義に、いただきますと手を合わせる。それを見て、梨絵も真似する。
二人が、初めて進んで共にする食事だった。
(続く)




