運命の人
アルベルトの話。
花嫁候補の令嬢を魔界へ召喚する、だいぶ前のお話です。
『おーい、アルベルト』
王子主催の夜会。
皆がそれなりに場の空気に酔いしれ始める頃、ダンスホールで楽しんでいたユージーンがアルベルトの席までやって来た。
その背後には、三人の魔族の青年たちがいる。それぞれの手にはグラスが添えられており、休憩目的でこちらに訪れたのだろう。
三人とも、一応はアルベルトの友人と呼べる間柄だ。
アルベルトの席は、一階フロアの中央と、二階フロアの奥にある。
二階のフロアはアルベルト専用に仕切られたゆったりとくつろぐことのできる柔らかなソファがいくつも置かれており、夜会の中盤頃はいつも二階フロアで友人たちと談笑していた。
『アルベルト、ほら』
『ああ』
ユージーンに酒の入ったグラスを手渡され、アルベルトはそれを一気に飲み干した。
『よっ、いい飲みっぷり』
『珍しいね。君がそんな飲み方するなんて』
『なにかあったのー?』
ユージーン以外の三人がそう尋ねる。アルベルトはどこかムスッとしたまま無言を貫いた。
『ああ、アルベルト。今ちょっと不機嫌でねぇ。今日の女の子たちは揃いも揃って押しが強いらしい』
『おいユージーン。なにペラペラ話してやがる』
『まあまあ、ここにいる皆には言ってもいいだろ』
『ふんっ』
『ははーん。そういうことか』
ユージーンの説明に、この中でも一番に遊び人の雰囲気を醸し出す青年が口を開いた。
目をキラリと輝かせ、つらつらと語る。
『お前に近寄って来るのって、だいたい自分に超自信があって、あわよくば婚姻を結びたいと企んでいる女の子ばかりだもんな。俺らと違って面倒事がありありだ』
『そうだよね〜。アルベルトくんって、来る者拒まずだけど、したたかな子とか好みじゃないよねー』
一番に童顔で可愛らしい顔をした青年が同意する。くすくすと笑みをたたえる仕草は、魔族の異性からも愛らしいと評判である。
しかし、中身は意外と豪快な部分もあった。
『そういえば、一人凄いのがいなかった? アルベルトに猛烈な視線を向けてる主張の強い子』
一見、冷静な物腰の綺麗な顔をした青年が思い出したように口を開く。
ユージーンを含めた四人は「ああ、いたな」と心当たりのある顔を合わせた。
『……知るか』
『あ、その顔! アルベルトも分かってんじゃんよ』
『ふふ、せいぜいしつこく追いかけ回されないようにね〜』
『そんなふうに狙われるなんて、王子様も大変だね』
他人事のように三人は笑っている。アルベルトは分かりやすく顔を顰めていた。
『こらこら。三人ともあんまりアルベルトをいじめない。アルベルトもだ。イライラするのは分かるけど、そんなに魔力を放出しないこと。俺たちはまだいいけど、下の招待客が冷や汗かいてるから』
ちらりと一階フロアを見下ろしながらユージーンが諌めた。
こうしてアルベルトを含め、彼らを一纏めにしているのはいつもユージーンの役目である。
他の魔族たちは、アルベルトの掴みどころのない傍若無人な態度に一線引いているが、この三人はそれをあまり気にしていない。
むしろ面白がって観察している節がある。
そんな彼らだからこそ、アルベルトもなんだかんだとつるんでいることが多かった。
『……でも、アルベルトくんだって、そのうちは婚約もするし、婚姻だって結ぶんでしょ〜? 誰かいないの、そんな子』
『いねえ』
『って、即答かよ! なんだったら、オレが選りすぐりの美人ちゃんを何人か紹介してやろうか?』
『え、アルベルトの好みって美人系だっけ』
『なーに言ってやがるお前! やっぱり女は美人に限るだろ! 可愛い子よりも高確率で艶っぽさが――』
『は〜い。遊び人の卑猥な言動は慎んでくださ〜い。しかもそれ、凄い偏見だよ』
『本当に。だから君は、この間もこっぴどく振られたんじゃないの?』
『はぁー!? オレの話はいいんだっての! それより今はアルベルトの相手なんだよ。オラ探すぞ野郎ども!』
いつの間にかアルベルトを置き去りにして、三人はソファの背もたれの後ろから、一階フロアを眺め始めた。
『……あーあ。勝手に盛り上がって楽しんでるな、あの三人は』
『勝手にやらせておけ。そのうち飽きるだろ』
『まあ、そうだねぇ』
今宵のアルベルトは、いつもより一段と勢いがない。
ここまで大人しいのも珍しく、ユージーンは少々心配になってアルベルトの顔を覗き込んだ。
『……アルベルト。なんか、変じゃないか? 体調でも悪いのかい?』
『そんなんじゃねぇ。ただ――』
『ただ?』
『女がつけてた香水の臭いにやられただけだよ』
『……ああ、そういうことか』
恐らく一階フロアにいたとき、アルベルトに挨拶に来た少女たちのことだろう。
たしかにあの少女たちが吹きかけていた香りは、かなりキツかった気がする。
『強い香水なんて付けなくても、女の子の肌っていい香りするのにな。もったいない』
『何言ってんだお前』
『事実だろう。そんな目で見ないで欲しいな』
アルベルトにじとりと睨まれ、ユージーンは肩を竦めた。本当に今日は参っているようだ。
『……香り、か。そういえばアルベルト、こんな話を聞いたことがあるかい?』
『なんだ?』
考えるような素振りをしたユージーンに、アルベルトは耳を傾ける。
『俺たち魔族は、心の香りを嗅ぎ分ける能力を持っている。だけど心の香りの他にも、これだと分かる香りがあるんだ』
ユージーンは自分の鼻先に人差し指を置くと、そっとつぶやいた。
『運命の人の、香り』
『……は? なんだ、それ』
突拍子もない発言に、アルベルトは眉を寄せた。そんな話はメルウからも聞いたことがない。
それに『運命』だなんて、小っ恥ずかしい台詞をよく言えるなとアルベルトは思った。
『あ、信じてないね。その顔』
『信じるも信じないも、なんなんだよそれ』
『……なんなんだって言われても、俺も実際には嗅いだことがないから詳しく言えないんだけど。なんでも大昔の魔族は、子を宿すのが今よりもずっと困難で、断絶の危機になったこともあったんだ』
『その辺は知ってるな。だから、人間の女を番にするようになったんだろ?』
『うん、まあ。その方法もあるんだけどね。魔族の本能で、自分が生涯添い遂げる番を、香りで認識することができる場合があったんだ』
ユージーンの根拠もない話に、アルベルトは半信半疑で聞いていた。
『……仮に嗅ぎ分けられたとして、どんな匂いがするんだよ』
『それがねぇ、甘い香りがするらしいんだ』
『俺は甘ったるいのは嫌だ』
『ちがうちがう』
即答するアルベルトに、ユージーンはケラケラと笑う。
『――なんでも、気が遠くなるような、惹き付けられる香りだって話だ。自分だけにしか分からない甘い匂い。嗅いだ瞬間、血の巡りが一気に逆流するような感覚が全身に伝わる。少しの間、相手から目が逸らせなくなって、どうしようもない心地になるんだ』
『……』
『どう? ちょっと気にならないかい? アルベルトが今まで出会った子たちの中に、運命の子がいるかもしれないんだ』
『いるかもしれない? そんな意味分からない匂いをしてるなら、会ってすぐに気がつくだろ』
『……いや。無条件で香りがするわけじゃない。なんかこう、自分の価値観を揺るがす衝撃が身に起こった末に、覚醒するみたいな……?』
そう言っているユージーンまで、首をかしげている。本当にちょっとした噂話程度のものだったのだろう。
『まあ、そんなふうに運命の人に出会えたら、もう奇跡としか言いようがないか』
話題を振ったユージーンも、結局は非現実的な迷信かなと考えを改めた。
『けれど、いたら凄いことだ。運命の香りを持った子なんて』
『女なんてどれも一緒だろ。それにそんな女――いるわけないけどな』
アルベルトは、そう口にして立ち上がった。
未だに飽きもせず一階フロアを見下ろし、女性を物色している三人の背後に近づいて、自分も一階フロアに視線を向ける。
『あ、アルベルトくん。あの子なんてどう?』
『いやいやお前、分かってねぇな! アルベルトはもっと、胸の大きい子が――』
『それは君の好みだろ?』
わいわいと賑やかな友人たちに、アルベルトは仕方なさげに口端を笑わせた。
そんなアルベルトの姿に、ユージーンは密かに思う。
『……アルベルト。もしもお前の前に、その運命の人が現れたら、どんな反応をするんだろうね』
◆◆◆
パチーン! と、乾いた音が響き渡る。
「ひどい……あんまりです……こんなこと、するなんて!」
頬を叩かれたアルベルトは、その衝撃に目を見開いた。
目の前には、見目麗しい少女が、大粒の涙をこぼしながら自分を強く睨んでいる。
「あなたには、心がないのですか! 苦しんでいる姿を見て、何も感じないのですか!?」
少女が何を言っているのか、アルベルトには理解ができなかったが――目を、逸らすこともできなかった。
(なんだ、この匂いは)
動悸が鳴り止まない。ようやく動いた瞼は、ぱちりと一度のまばたきをした。
頬がじんわりと温度を持ち始める。少女はかなりの力を振り絞って叩いたのだろう。
王子である自分が、手をあげられた。
だがそんな事実、今のアルベルトにはどうでもいい。
血が逆流する感覚が、確かにあった。
衝撃があった瞬間、どこからともなく漂ってきた、気を惑わせる匂い。
『お、まえ……』
言葉が詰まり、まるで体が自分ではないかのようにぎこちない動きしかできない。
――後に、アルベルトを叩いた無礼な女の名を、アメリアだと知る。
彼女からは、アルベルトが今までに嗅いだことがないほどの……身を焦がすような、甘い香りがした。




