69 それから
2話連続投稿です。
長きに渡る呪いは終わりを迎えた。
そして、夜が明ける。魔王城には、再び暖かな光が差し込みはじめた。
王座の間での出来事を知る者は、あの場にいた者たちだけである。
ユダは儀式を始める際、魔王城全体に魔法をかけていた。儀式の邪魔が入らぬよう、城にいるすべての者に眠りの魔法をかけたのである。
だが、その魔法はアルベルトたちには効かなかった。その時からすでに、ユダの力が綻びはじめていたのだ。
ユダの死後、魔王城を覆うように掛けられていた魔法はすべてうち消えた。
城勤めの魔族たち、そしてセルイラを除いた花嫁候補の令嬢たちは、何事もなかったように目を覚ましだす。
「……ふぁ……あれ、ここは……」
アメリアも、その一人だった。
天窓から照らされた陽の光がアメリアの瞼に触れ、眩しさからか目が開かれる。
『なっ!? おい、起きたぞ! どうすればいいんだよ!?』
『じゃあ、おはようお姫様とでも言って起こしたら?』
『んなこと言えるか!』
水神の冗談に、アルベルトは顔を赤くさせ反論する。そうしている間にも、アメリアの意識は覚醒していった。
「……アルベルト、さま?」
『……!』
アメリアと目が合ったアルベルトは、彫刻のごとくピシャリと体を硬直させる。
一体どういう状況が分からないアメリアは、自分が抱えられていることに気づくと、顔を真っ赤にさせた。
「え、えと、ど、どどど、どういうこと、ですか? アルベルト様がなぜ、わたくしを? あ、の……あっ、セラ!」
『ぐっ!』
縮こまるアメリアの視界に、セルイラが映り込む。その瞬間、アルベルトの胸板を押し退けたアメリアは、セルイラの元へと駆け寄った。
思わず出た行動ではあるが、ああも素早く自分の腕を離れられたことに、アルベルトは衝撃を隠しきれずにいる。
『まあ、そんなに落ち込まないで』
彼の肩をぽん、と叩いたのは水神だった。わざとらしい哀れみの目に、アルベルトは吠える。
『うるせぇ! なんで魔神は帰ったってのに、お前はいるんだよ!』
『魔神くんは働き者だからね。僕は……もうちょっと君たちのことを眺めていたいんだ。神子の力で少しならこの格好でも現世に留まっていられるし、いいだろう?』
神の気に、人は耐えきれることができない。そのため神は人の世に姿を見せるとき、別の生き物に擬態させて気を緩和させる。
青い鳥の「アオ」とは、そうやって生まれた存在だった。
しかし、神子がいれば話は別である。カミコであるその者の体を依り代に、少しの間だけなら本来の神に近い姿で現れることができるのだ。
「セラ、あの……! アオくんがいなくなってしまって! それで、探しに行こうとしたのですが……あれ? そういえばわたくし、探しに行こうとして、そのあとの記憶が……」
ユダの眠りの魔法により意識を失っていたアメリアは、頭に疑問符を何個も浮かべた。
「アメリア……ううん、アメリー。落ち着いて。アオは、わたしのところに来てくれたから、大丈夫よ」
彼女にどこから話せばいいのか整理がついてないセルイラは、どうにかその場を上手く誤魔化したのだった。
◆◆◆
――それから。
『なんだか今日は、騒がしいね』
魔王の住まう城。通称、魔王城。
東の棟の談話室にて、だらりと体を長椅子に預けた水神が言った。
『古城にいた連中が、ようやくこの城に戻って来たからだろ』
反対の長椅子に座っていたアルベルトが、そう答える。
近頃、魔王城は多くの魔族で行き交っていた。
200年前、セラがこの世を去り、まるで代わりとでも言うようにユダが魔王城に現れた。
ユダは魔王の新たな伴侶と云われていたが、肝心の魔王はその事について一切触れない。
しかし、ユダが何をするにも口出しをしない魔王に、魔王城の魔族たちは次第に伴侶なのだと認識していった。
だが、魔族の誰しもが順応することはできなかった。
城に長く勤める古参の魔族たちは、ユダに不信感を持つものばかり。
魔王に直訴したところで、魔王は黙秘を貫く。ついには第三代魔王が存命中に使っていたとされる古城へと飛ばされてしまった。
その実は、ユダを疑いかけている彼らが、ユダの標的とならないよう、ノアールがすべてを終わらせるまで彼らを匿っていたのだ。
そして軍も同じく、古城にて待機を命じられていた。
『ああ、だから急激に人が多くなったんだね。にしても、アルベルトはよく夜会を開いていたんだろう? 夜会に出席していた魔族たちは、城に出入りしていてよかったんだ』
『そいつらは、ユダのことなんてこれっぽっちも気にしてねぇよ。ほとんどが俺と、その娘に婚姻関係を結ばせたい奴らの集まり。あとはただの夜会好きな俺の派閥。それだけ』
『おにいさま〜』
そこで扉が開かれる。入って来たのはミイシェと、ニケだ。
ミイシェの今日の装いは、白を基調とした生地に、ほんのりピンク色を添えたドレス。
水神からは、天使みたいだねと言葉を貰った。
『アオくん、すっかりアルおにーさまと仲良しだねー』
『うん、嬉しいな。アルベルトも嬉しいよね』
『……』
ニコニコと笑った水神に、アルベルトはただ無言の圧力を返す。
その間にミイシェはアルベルトの隣に腰をかけ、テーブルの上に置かれた皿からクッキーを取った。
『ミイシェ様。まずは手をお拭きください』
『わすれてた! ニケ、ありがとう』
『いいえ』
渡された手拭きを使いながら、ミイシェはにっこりと可愛らしく笑う。ニケも同じように表情を和らげて返した。
『あのね、おにーさま。ナディのところ行ってきたよ』
『そうか。今日も変わりなかったか?』
『うん! でもね、また泣いちゃった』
『……だろうな。当分は泣くぞ』
かくいうアルベルトも、昨日顔を見せにナディエーナの部屋へ訪れた際には泣かれた。本人は、歳だから涙腺が脆くなっているのだと主張している。
ニケの母親であり、つい先日までユダの侍女として付き従っていたナディエーナ。
ナディエーナがユダに掛けられていたのは、真名を用いた主従の誓約である。
娘のニケに危害を加えないという条件で結んだ誓約は、ユダがいなくなると同時に解除された。
先日の王座の間に姿を現さなかったのは、同じく眠らされていたようで、魔王城にある自室で寝かされているところを発見された。
ユダは用済みであるナディエーナを先に殺めるつもりだったが、そこをユージーンが間に入り「自分が始末する」と申し出て、ユダから隠したのである。
もうしばらくは休養が必要だが、命に別状はない。ニケも心底ほっとしていた。
『あとね、帰りにユージーンと会ったよ。ヘトヘトだって言ってた』
『いいんだよ。あいつには、これから散々働いてもらうからな。いい気味だ』
ユダの言いなりとなり、今までユダに加担していたユージーンは――その罪を、赦された。
セルイラと、ノアール、そしてアルベルトによって。
『今ごろメルウに、扱き使われてんだろ』
また、ユダの件を公にするべきではないと提案したのは、副官のメルウである。
魔王ともあろう者が、理由があったとはいえユダによってこの200年間、力を制限されていたと知られれば心象が悪くなってしまう。
今のところ魔王に対しても反対勢力が生まれないのは、ユダによって誓約が掛けられてもなお、魔王としての執務を疎かにすることがなかったからだ。
むしろいつ休んでいるのかと臣下から不安に思われるほど、ノアールは魔王としてやるべき采配を振るっていた。
魔界の統治にユダが関心を一切持たなかったのが、せめてもの救いである。
だが、ここでユダに弱味を握られていたと知られてしまえば、どう転ぶかは分からない。
そのためメルウは、ユダと魔王に施されていた誓約の事実を、明かさないことを決定した。
しかし、ユダの存在は他の魔族にとっても強い印象を植え付けていた。
突然現れ、突然消えたユダに、このままでは納得しない者も出てくるだろう。
その対処を、現在ユージーンは城を駆けずり回って行っている。
つまりは、今回の件に関してすべてを知る一人であるユージーンが、尻拭いをしているのだ。
どんな処罰も覚悟の上だと言ったユージーンは、自分が極刑になるとばかり思っていた。
だが、それはアルベルトが許さなかった。
『……ふんっ、あいつには一生、俺の下で働かせ続けてやる』
子として、母親であるユダに情を動かされてしまったユージーン。
けれど、ユージーンが抱いたユダに対する想いのすべてを咎めることが、アルベルトにはできなかった。
だからこそ、自分のそばに置くと決めた。
そしてもうすぐ、魔界に召喚していた花嫁候補の令嬢たちを、オーパルディアに送り届ける手筈となっている。
神殿まで送り届け、王城にて今回の非礼を詫びるのも、ユージーンの責務であった。召喚の実行犯はアルベルトだが、さすがに王子を簡単に出すわけにいかない。むしろ代行で謝りに行くことも、立派な償いだとユージーンは言っていた。
その時、アメリアはもちろんだが、セルイラも一度オーパルディアに戻ることになっている。オーパルディアに残していた、もうひとつの家族に自分の事情を説明するために。
『はいっ、おにいさま! このクッキーおいしいよ!』
『んぐぐ!? ゲホッゲホッ! 突然口の中に物を入れるな!』
アルベルトが色々と考え込んでいれば、隣に座るミイシェから口にクッキーを突っ込まれる。
咳をしながら胸を叩き、ニケに渡された飲み物を喉に通した。
『だって〜これからママとパパのところ行くのに、アルベルトおにいさま、ぼうっとしてるんだもん!』
『もっと他のやり方があっただろーが!』
『ごめんなさい』
そんな可愛らしい顔でしゅんと謝られてしまえば、それ以上のことをアルベルトも言えなくなってしまう。
ぐぐっと堪えて「もうやるなよ」とミイシェの頭をぽんと撫でた。
ちなみにこの会話、昨日も水神とニケは聞いている。
『本当に君たちは、仲の良い兄妹だね。セラも可愛がるわけだよ』
『……』
水神の言葉に、アルベルトはピクリと反応を示した。
そういえば、水神には尋ねたいことがあったのだ。
『おい――アオ。お前って、母さんのこと好きだったのか?』
『え、好きだよ』
けろりと答える水神に、アルベルトは気まずそうに眉を寄せた。
『それって、その……どうなんだよ』
『どうって?』
『ミイシェから聞いた。お前は、母さんが好きで200年前にも加護を与えた。で、今回もそうだ。ずっと見守ってたんだろ。そうまでしたのに――』
『そこまでしておいて、結局はまた、ノアールと結ばれた?』
『……うっ、それは』
アルベルトは目を逸らした。そこまではっきり言われると、どう返していいものか悩んでしまう。
アルベルトの立場としては、ノアールとセルイラが再びめぐり逢えて、想いが通じ合った。とても喜ばしいことである。
けれど、こうして水神と顔を合わせる機会も増えてきた。つい気にしてしまうのだ。
『……アルベルトってさぁ、根は本当にいい子だよね。意地っ張りだし、暴走するし、アメリアにもそれで誤解されてたけど』
『なんでアメ……アメリアが出てくるんだ!』
『はいはい。未だにさらりと名前を言えないなんて、微笑ましいよ』
『こいつ!』
『まあ、なんていうかな。確かに思ったよ。彼女が200年前に死んだとき、僕ならこんな悲しい最後にはさせない。僕なら助けてあげられるのにって。だけど、根本的に違うんだよ』
興奮していたアルベルトは、いつの間にか水神の話に聞き入っていた。
『根本的って、なんだよ?』
水神の瞳が、ふっと優しげに揺れる。
アルベルトとミイシェを見つめて、思いを馳せるように。
『ある時、気づいたんだ。僕はただ、彼女に心から幸せになって欲しいって。心から笑い、心から幸せだと思って欲しい。それには絶対に、君たちが必要なんだ。僕では、全く意味がない』
『……アオくん』
複雑そうにミイシェがつぶやく。
そんな言葉を聞いてしまえば、嫌でもしんみりしてしまう。
とはいえ、水神本人は案外ケロッとしていた。
『そう思い悩まないでよ。僕は水神だよ? 神様に同情するなんて、君たちなかなか大物だね』
くすくすと笑う水神に、アルベルトは口を開く。
『――ありがとな、アオ』
『……え? 今なんて?』
『だから、ありがとなって言ったんだよ!』
『僕、なにかお礼を言われるようなことしたっけ?』
素っ頓狂な顔をする水神は、珍しく素直なアルベルトに恐縮してしまっていた。
『なにって、お前がいなかったら、そもそも母さんは生まれてきてないだろ! 本当に、一番最初のきっかけを作ったのは、アオじゃないのかよ』
『きっかけ……うーん、ちょっと違うかな。きっかけがあるのだとしたら、やっぱりセラだ』
水神は、ふいに思い出す。自分が海の生物に擬態した時のことを。
200年前のセルイラ――セラに水神が興味を抱いたのは、彼女が同じ村の子どもたちから救い出してくれたからだ。
水神が誤って捕まった回数は、二度。セラが助けてくれたのは――二度目のときである。
一度目に村の子どもに生け捕りにされたとき、水神は頃合いを見て適当に海へと帰った。
その時、他にも見て見ぬふりをする子どもの姿があったことを、水神は覚えていた。
見て見ぬふりをして、知らん顔で村に引き返した少女――それが後の、ユダである。
『……やっぱり。最初のきっかけを作ったのは、セラなんだよね』
ふっと笑った水神に、アルベルトもミイシェも首をかしげた。
『まあ、これは僕だけの秘密にしておこう』
『え! アオくんひどい! ミイシェ気になる〜』
『もったいぶるんじゃねえ! そこまで言いかけたなら話せよ!』
『そのうちね』
やいのやいのと催促する二人をあしらいながら、水神はふわりと宙に浮く。
『今日はそろそろ帰ろうかな。君たちも、セラとノアールのところに行くんだろう? じゃあ、またね』
有無も言わせずに、水神はぴちゃんと雫の音を響かせて消えてしまった。
アルベルトとミイシェは、お互いに納得がいかない顔を見合わせ、ため息をこぼす。
『……おにいさま、ママとパパのところ、いこう?』
『ああ、そうだな』




