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66 祈りが生む奇跡



 光の粒子が、ノアールの体を優しく包む。

 額に贈ったセルイラの口づけは、たちまちノアールに変化を起こし始めた。


『……体が』


 外見からそれほど変わったところは見受けられないが、ノアール自身は何かを感じ取っていた。久しく味わっていなかった体の軽さに困惑すらしている。

 けれどこころなしか顔色が良くなっていた。


『成功したみたい。よかった』


 間近でノアールを視認しながらセルイラは胸を撫で下ろした。


『ママ……ママァ!』

『うあっ!?』


 様子を見守っていたミイシェが我慢できずにセルイラとノアールの間に飛び込んでくる。

 それに巻き込まれたのは、隣にいたアルベルトだ。

 ミイシェによって前に押し出され、そのままなだれ込むように体勢を崩した。


『…………』


 予測していなかった衝撃に、ノアールの体は後ろへと倒され、後頭部を床にゴツンとぶつけていた。

 ユダの誓約は解けたので体の自由は利くはずなのだが、急すぎたため受身を取るので精一杯だったようだ。


『ママ、ママなんだよね!? ほんとうに、生きてる?』

『うん、ミイシェ。生きてるよ』

『おいミイシェ、落ち着け……! とりあえず父さんから降り……』

『ううう、よかったぁ……』

『聞いてねぇ!』


 セルイラに続いて、アルベルトとミイシェもノアールの体の上に乗っかっている。

 負担が掛からないように、まずは退()こうとするアルベルトだったが、感極まったミイシェを抑えるのは困難であった。

 そんな光景をノアールは、目を見開いて静かに眺めている。


 収拾がつかない。しかし、誰もが訪れたばかりの奇跡を噛み締めていたときだった。

 ただ一人だけ、それをよしとしない者が声をあげる。


『いったい、どうなってんのよ。意味が分からない! どうして死んだはずのあたしの器が生きてるの? そんなの許さない……許されないわ!!』


 よろよろと、おぼつかない足取りでユダはこちらに近づいて来た。

 庇うように前に出たニケとメルウが、睨みを利かせる。けれどユダには、セルイラとノアール以外眼中に無いようだった。


『…………あんた、セラっていうの? セルイラ・アルスターじゃなくて、セラ? ねえ、セラってまさかあのセラじゃないでしょうねぇ?』


 さすがに家族四人が床で戯れていられる状況ではない。いち早く立ち上がったセルイラは、メルウとニケが盾となるすぐ後ろから、ユダに向かって答えた。


『わたしは、セルイラ・アルスターよ。だけど、セラでもある。わたしには200年前に生きていた、セラの記憶がある。そして、水神様によって心と魂を溶かされることなく、生まれ変わった』

『……は、なに馬鹿なことを言ってんの?』


 ユダは鼻で笑ったが、セルイラは至って真剣である。

 会話を聞いていたミイシェは、小さな声で「アオくん、いったんだね」とつぶやいた。


 セルイラはすべてを教えられた。息を引き取ったあのあとで。

 現実の世界で死んでしまったセルイラは、その心と魂を水神によって創り出された別の空間に一時的に移動させられたのだという。

 そこで彼女を待っていたのが、水神だったのだ。


『水神……水神なんて、いるわけないでしょ。神なんて、人が勝手に抱いただけの、幻想の塊なんだから!!』

『――いるよ。君のすぐ、目の前に』

『……なっ!?』


 音もなく、彼は――水神はユダの前に現れた。浮遊した雫の中心で、ふわふわと足を床から離す彼は、ほかの者とはあきらかな異質さを放っている。

 いつだったか。城内の水場でセルイラと対面したとき同様の姿をした水神は、言葉を失ったユダに笑いかけた。


『僕が、水神だよ。……あ、言葉はこれで合っている? ちゃんと、聞こえている?』


 流暢な魔界語を水神は話す。神である彼は、言語の切り替えも可能にしてしまうのだろう。


『アオくん! きこえるよ!』

『あ、ミイシェ。こうして現実で会うのは、はじめてだね』

『な……ミイシェ、おい。あの男が、水神、だと?』

『うん。そうだよ。名前はアオくん。オーパルディアをまもる、水神さま!』


 得意げな顔をして、ミイシェは鼻を高くする。

 水神の出現に思考がはっきりしているのは、セルイラとミイシェくらいだろう。

 ほかは神が目の前にいることに、またもや夢なんじゃないかと自分の意識を疑っている。


『……それと、はじめましてだね、ノアール』


 水神はふわりと空中を移動して、ようやく体の調子を取り戻し立ち上がったノアールの前までやってきた。


『……水の神が、私を知っていたのか?』

『あはは、君のことは、ずっと前から知っていたよ。それこそ200年前からね。どうしてかって聞かれると、それは僕がセラに加護を与えていたからかな』

『……なぜ、私の誓約は解かれた? 水神の祝福とは、なんなんだ?』

『セラから貰った、水神()の祝福のことだね。……それは、君の願いが生んだ奇跡なんだよ、ノアール』


 ノアールは心当たりがなさそうにしているが、彼は確かに、ある奇跡を起こしていた。


 ――この200年間ノアールは、毎晩欠かさずにおこなっていたことがある。

 それは、水神に祈りを捧げ、願うことだ。

 どんなに疲弊していようと、ノアールはそれを一度たりとも疎かにしたことはない。


 魔神を信仰する種族である魔族が、人間の信仰対象である水神に祈願することは、極めて珍しいことである。

 というより、魔界のそこかしこを探し回ったとしても、ノアール以外に該当するものはいなかっただろう。

 それも200年という途方もない月日。正確に数えれば200年と、加えて数年。

 オーパルディアの神官といえど、長くて50年……仮に多く見積ったとしても、70年ほどだろう。

 その倍以上にもなる祈りを、ノアールは今まで請い続けてきた。


 誰もが真似できることではない。

 年月が過ぎれば想いの形も、大きさも、熱量も、薄れて変化していくのが、意思のある者達の特権である。無情といえばそれまでだが、忘れていくことで救われる者が一定数いるという、ごく自然の原理の一つだ。

 だが、ノアールはそれを放棄するどころか、想いが変わることもなかった。むしろ年々、その想いは強くなる一方だったのだ。


 ――結果的に、それはノアールの水神への信仰力を高めていった。


『ノアール。君はいつも、誰かのために願い続けていたね。200年間、揺るがずに。そこに自分の私欲は一切ない。いつも想っていたのは、君が大切にする人たちの救いと安寧だ』


 そう言って水神は、周囲の人々に視線を向ける。途中セルイラと目が合えば、彼女は目尻を周りに気づかれないように拭っていた。

 水神からノアールのことを語られ、それがセルイラの琴線に触れたのかもしれない。

 事前に話してはいたが、やはりノアールの姿を見ると感情が揺さぶられてしまうのだろう。


『自分のためではない、誰かのために祈り、願いを込める。それがどんなに尊きことなのか、知っている?』

『――……』

『悔しいけどね。君の愛情深さには、恐れ入ったよ』


 聞こえるか聞こえないかの声で、水神はぼそりと言う。

 ノアールは居た堪れない様子で水神を見返していた。

 まるで良いおこないをしたように聞かされるが、彼にとっての水神に祈る行為は、自分への戒めの意味も込めていたのだ。


『私は……祝福を与えられるほど、清き者ではない。そうすることでしか、償うことができないと感じたからだ』

『……もし、君の言うようにそれが償いだとしたら、君の償いは終わっていると思うよ。僕が言うんだから、絶対ね』

『それは――』

『まあ、君に神の意志を強引に押し付けるつもりはない。この事態が収束したときに、当人同士で話し合えばいいよ』


 納得がいかない様子のノアールの言葉を、水神はケラケラと笑って遮った。


『つまりノアール、君にはね。魔族の王――魔王でありながら、水神()の祝福を受け取れるだけの信仰力が備わったんだ。だからこそ祝福の力で強力な真名の誓約すらも打ち消すことができた。僕がこうして生身の人の前に姿を現せるのも、ミイシェとノアールが、依り代のような役割を果たしてくれているからなんだよ』


 神とはいわば、この世のすべてである。

 神が存在するからこそ、世界は存在する。本来ならばその存在が、そう易々と人前に降りることはないとされていた。

 力という概念を通り越し、神に干渉しようとすれば、神の気に当てられた生き物は世界の一部となり消えてしまう。

 それでも神との交流を実現するために編み出されたのが、神降ろしと呼ばれるものだ。

 信仰力の高い者が特別な手法のもと祈りを捧げることで、神と一時的に対話が可能となる。


 その信仰力が高い者を――ある時代では、神子(カミコ)と別称された。


『神の子と書いて……()()()。ミイシェは元々、カミコの資質がある。理由はおそらくミイシェの母親であるセラに加護を与えていたからかな。だから僕は、ミイシェの精神世界に入り込んでミイシェに干渉することができた。それでノアールは、この200年の歳月におこなってきた祈りの結果、カミコに近い状態になったんだよ』


 またセルイラは、200年前にセラとして命を落とし、水神に心と魂を触れられたことにより、水神と確固たる繋がりが出来上がった。

 セルイラが水神の力で生き返ることができたのも、そういった理由が含まれている。

 

 付け足して水神は「ちなみにアルベルトは、魔神の加護が強くて僕は干渉できないよ、ごめんね」と笑った。

 謝られたアルベルトは「なんで謝られるんだ……」と、解せないのか不服そうにしていた。


 まとめると、加護は神の気まぐれによって与えることも、奪うこともできる。

 けれど祝福は、その者のおこないを映し出す特別な奇跡のようなもの。

 だからこそノアールは、水神の祝福を授かった。




『――だから、なんだっていうの。あたしにはそんなこと、関係ないのよ!!』


 水神の言葉すらも、今のユダには耳障りなのだろう。

 セルイラが生き返り、ノアールの誓約はもうない。

 それでもユダは儀式に固執し、高らかに叫ぶ。


『ふ、ふふふ。大丈夫に決まってる。あたしには、ジグデトス様の力があるんだから。だから、だから……さっさと死ねぇ!!!』


 乱れに乱れた髪を、さらに振りかざす。


『ああ――もう、限界だね。君は』


 水神は憐れむように、正気を失いかけているユダを見据えた。





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― 新着の感想 ―
[一言] まぁ、確かに。 限界だわな…(。-_-。) 色々と、触れている(^^;;
[一言] 魔王なのに神子になったってか!? ノワール…すげぇな(笑) 200年祈ってたんだもんなぁー。 でも加護を与えるのは水神くらいかも知れんねぇ。 無茶苦茶な神様だからww
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