60 花嫁候補と、器
(――器)
おかしなことに、たったそれだけの言葉で、セルイラの身の毛がよだつ。
「器って、なに……どういうことですか」
問いただそうとするセルイラを前に、ユージーンは黙りこくっていた。
それほど言いづらいことなのだろう。
理由は分からずとも「ユダの器」と聞いただけで、鳥肌を立ててしまうほどには、セルイラにとって良い話でないのは確かだ。
「……ユージーン様。わたしをここへ連れてきた理由を、教えてくださると言いましたよね?」
「……ああ、そうだ」
「なら、おっしゃってください。その権利が、わたしにはあるのでしょう」
焦らされるくらいなら、一思いに言って欲しい。
そう語るセルイラの強い眼光に充てられ、ユージーンはようやく重い口を開いた。
「セルイラちゃんは、彼女の――ユダの、代わりの肉体になるために、ここに連れて来た。君を殺して、空の状態となった君の体を、ユダは得ようとしているんだ」
……たしかに理由をいち早く求めたのは、セルイラ自身である。
けれど、誰もそんな答えを求めていたわけではない。
だからといって、求めていた答えがあったといえば、ない。
「あなたは……なにを、言っているんですか……?」「人間の君には、理解の範疇を超えるだろうね。だが、それを可能にする手立てがある。それを彼女は、今夜実行するつもりなんだ」
「……わたしを殺して、その体を得る? 空の状態って、それは」
「君の心と魂を、体から完全に切り離す。体だけとなった君を、彼女が乗っ取る、ということだよ」
「……」
言葉にならない。意味が分からない。それでも会話を成立させるには、無理にでも理解するしかなかった。
ユージーンは、いつから定めていたのだろう。
それだけではない。ユージーンの口ぶりからすると、彼はユダと結託しているように聞こえる。
セルイラがユージーンと初めて会ったのは、アルベルト主催の茶会の席だ。
その時からすでに、セルイラを器として決めていたのだろうか。
単純な疑問だった。
他の誰かではなく、なぜ、自分が器として連れてこられたのか。決め手となったのは、どこなのか。
「……どうして、わたしなんですか」
「それは……最終的に、ユダが君を選んだから」
「わたしを、どうやって? なぜわたしを知っているんです? それに、最終的にって?」
次から次へと出てきてしまうが、謎が尽きることはない。
一度、周りを気にしたふうに見渡したユージーンだったが、再びセルイラへと視線を戻す。
ユージーンはセルイラの疑問を、すべて話し始めた。
そして、セルイラは絶句する。
ユダは、ユージーンの働きによって、かなり初めの頃から知っていたのだ。
アルベルトとメルウが、オーパルディアに書簡を送ったと同時に、ユージーンはそれを不在にしていたユダに伝えた。
なにやら企んでいる様子のアルベルトとメルウだったが、ユダはそれを良しとし、ユージーンにあるお願いをしたのだという。
「確実に、その花嫁候補となった令嬢たちを、魔界へ寄越すように根回しをすること。器を探していた彼女にとっては、またとない好機だったんだよ」
ユージーンはオーパルディアに向かうと、城に勤めていた数人の臣下の意識を奪った。
魔界から送られてきた書簡の対処、そして令嬢たちの選定について決議がおこなわれていた重要な場で、ユージーンは臣下らを操り多数票になるよう仕向けたのだ。
元々、オーパルディアに反抗する意思がないとはいえ、念には念を入れる必要があった。
派手な魔法よりも、精神関与といった細々とした魔法を得意とし極めていたユージーンにとっては、複数の人間の意識を操作するのは非常に容易なことである。
操られた臣下たちは、数日が経てば自我をまた取り戻す。意識を奪われていた間の記憶は一切覚えておらず、ユージーンには都合のいい魔法だった。
「そして、アルベルトの花嫁候補の令嬢たちの中から、ユダの器の候補を選ぶのが、俺の役目だった」
衣服に寸法があり、人によって合う合わないがあるように、器を選ぶためには条件が存在した。
「確かめるには、双方の血液を合わせることで判断ができる。そしてセルイラちゃん。君が……一番にユダの血と、交わった」
「わたしの、血……? そんなの一体どこで――」
咄嗟にセルイラは、言いかけて止めた。
それほど長い期間を魔王城で過ごしたわけではない。
順を追って思い出せば、いつ自分が怪我をしたのか突き止められる。
「まさか……」
セルイラは、恐る恐る触れた。自分の首筋に。
そして、ユージーンをきつく睨みつけた。
「ユージーン様、だったんですか。夜会のとき、グラスをわたしとアメリアに魔法で投げつけたのは!」
夜会に参加していた魔族の少女たちが、嫉妬のあまりセルイラとアメリアにグラスを飛ばした。
そうセルイラは、メルウから聞いている。
けれど、セルイラが覚えている限り、肌を傷つけたのは、あの夜会だけしかない。
「……否定はしない。ただ、一つだけ訂正するなら、主犯は間違いなく彼女たちだったよ。隙を狙って君の首筋にガラスの破片を当てたのは、俺だけどね」
もうユージーンは、隠すことも取り繕うこともする気はないようだ。
彼の顔には、あきらかな罪悪感がある。
だからこそ、セルイラの怒りは募っていった。
「どうして、そんなに悪かったと今も思っているならば、どうしてユダに、手を貸しているんですか!!」
声を荒らげて、セルイラはユージーンに言葉を投げる。
ユージーンの瞳が、ほのかに揺れた。
「さっきも、言ったよね。それは彼女が、どう足掻いても、俺の母親だからだ」
「な――」
「セルイラちゃんには、分からないよね。魔族には、一人一人の心の香りを判別する能力がある。そして、この城で初めて彼女を目にしたとき、どうしようもない心地になった」
心の香り。それはアルベルトやミイシェも言っていたことだ。
「色々な感情が湧き上がった。中でも一番に感じたのは、彼女に対する同情だった」
「だから、協力をしているんですか……? そんな、そんなの……」
普通に考えれば、気がおかしいとしか思えない。
しかし、セルイラはそうだと言うことができなかった。
自分には、ユージーンが言うような心の香りを感じることができない。
ユージーンがそれによって、どう思い、どう考え、加担する道を選んだのか、想像することすら難しいのだ。
(だけど……)
セルイラは、ぐっと歯の奥を噛み締める。ほとんど床にひれ伏した状態のまま、ユージーンを見上げた。
「――アルベルトは、友達なんでしょ」
「え……?」
「あなたは、アルベルトの一番の友達なんでしょう。アルベルトは、あなたに気を許しているみたいだった。生意気で、言葉足らずで、度が行き過ぎてるところもあるけど……あなたが叱っていたとき、ちゃんと聞いていたわ」
「セルイラちゃん? なぜ、アルベルトのことを」
セルイラの口調が変化し、ユージーンは戸惑いを見せる。
セルイラが素に戻ったというよりも、アルベルトに対する彼女の姿勢に違和感を覚えたからだ。
「きっとアルベルトは、口には絶対に出さないけど、あなたを大切な友達だって心から思っていたはずだわ。アルベルトのことも、ずっと、ずっと騙していたの!? アルベルトの一番近くにいたのは、都合が良かったから……?」
「……っ」
堪らなく悲しくなってしまった。
セルイラは200年前に命を落として、ノアールは呪いによって子どもたちを避けていた。
アルベルトは、きっと寂しかったはずだ。
しかし、ユージーンを前にしたときのアルベルトは、自分で気がついているか分からないが、楽しそうに笑っていた。
彼の存在は、アルベルトにとっても大きかったに違いない。
憎まれ口を叩いたり、つっけんどんな対応もしていたが、メルウとはまた違った気の緩みがユージーンを前にするとあったのだから。
そばにいることができなかったセルイラが、偉そうに言える立場ではないのかもしれない。
それでも、アルベルトの顔を思い出すと、自分を制止することができなかった。
「ユージーン様にとって、アルベルトは、どうでもいい存在だったの……?」
「違う!!」
まるでユージーンの感情と同期するかのように、部屋の景色がぐにゃりと歪んだ。
これまでの彼からは比べ物にならない余裕の無さと、じりじり響く声量。
否定したユージーンに、いつもの軽快さは全くなかった。
(そこを、はっきり言えるのね)
ふと、安堵の息がセルイラから漏れる。
きっと今のが、彼の根底にあるものなのだろう。
「……はは、」
自分でも驚いたのか、ユージーンからは乾いた笑いがこぼれる。
しかし、その顔には、嘲笑が浮かんでいた。
「もう、駄目なんだ。引き返せない」
ふらふらと、ユージーンは着いていた片膝を伸ばして、立ち上がる。
そのまま部屋の端まで移動し、そっと壁紙に触れた。
「アルベルトの話をされて、驚いたよ。セルイラちゃんは、一体何者なんだ?」
「わたしは――!?」
突然、セルイラの全身に負荷がかかった。
体の上に何かが乗っているわけでもないのに、床に叩きつけられそうなほどの強い衝撃。
これは、もしや。
(魔力縛り……!!)
息はできるが、壁際に移ったユージーンを確認することが困難となる。
抗って腕を床に立てようとするが、それを阻止するように、さらに体は見えない何かに縛り付けられた。
「ぐっ……」
「ごめん、動かないで。大丈夫だから。おとなしくしていれば、俺の魔力縛りは痛みを感じない。ただ、体がとてつもなく重く感じるだけで済む」
ユージーンの声が上から降ってくる。
息を荒らげたセルイラは、懇親の力を振り絞ってなんとか顔をあげた。
「ユージーン、様。なにを」
『……おかしいな。普通ならば、声も出せないはずなのに。それにいつもより魔力縛りもやりにくい。まるで誰かに――護られているみたいだ』
自分の呼吸音に消され、ユージーンが何を言っているのかセルイラには聞こえなかった。
ユージーンもセルイラに話しかけているつもりではないのだろう。
ただ、彼が次の行動を取ろうとしているのは、空気で察せる。
『時間……かな』
――コンコン、と。
ガラスを叩くような、軽い音がした。
部屋にはそのような備品は一切なさそうだったのに、その音はまた、二度、三度と聞こえてくる。
「セルイラちゃん。ここはね、俺が仮に繋げた城の部屋なんだ。だけど、本来いる場所は、また別にある」
――コンコン、コンコン。
――コンコン、ココン、コンコン。
どこから聞こえてくるのか分からない不気味な音。まるで自分が呼ばれているようだと、セルイラは感じた。
「……彼女が、お呼びだ」
セルイラが伏せっている床が、ぐにゃぐにゃと変化を始めた。
頭が完全に下に固定されているため、周りはどのように変わっているのか目視できない。
(床の色が……)
真っ黒な石の床が、セルイラの目の前に現れた。
所々にクリスタルの欠片を細かく散りばめた夜空のような造りの床は、魔王城の中でも一室しかない。
(まさか、ここは玉座の間なの?)
セルイラが床の造りで場所を判断していた時。
『――ふふ、ようやく実物が見られる』
またしても、声が降ってきた。
今度はユージーンではなく、高い女性の声である。
ふんわりと漂う、香水の匂い。なぜかそれが、セルイラには不快に感じた。
『ユージーン、よくやったわ。あなたは本当にいい子ね。あたしのために、ここまでしてくれて。母親として誇りに思うわ』
『――。いえ』
『でもねぇ。これじゃあ、肝心の顔が見えないの。ちょっとだけ、魔力縛りをゆるめてくれる?』
すると、セルイラの体が少しだけ軽くなった。
『さあ、顔を見せて』
呼吸をする余裕がないまま、セルイラは床に体を付けた状態で、無理やり顔を上に向かされる。
首が限界まで曲がり、息が詰まりそうになった。
『ああ、そうそう。この顔。ふふ、この顔が良かったの。あたしの器になる、顔』
セルイラを見下ろす女――ユダは、唇をにんまりとさせ、ゾッとするほど綺麗な微笑を浮かべた。




