52 半魔
本日2話目です。
その場で膝を折ったセルイラは、両手で顔を覆い隠した。
足先から伝わった振動が、畔の水面に円を描く。
(……ダメダメじゃない。あの人に言いたいこと、何ひとつ言えてなかった)
冷たい指先がカタカタと震えている。思った以上に自分は緊張していたようだ。
(うん、分かってた。メルウさんも、ニケも、この姿のわたしに少し寂しそうな目をしていたし)
今の自分は、昔の自分を羨ましく感じている。それがセルイラの抱える迷いのひとつだった。
気づいていながら、気づかないようにしていた。それがノアールとの対話によって浮き彫りになる羽目となった。
ノアールの事情を知りもせず、アルベルトに魔界へ召喚されたあの日のセルイラなら、間違いなく自分のことを明かせていたのだろう。
「あなたって……どれだけわたしを、大切にしてくれていたの」
あれだけの例えを、気恥しい素振りもせず真摯に言ってのけていた。
不器用なノアールの想いの深さを、ようやくセルイラは気づくことができたのだ。
自惚れではない。おそらくノアールという人は、200年前に自分に別れを告げた時も、そうだったのだろう。
(奇跡は、あってはならない……か。さすがにちょっと、痛かったけど。そうよね、普通ならこんな奇跡、起こりようがないものね)
考えをまとめたセルイラは、息を吸って、身体中の力を緩めるように吐き出す。
(諦めたくないって、決めたんだから。落ち込んでいたって、どうにもならないわ)
今さら姿を変えることはできない。この姿もまた、自分自身なのだから。
「ふぅ…………よし」
「セルイラちゃん、魔王様と何を話していたんだい?」
セルイラが顔を上げたと同時に、右隣から声がした。
ビクリと肩が跳ねる。顔を向けると、そこにはセルイラと同じような姿勢で身を屈めたユージーンがいた。
「ユ、ユージーン様」
驚いた拍子にセルイラの重心が後ろへ大きく傾く。このままでは尻もちをついて転倒してしまう、と覚悟をしたところで、力強くユージーンが手首を掴んだ。
「おっと。ごめん、驚かせたね」
体重をすべて預ける形で、セルイラは彼の手に支えられていた。
下から見上げるユージーンの顔は、逆光で窺うことができない。
けれど苦笑しているのが気配で感じられた。
「はい、起こすよ」
「申し訳ございません」
ゆっくりと、体を引き上げられる。
時折、太陽の端がユージーンの頭の横からチカチカと顔を出した。
眩しさに目をすぼめたセルイラは、照らされたオリーブ色の彼の髪に胸騒ぎを覚えた気がした。
「ユージーン様……」
「うん?」
「あ、いえ……起こしてくださってありがとうございます」
釈然としないが、セルイラは助けてくれたことに頭を下げる。
そんなセルイラを、ユージーンは笑っていながらもどこか凝望していた。
「君は不思議な人間だな、セルイラちゃん」
「はい?」
「アルベルトに、ミイシェ姫……それに魔王様。君の周りには、どういうわけかあの家族がいる。それって、凄いことだよね」
「……。そうですね、わたしも驚いています」
「そうでなくても君は、他の子たちとどこか違うよね。アルベルトに深い関心を持っていたようだし、変に肝が据わっているところがある」
細く形を作った瞳が、セルイラを注意深く探っている。
「ユージーン様。なにか私に……聞きたいことが?」
切り出したセルイラに、きょとんと目を丸くするユージーン。
くすくすと可笑しそうに笑いを噛み締めたあと、辺りを憚るように言った。
「いや、ごめんごめん。もしかして、君は半魔か何かなのかなって気になって」
「……半魔?」
「うん、その反応だと、違うみたいだね」
今まで耳にしたことがあっただろうかと頭の引き出しを開いてみるが、全く見当たらない。
それが伝わったのか、ユージーンは半魔について話し始めた。
「半魔というのは、ただの人間が儀式により、事実上魔族になった者を指す言葉だよ」
「人間が、魔族になる? そんなこと……初めて知りました」
「はは、そうだね。半魔の儀式は、限られた魔族だけが知り得る秘術なんだ。適応させるには、濃度の高い魔力を持った魔族でないといけない」
濃度の高い魔力──魔族の世界では、魔王の血族が一番に挙がる。
しかし、その話を人間である自分にする必要性がどうしても見いだせず、セルイラには薄気味悪く感じた。
すると、身を引くようにユージーンが一歩後ろに下がった。
「変な話を聞かせちゃったね。ただの世間話だと思って聞き流していいから」
「……あの、ユージーン様は……誰か、半魔の方をご存知なんですか?」
彼の言葉の端々からは、そのような気配が確かにある。
「知ってるよ。ほら、セルイラちゃんにも話しただろう? 俺を産んだ、母親がそうなんだ」
答えたユージーンの浮かべる笑みは、諦めの色を孕んだような物悲しさがあった。
「そう、でしたか」
限られた魔族のみが扱える儀式により、人間が半魔となる。
その限られた魔族にユージーンが含まれているということなのだろうかと、セルイラは思考を巡らせるが、すぐに遮られた。
『おい、ユージーン! いきなり消えたと思ったら、なに勝手に転移してやがる!』
「ああ、見つかった。意外と勘がいいほうで参るよ、アルベルトのやつ」
遠くから、アルベルトの喚き声がする。
ユージーンはアルベルトたちの目を盗んでセルイラのところに来たようだ。
「セルイラちゃんが、半魔でなくてよかったよ」
最後に、ユージーンは呟いた。




