50 拒絶に似たなにか
嘘偽りないセルイラの言葉を聞いたあと、アルベルトはめっきりおとなしくなってしまった。
アルベルトは、セルイラが母親の心を持って生まれた存在だと納得したのだろうか。
握られた手を振り払うことはせず、かといって握り返すこともなく、セルイラの姿をぼんやりと見つめていたように思う。
沈黙のあと、瞳から威圧の色が薄れたアルベルトは、木陰を離れふらふらと歩き出した。
ノアールやメルウたちがいる場所へ戻ろうとしているようだ。
『ア、アルベルト?』
自分はこのまま放置なのかと声をかければ、アルベルトは肩越しに振り返る。
『どこに行くの?』
『……ひとまず戻んだよ。これ以上は、ユージーンが変な好奇心で探りを入れてきそうで鬱陶しいからな』
だったらそう言ってくれればいいものを。妙によそよそしい態度のアルベルトに、先ほどまでの彼とを思い浮かべて困惑した。
『おにいさま、きっとわかったんだよ。ママがママだって』
『ミイシェ、余計なこと言うな』
すかさずアルベルトが制止した。
ミイシェは反論のつもりで、ぷぅー、と頬を膨らませる。
人間のセルイラには、魔族特有の感覚に理解が追いつかない。しかしアルベルトは憑き物が取れたような、先ほどの反抗的な空気が払拭されたような気がした。
アルベルトは、念を押すように口を開く。
『それと、ミイシェ。父さんがいるところで、そいつのことを母親だのなんだのってのも言うなよ』
『……ダメなの?』
『絶対、駄目だ!』
ふん、と鼻を鳴らして今度こそ歩いて行くアルベルトは、聞こえるか聞こえないかの際どい声量で言い捨てる。
『……本人から言わねぇと、意味ないだろうが』
『待って、アルベルト。それって──』
いまだに半信半疑の部分がアルベルトにはあった。
自分の口からセルイラの正体が誰なのかをノアールに言う気もなく、だからといって頑なにセルイラの存在を否定する気は、もうなかった。
セルイラが言葉の真意を確かめようと動く。その後ろを雛鳥のようにミイシェがトコトコとついてきた。
アルベルトが、不意に動きを止める。
しかしそれは、セルイラが引き止めたからではないようで、ブツブツと独り言を始めた。
『……あー、うぜぇ。特にユージーン、面倒くせぇ。そういっぺんに念話するなよ。あいつら。三つも声を拾ってられるか』
『なに、どうしたの?』
心配になってアルベルトの前方に回り込む。
眉間に皺を寄せたアルベルトは、そんなセルイラをじっと見下ろす。
ため息を吐き、そして一言。
『……父さんが、呼んでる。お前を』
どういうことだと問う前に、セルイラの視界からアルベルトが消えた。
チカチカと紫の光が視界の端に見えたと思うと、ぱっと、目の前の景色が変わる。
正確にいえば、風景はそのまま、物体だけが全くの別のものに入れ替わったのだ。
今の今まで、自分の目の前にいたのはアルベルトだった。それなのに音もなく、別人が現れた。
『ノ……ま、魔王様?』
紫の眼としっかり目が合い、寸前のところで、魔王と呼ぶ。
アルベルトも、そして後ろを歩いていたミイシェの姿はない。アルベルトがブツブツと言っていた理由がやっとわかった。
『アルベルトに無理を言って、場を設けてもらった。少しばかり、話を聞かせて欲しい──セルイラ・アルスター』
◆
呼吸がうまくできず、じわじわと顔の温度があがっていく。
なぜ魔族の男性は、ひとつの合図もなく転移の魔法を使うのだろう。心臓に悪いったらない。
そんな文句を言えるはずもなく、セルイラはノアールを見つめたまま固まっている。ノアールも似たように動きを見せないからだ。
場所を移してもそれは変わらない。
言葉こそ交わさなかったが、ノアールはゆったりと湖畔へ歩を進めた。
ついて来て欲しいと促すようなノアールの視線に、セルイラは黙って従う。
水辺に近づくと、幾分気温が下がったような気がした。新鮮な水の匂いを吸い込みながら、どうにかしてセルイラは心臓の音を落ち着かせる。
「……昨晩は、驚かせただろう。あのように巻き込み申し訳なく思う」
「あ、の……いえ、お気になさらないでください」
口を開いたノアールが人の言葉を使ったため、自然とセルイラもそうした。
「ミイシェ……娘について、メルウから話があったと思うが、娘は長い間、眠りについていた」
「はい。その話は、談話室で聞かされました」
ノアールの言葉に、セルイラは口裏を合わせる。
どうやらノアールは、昨夜の談話室でセルイラがミイシェのことで軽く説明を受けたと認識しているらしい。
説明とはいえ、ノアールが考えているのは周りの認知とさほど変わりない程度の内容である。
「……どういうわけか、娘はあなたを気に入っている。なぜなのか、心当たりはあるだろうか」
湖に浮かんだ波紋を眺めながら話していたノアールは、斜め後ろで立ち竦んでいたセルイラに向き直った。
探りを入れている、というわけではない。
単純に知りたそうにしているノアールに、閉じていたセルイラの唇が細く開く。
(どうしよう……どうしよう……今ここで安易に、本当のことを言ってしまって大丈夫なの?)
そもそもメルウから、ノアールの状態がどうなのかを詳しく聞けていない。
ミイシェやアルベルトのようにノアールの体にも変化があったとして、仮に自分のことを話せるような状況だとしても、セルイラには迷いがあった。
その迷いとは、ユダの呪いとはまた別の、セルイラが抱えている些細な問題である。
魔界に来るまでは、まだはっきりと確信していなかった。そんなものがここで弊害になっているのかと思うと頭が痛い。
「……また私は急いた尋ね方をしたようだ。理由が定かではないのならば、無理に答える必要は無い」
セルイラが追い詰められたように苦悶する様子に、ノアールは別の意味として捉える。
ミイシェが懐いてくる理由がセルイラにもわからないため、言葉が出ないのだと勘違いしたのである。
「あなたからは、悪意の類いをまるで感じない。よからぬ事を企んでいるわけでもないのだろう」
話の先が見えず、セルイラはただ聞き手に徹してしまう。
ノアールの話し方の節々から受け取れるのは、なにかを言いたそうにしているということだけ。
内容まではさすがのセルイラも察しようがない。
言いよどみながら、ノアールは少し溜めて声にする。
「……。……今回、花嫁候補としてアルベルトにより召喚されたという話だが……故郷が、オーパルディアなのだろう」
「……! はい、そうです」
「だからなのかもしれない。ミイシェが懐いているのは」
懐かしそうに細めるノアールの瞳に、セルイラの体が強ばった。
なぜか、わかってしまった。
オーパルディアと口にしたノアールが、その次に誰を連想しているかを。
「あなたは、どこか似ているのだ。すでに死んだ、あの子たちの母親に」
どうしてだろう。はっきりとそう言ったノアールの声には、どこか拒絶に近いものがあった。




