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5 粗末な書簡



「あ、チェルシー。そこはこうやるのよ、一度針を通して……そうそう上手よ。わたしが教えるまでもないと思うのだけれど」

「そんなことないです! お姉様の教えがとてもわかりやすいから……」


 王城の書庫から帰ってきたセルイラは、約束どおりチェルシーに自室で刺繍を教えていた。

 合間に侍女が用意してくれたお茶と焼き菓子を休憩がてらに摘み、女子二人ともなれば話題に上がるのはやはり気になる殿方のことである。


「ねぇ、チェルシーはレオル様のどんなところを好いているの?」

「え、ええ!? そんな、すい、好いてるなんてまだそんな……っ」

「ふふふ、顔がリンゴみたいに真っ赤」


 チェルシーとレオルの縁談が決まったのは、今から約二年前。お互い社交界で面識はあったみたいだが、奥手なチェルシーは会話をするにも精一杯で最初はなかなか進展していなかった。

 いつからだったか。チェルシーの顔がまるで恋する乙女のように可愛らしくなった瞬間があった。あれは確か、レオルと街へ出かけたときだったか。

 自分の馬に乗せてくれたと嬉しそうに話すチェルシーは、あのときすでにレオルに恋をしていたのだろう。


「上手くいくといいわね。ちなみに、子どもは何人欲しいの?」


 さり気なく、そこまで深い意味もなくセルイラは尋ねたつもりだったのだが、チェルシーは赤面したまま瞠目させた。


「お、おおおお姉様! いきなりそんなことっ、破廉恥ですよ!」

「ええ? そんな、女子二人だしいいじゃないの……だめ?」

「駄目です!」


 たまに貴族の女子の感覚が分からなくなるときがセルイラにはあった。妹なのだからぶっ込んだ話をしても大丈夫なのではと思うのだが、淑女として今のセルイラの質問はアウトだったらしい。


「もう、わたくしのことはいいんです! それより、お姉様はどうなんですか?」

「……わたし?」

「そうです! 今もいろんな方から縁談の申し入れがあるというのに、お姉様ったら見向きもされないなんて……」


 赤面しながらチェルシーは、セルイラに話をすり替えた。

 チェルシーは、セルイラが縁談に積極的でないことは分かっていた。自分も初めはそうだったのだ。

 見ず知らずの殿方に嫁ぐことは、この世の中珍しいことではない。大恋愛の末の婚姻なんて、所詮は物語の中だけの儚いものである。


 歳の近い姉妹であるセルイラとチェルシーは、幼少期から仲が良かった。

 もの静かで人見知りだったチェルシーだが、セルイラにはとてもよく懐いていたのだ。

 セルイラは、子どもらしからぬ冷静さが常にあった。たまにお行儀悪く料理をつまむのは屋敷内でのご愛嬌として、引き際をしっかり見抜いているところがある。

 そして、ときおり見せるセルイラの寂しげな表情に、チェルシーは気がついていた。


 誰かと居る時、セルイラは自分を崩さない。

 だが、前にチェルシーは偶然見つけてしまったことがある。

 どこか遠くの空を見つめて、今にも泣きそうな顔をした姉の姿を。その理由がチェルシーには分からない。おそらく尋ねてもセルイラはうまく躱してしまうから。


「お姉様には、好いた方がおられるのですか?」


 チェルシーにとって、セルイラは自慢の姉であり、ゆえに幸せになって欲しいといつも願っていた。

 すでに意中の男性がいて、どうしても結ばれることができない。そんな立場にセルイラはいるのではないか。書物で得た知識なので偉そうには豪語できないけれど、そう考えたときもチェルシーにはあった。


「……分からない」


 いつものセルイラなら、軽く笑顔を作って「そんな方いないわ」と返していただろう。

 けれど、この時はそれができなかった。

 生々しく記憶に残る夢に振り回されていたから。


「ねえ、チェルシー。わたしは、あなたに尊敬されるほどの人間じゃないの。ただ、臆病だから……」

「お姉様?」

「もう、あんな思い……したくないから」


 セルイラは、よく遠くを見る。

 何に思いを馳せ、何に苦しんでいるのかチェルシーには想像もつかない。


「変なことを言っちゃった。気にしないでね、チェルシー」


 気を使わせないようにセルイラは笑顔を作った。


「セルイラ、チェルシーっ!!」


 その時、荒々しく扉が開け放たれる。

入ってきたのはセルイラとチェルシーの父。この屋敷の当主アルスター伯であった。


「お、お父様? どうなさったのですか?」


 酷く青ざめた父に、チェルシーは慌てて駆け寄った。セルイラもそれに続き、ハンカチを取り出して額に張り付いた大量の汗を拭う。


「お父様、すごい汗よ。一体どうしたの?」

「…………」


 父はなかなか口を開こうとしない。

 二人の娘を前にして、どう話せばいいのか迷っているようだった。

 長い間そうしているわけにもいかず、眉間に皺を寄せた父は順を追って二人に説明し始める。


「たった今、王城に書簡が届いた」

「書簡、ですか?」

「歳は十五からとし、未婚者であること。健康であること。数を絞るため、平民は外しすべて貴族の娘から選抜すること。また、階級は問わない──上記の内容に当てはまる娘を、花嫁候補として選び七日後に神殿に集めよ。城の解読班によると、そう書かれていたそうだ」


 なんて粗末な申し出だろう。セルイラは内心その書簡に嫌悪を感じながら、父に尋ねる。

 解読班。その言葉に不審に思いながら。


「…………どこの国が、そんなおかしな内容の書簡を送ってきたの?」


 どんな大国であろうと、王城にその内容の書簡を送るなど頭がいかれているとしか思えない。

 水神の加護を賜る国として他国に名が知れているオーパルディアは、強国といわれているのだ。

 四方八方が海に囲まれ、王都にも至る所に水路がひかれており、通称「水の都」と呼ばれている。


 祈りを捧げ神と交流していた時代に、オーパルディアは水神より加護を受けた。

 害ある者が国に侵攻すれば大波で追い返し、子が溺れれば海の生き物が岸まで運んでくれる。

 水神の加護は本物であり、それを知る他国がわざわざ挑発的な内容の書簡を送ってくるなんてまず無かった。


「私もまだ信じられない。まさか、こんなことが起こるなど……」


 父は取り乱した様子で額に手を当てる。

セルイラもチェルシーも、お互いに顔を見合わせながら、書簡を送ってきた国の名が発せられるのを待った。


「書簡を送ってきたのは──魔界」


 ぽとりと、父の汗を拭いていたセルイラのハンカチが床に落ちる。


「魔、界……?」


 信じられないと表情を驚かせるのはチェルシーも同じであった。

 だが、セルイラはそれ以上に取り乱している。


「人間の花嫁を欲しているのは、魔王だ」


 ハンカチの離れた手の震えを、セルイラは抑えることができなかった。

 

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