49 密かな答え合わせ
苦渋に満ちた顔のアルベルトは、ミイシェに『心』の話を指摘され狼狽えていた。
『ね、ね、おにいさま。心っていったの?』
『い、言ってねえ……』
背の小さなミイシェが一生懸命に踵を上げてアルベルトの顔を覗き込もうとしている。
墓穴を掘ってしまったアルベルトは、ミイシェの追求から逃げるのに必死だった。
『おにいさま』
『……』
『アルベルトおにいさま』
『〜〜っ』
やはりアルベルトには、まだ葛藤が残っているようだった。
図体が立派になったとはいえ、こうしてセルイラから見るとアルベルトもミイシェもさほど変わりない。
(アルベルトにそんな顔、させたいわけじゃないのに……)
アルベルトの本心はどうなのかセルイラには分からなかった。
ノアールと同じように、アルベルトにもこの200年の間で辛いことがあったのかもしれない。
(わたしが知らないだけで、きっとあったんだわ)
200年前のアルベルトは、たったの二歳だった。
通常ならば両親の愛情を一心に受ける年齢であった時期に、どちらも自分のそばから離れていってしまったのだ。
父親のノアールはろくな会話もせず自分を遠ざけ、母親のセラは自分を置いて魔界から忽然と姿を消した。その時からアルベルトには、ぽっかりと穴が空いてしまっている。
アルベルトのことだから決して口には出さない。それでも寂しい時間だったに違いない。
自分の気持ちを素直にさらけ出すことができなくなったのは、もちろんアルベルト本人の性格も災いしている。
けれどその根底にあるのは、無情に流れていく時のなかで家族の温度というものを忘れ、好き勝手に他の魔族たちから根も葉もない風評を浴び続けたことにあった。
『おにいさまって、あれだね』
『……なんだよ』
『いじ……いくじない? う〜ん、いじわるい? いじ……』
『いや、やめろ。言わなくていい』
『そうだ。いじっぱり!』
『誰が意地っ張りだ!』
アルベルトとミイシェがまた言い合いをしている。可愛いじゃれ合いではあるが、ずっとこのままというわけにもいかない。
『ミイシェ、いいのよ。信じるかどうかは人それぞれだし、それを強制させるつもりもなかったから』
『ママ……でも』
『あのねミイシェ。せっかく目を覚ましたのに、お兄ちゃんを困らせてばっかりなのは可哀想でしょ? わたしのことを言ってくれるのは本当に嬉しいわ。ありがとうミイシェ。でもたった二人の兄妹なんだから仲良くして欲しいの』
優しい声音でミイシェに言い聞かせる。その様子を真隣から強く凝視され、それに気がついたセルイラは「ん?」とアルベルトに目を向けた。
アルベルトは口を噤んでしまったが、ミイシェに見せるセルイラの嫋やかな表情に気を取られているようだった。
『うん、ミイシェ……わかった。アルベルトおにいさま、ごめんなさい』
『俺はべつに……』
『……ほんとう? ミイシェのこと、嫌いにならない?』
『それぐらいでなってたまるかよ。ったく、だいたいさっきから俺をなんだと思ってるんだ』
謝られたあとの対応に慣れていないのが丸わかりのアルベルトに、セルイラはほのかに表情を緩めた。
口が悪くても、やはりアルベルトはミイシェの兄なのだ。しゅんと沈んだミイシェの頭に手を乗せて、ぎこちなく笑っているところを見てセルイラはそう確信する。
『アルベルト』
セルイラの声に、アルベルトはゆっくりと向く。
『……なんだよ』
『ミイシェから話は聞いたようだけれど。わたしのことを、自分の口から言っていなかったから。改めて言わせて欲しいの』
昨晩のあれはほとんど偶発的に発生したものだ。
まだセルイラから明かしたわけではない。
『わたしはセルイラ・アルスター。200年前の名は、セラよ。セルイラとして生まれ変わったとき、わたしにはセラの記憶が残っていたの』
どう説明しようかと頭をひねっても、やはり作り話のようだとセルイラ自身も感じてしまう。
『アルベルト。あなたは昨日、わたしの名前を聞いたわね。もう一度言うわ。わたしはセルイラであり、200年前に生きていたセラでもある』
そこでセルイラは息をつく。
『でも、このことを無理に信じて欲しいとは言わないわ。あなたの胸に留めてくれたら、それで十分──』
『俺の母親は、魔王に恐れをなして人間界へと逃げて行った』
『……っアルベルト?』
『魔王を裏切り、自らが産み落とした子を見捨てた。贄として送り込まれた母親は最後まで情など抱いていなかった』
アルベルトは淡々と言う。しかしそれは、彼の言葉ではない。事情をまるで知らない周囲からの言葉を、覚えているかぎり思い出して言っていたのだ。
『それは全部──』
『違う』
ひんやりと冷たいアルベルトの手を、セルイラは力強く取り、もう片方の手で包み込むように握りしめた。
『たしかにわたしは生贄だった。わたしに水神様の加護が付いていると知った村の人たちが、わたしを贄の泉に放り投げたの。魔王に捧げる贄として。はじめは魔王なんて恐ろしいとしか思わなかった。ただ従うことだけがわたしの生きる道だったから』
アルベルトの手がぴくりと反応を示す。
『でもね』
ぐっと、握る手のひらをセルイラは自分の身体に引き寄せる。そして続けた。
『その関係に変化が現れたのは、きっかけをくれたのは、赤子だったアルベルト。あなたがいてくれたから、それまで知らなかったあの人のことを知ることができた。そしてアルベルトがいたことで、わたしの気持ちも変わっていったの』
セルイラが連ねれば連ねるほど、アルベルトの目がこぼれ落ちそうなほど開かれていく。
柔らかな麦畑のような黄金色の瞳が、木の葉の間をすり抜け差し込んだ陽の光を受けてきらりと反射した。
『情がなかったなんて、捨てただなんて、そんなことあるわけないじゃない。あの頃からずっとずっと……アルベルトはね、わたしの大切な、大切な宝だったんだから』
『……』
脳天が雷に打たれたように、アルベルトは手を握られたまま固まっている。
『あ……』
すん、とアルベルトの鼻が空気を吸い込む。
その瞳孔がするりと小さくなると、次は焼き付けるようにじんわりと開いていった。
こめかみに力が入り、我慢しているのか眉尻がぴくぴくと動いている。
『んな小っ恥ずかしいこと、よく言えるな』
そう言って顔を横に背けたアルベルトが、いったいどんな顔をしているのかセルイラからは見えなかった。
前髪と横の髪で上手い具合に隠しているのだ。
『……もう、十分だっての』
納得したのかはさておき、アルベルトの声は今までセルイラが聞いた中で一番、和らいだ音をしていた。




