48 確信はすでに心の中
『ねえ、聞いた? 病でずっと眠っていたミイシェ様がべったりだっていう……人間の女のこと』
『アルベルト様の花嫁候補で、しかも妹君まで手懐けているんでしょう? それってつまり……』
人間の花嫁候補たちをお披露目するために開かれた夜会での騒動は、すでに城中に広まっていた。
中にはアルベルトに目を留められたと勘違いした者が、セルイラは花嫁の有力候補なのではと余計に話を広げている始末。
しかし当の本人たちは、それどころではなかった。
朝の騒動から一変、セルイラは魔王城の裏手にある野原に立っていた。
セラとしても足を運んだことのある野原には、舟遊びができる湖と、色とりどりに実りをつける果物の森林がある。
そう遠くない場所には、放し飼いされた魔獣の姿も確認できる。
『あったかい〜』
良い日和のなか、フリルたっぷりの可愛らしい子供服に着替えたミイシェは、生き生きと野花に触れていた。
(昨日の話の続きをするのに、どうしてこの場所なんだろう?)
寝衣から着替えたアルベルトは、律儀にもう一度セルイラたちの部屋へ戻ってくると、全員を転移の魔法で野原へと移した。
どういうわけか、アメリアまで連れてこられている。
「あ、あの……ここは」
「申し訳ございません、アメリア様。アルベルト様の魔法のコントロールが上手くいかず、巻き込んでしまったようです」
集団の転移は高度な魔法だ。魔法の陣もなく集団を移動させられるアルベルトの腕は確かなものだったが、細々とした操作は苦手らしい。
つまり今現在、野原にいるのはアメリアを含めた昨夜の談話室の面々であった。
『くっ、間違えたんだよ! 悪かったな、今すぐに戻せばいいんだろ』
『それはさすがに気の毒なんじゃないかなぁ、アルベルト』
アメリアを先に部屋へと帰そうとしたアルベルトは、背後に現れた人物により転移の魔法を中断させる。
この陽気な話し方と、軽々しくアルベルトの肩に手を置く者は、一人しかいない。
『なっ!? ユージーン! どうしてお前がここに』
『昨日の騒ぎが気になってね。登城したはいいけどアルベルトも副官殿も見当たらないし。メイドちゃんたちもみんな知らないって言うから探してたんだ。そうしたら──』
身振り手振りを加え説明をするユージーンは、にっこりと笑ってさらに後ろを振り返る。
そこにはもう一人、予想外の人物が立っていた。
『ま、魔王様!?』
メルウとニケから同時に悲鳴まがいな声が響く。
ぽつんと花々に囲まれて立つノアールは、背景からかなり浮いていた。
『あ、パパ〜!』
佇んだノアールに向かってミイシェが駆けていく。
助走をつけてそのままノアールの胸に飛び込んだミイシェは、嬉しそうにニコニコとしている。
『そうそう、偶然廊下で魔王様と鉢合わせてね。アルベルトの魔力を探ってもらって……まあ、そのあとは成り行きでご一緒することになったんだよ』
『……成り行きでじゃねぇ! なんてことしてんだお前は! これじゃ城の外にまで来た意味が』
『ええ? なに、何の話しだい?』
『〜〜! お前こっち来い!』
「わっ!」
状況が掴めていないユージーンに構っている暇はないと判断したアルベルトは、セルイラの手首を咄嗟に掴む。
(また魔法で場所を!)
すると瞬く間にセルイラの視界が、陽のあたる野原から木陰に揺れるブランコへと変わった。
転移したといっても元の場所からそう遠くないようで、セルイラの目からもメルウやアメリアの姿が見える。
セルイラがアルベルトと移動したのは、野原をおりた先にある、湖の近くに植えられた一本の木の下だった。
『ミイシェも来い!』
『や〜パパ〜!』
セルイラが位置の確認をしている間に、アルベルトはもう一度転移するとノアールに頭を撫でられていたミイシェを同じく木陰へと連れてくる。
ミイシェはそれが不満だったようで、頬をぷっくりと膨らませアルベルトに抗議した。
『おにいさまひどい。パパだけ仲間はずれにして』
『はぁ…………仲間はずれとか、そういう問題じゃないだろうが』
疲弊した様子でアルベルトは己の手で顔を覆う。昨晩のミイシェから受けた寝相攻撃も合わさってげっそりとしていた。
『あっちはメルウがいるからうまく誤魔化してくれるだろ。それより今はこっちだ。おい、お前──』
『お前じゃない〜。ママ!』
忠告するアルベルトに聞き捨てならないとミイシェは二人の間に入る。
ぽかぽかと音を立ててアルベルトの腰あたりを叩いているミイシェだったが、まるで効いていない。
埒が明かないと、アルベルトはミイシェの妨害を片手で塞ぎ話を進めた。
『あのことは、絶対……絶対に! 父さんには言うな』
「……っ」
そう言われながらじりじりと距離を詰められ、セルイラは木の幹まで追いやられる。
アルベルトの肩の向こう側で、ノアールがこちらを見ているような気がした。
『俺はな、信じてないんだよ。……昨日のこと。あの女がいようと、父さんを惑わそうとするヤツらは今まで散々見てきたんだ』
「……」
『ミイシェのことだって夢みたいな話だっていうのに、それに加えてお前が母親の心を持って生まれ変わったとか……虚言としか思えねぇ。なんでこんな話、メルウもニケも信じてんだ』
『……! おにいさま、』
めげずにアルベルトを攻撃していたミイシェが、その発言に大きな瞳をこれでもかと開かせる。
叩いていた拳をゆっくりとおろし、ぱちくりと瞬きを繰り返すと、疑問を口にした。
『ミイシェは心なんて、いってないよ』
魔族とは、人間にはない能力が多数備わっていた。
そのひとつが、心の香りを区別する能力である。
心とはその者の意志であり、一人一人の身体に宿る魂と同じく存在するそれを魔族は一つ一つ嗅ぎ分けられることができた。
セラの生まれ変わりであるセルイラは、外見は違えど全く同じ魂と心の香りをその身に持っている。
短い時ではあったが、アルベルトは母親であるセラの心の香りをぼんやりと覚えていた。
普通、死んだ者の心と魂は、水の神によって溶かされ、真っ白な状態となって新たな肉体へと宿っていく。
200年も前に生きたセラの心と魂は、もう二度とこの世に生まれてくることはない。
それなのにアルベルトは、時々セルイラから漂う香りの正体に悩まされていた。
それはとても温かく、懐かしく、気が安らいでいくような、不思議な香りだった。
無理もない。その香りとはアルベルトが赤子の頃から感じていた母親の心そのものであり、だからこそ今まで何度か惑わされていたのだ。
『……信じて、たまるか』
その言葉とは裏腹に、アルベルトは自分の考えを疑いはじめていた。




