47 朝の騒動
『こ、この女が、は、母親だと?』
『お前ら、なにを言ってやがる。気が触れでもしたのか』
昨日、そう吐き捨ててアルベルトは、ミイシェを引き連れて談話室を逃げるように出て行った。
『付き合いきれるか! 正気じゃねえ!』
セルイラは無理に引き止めようとはしなかった。誰だって気持ちを整理する時間が必要である。
だからその日は、近くのテーブルの脚につまずき、扉の角に思いっきり頭をぶつけて部屋を去った彼の後ろ姿をただ見送った。
『あー! ママー! おやすみなさい〜!』
本当に状況を理解しているのかいないのか、呑気にミイシェはそう言っていた。
記憶があるため理解力があり大人びた面がある一方で、母であるセルイラと接してから甘えん坊なところを見せはじめているミイシェだった。
『……ごめんなさい、メルウさん。こんな形で、アルベルトに明かすことになって』
『いえ……ミイシェ様もおりましたので、遅かれ早かれこうなっていたことでしょう。アルベルト様も、今晩はミイシェ様とこのまま寝室に戻られるようですし。それにしても……』
メルウは考えるような素振りで顎に手を当てる。眉間に皺を寄せ、神妙な面持ちをしていた。
『ミイシェ様の呪いが解けたのだとしたら……アルベルト様も同じ状態なのかもしれません。ユダの呪いを警戒していましたが、もしかすると──』
アルベルトの呪いも薄まっているのかもしれない、そうメルウは推測を立て、その夜はお開きとなった。
朝、部屋に戻されていたセルイラは、起床したアメリアに昨日の話題を振られた。
「昨夜はどうなっていたのですか……? ユージーン様が、あの女の子はアルベルト様の妹様……王女様だとおっしゃっていました。なぜ、セラに……」
「そ、それは……」
心配そうに真正面から見つめられ、セルイラは言葉を詰まらせた。
同じく室内に控えるニケは、聞き耳を立てながら朝食を用意をしている。
「ユージーン様が教えてくださいました。王女様は200年も眠り続けていたと。それが突然目覚めたので、城中が大騒ぎになっていると」
そう言いながらもアメリアは一歩、また一歩とセルイラに迫っていた。
よほど昨日のことで気苦労をかけてしまったらしい。
「ア、アメ……アメリア! いやアメリー! 落ち着いて……」
「とってもびっくりしたんですよ! 王女様はセラにぴったりくっついていましたし、魔王様まで姿をお見せになって……それに」
息を荒くしながら問いただすアメリアは、思い出すように視線を横にして呟いた。
「……なぜでしょう。あの場に立っていたセラが、どういうわけか馴染んでいるように見えたのです」
「……!」
「……不思議な心地になりました。周りにいた方々も黙り込んでしまうほどに。わたくしも思い出してしまいました。オーパルディアにいる家族のことを……あの場にいた皆さんが、あまりにも家族のようで──」
『おいいい! お前、どういうことだぁ!!』
「きゃあ!」
無遠慮に部屋の扉が開かれる。アメリアの小さな悲鳴が響いた。
息を切らして乗り込んで来たのは、アルベルトだった。
寝巻き姿のミイシェをしっかり縦抱きにしたアルベルトは、なぜか首にいくつかの引っ掻き傷がある。
『ミイシェにいったいなにをしたんだ!』
『なにをしたって……ミイシェになにかあったの!?』
慌ててセルイラが近寄ると、アルベルトはすかさず距離をとった。
小さなミイシェの体を抱き込み、腕で庇うようにしている。
『……って、あれ? ミイシェ、寝てる……』
アルベルトの腕に抱えられるミイシェは、まだ夢の中にいるのか口をもにょもにょとさせていた。
『どういうこと?』
『……っ』
先ほどまでとてつもない剣幕をしていたアルベルトだが、セルイラにじっと見つめられれば目を泳がせた。
『ど、どうしたもこうしたもない。昨日の夜は散々ミイシェにお前がどうだのたしなめられるわ、やっと眠ったかと思えば無意識に攻撃しやがる!』
『攻撃……!?』
『お前がミイシェになにか吹き込んだんだろ!』
守るようにきゅっとミイシェを抱きしめるアルベルトの姿は、正真正銘に兄の姿をしていた。
たった一日が過ぎただけだというのに、随分と距離が近くなったものだ。
とはいえ、二人を見ていると親しくなるのに時間の経過は関係ないのかもしれない。
(攻撃……攻撃って? まさかミイシェの呪いが──)
『寝相です』
ここで、音もなく転移の魔法を使ったメルウが現れた。
開けっ放しになっていた部屋の扉を素早く閉めると、無言のままでアルベルトの隣に立つ。
『メルウ……今なんて言った?』
『ただの、寝相です』
『寝、相?』
理解できない様子のアルベルトに、メルウはやれやれと首を左右に動かした。
『アルベルト様は性格に似合わず眠りが静かなので、寝相が悪いと言われてもピンとはこないでしょうが』
『ああ! なんだって!』
『ミイシェ様は少しばかり……寝相が激しいのでしょう。大騒ぎするほどではありません』
『少し、だと? あれのどこが少しなんだ! 俺は最初、奇襲かと思ったんだぞ!? ただの寝相で怪我なんか負うか!』
引き際を見失ったアルベルトは、認めたくないのかメルウに抗議した。
その会話にセルイラはじわじわと顔の温度が高くなっていくのを感じる。
ミイシェの寝相が悪い。セルイラには心当たりがあったのだ。
『魔王様に似て、アルベルト様はピクリとも動かずに夢路をたどっておりますからね。それはそれで心配になる時もありますが。……ミイシェ様の寝相は、お母様に似たのです。魔王様も苦労されていました』
『え!?』
ぎょっとしてセルイラが大声をあげた。もしかしてミイシェの寝相は自分に似てしまったのではと思っていたが、ノアールが苦労していたなんて初耳だ。
今のはなにかの聞き間違えだろうか。
『……。って、俺は信じてないって言ってるだろ!』
母と言われてアルベルトの顔がセルイラに向いたが、すぐに反対方向へぷいっと背けた。
『……んん〜うるさい……おにい、ひゃま……』
この騒ぎにようやく目を覚ましたミイシェが、目元を両手で擦りながら声を漏らす。
『ミイシェ様もお目覚めのようですね。アルベルト様、まずはその格好をどうにかなさってください』
『なに、格好だと?』
『朝になって着替えもせずにこちらに向かわれたのでしょう? そのお姿……淑女にお見せするには些か問題があると思いますが』
ちらりと、メルウは同じ空間にいたアメリアを見やった。
「……あ、わ、わたわた、わたくし……申し訳ございません!」
勢いよく後ろを向いたアメリアの耳が真っ赤になっている。
理由はアルベルトを見れば明白だった。
『……服、着て。アメリアが恥ずかしがってるじゃない』
メルウに続き、今度はセルイラがため息をついた。
白地の滑らかな布を身体に巻き付け、腰の辺りを紐で固定させたアルベルトの寝衣は、大胆にはだけている。
上半身はむしろ肌が見える面積のほうが多い。こんなだらしのない格好をしているのだから、アメリアの過剰な反応も頷ける。
「すみませんすみません、わたくしったらあんなに男の人の肌を見てしまうなんて。このような態度をとってしまって申し訳こざいません。はじめてなので恥ずかしくなってしまって──」
『とのことです』
メルウは後ろを向いたまま熱くなった頬を押さえたアメリアの言葉を、アルベルトにわかるように翻訳した。
『ばっ……』
それを聞いたアルベルトはアメリアの赤面が移ったのか、わずかに頬を染めている。
『?』
完全に眠気が覚めたミイシェは、アルベルトの様子が不思議だったのか、ころんと首を傾げていた。




