43 ぎゅうって、しあわせだね。
魔王の娘、ミイシェ王女が目覚めたことにより、魔王城内は、慌ただしい空気に包まれている。
対処に追われるメルウは、夜会の参加者全員を住居へ帰し、花嫁候補の令嬢たちをそれぞれの部屋へ待機させるように指示を出した。
──ただ一人、セルイラだけを除いて。
(落ち着かない……いや、こんな状況で落ち着いていられるほうが不思議だわ)
座り心地の良い横長の椅子に腰を下ろし、両手を口に当てたセルイラは、深々とため息をついた。
『──セラ様。なにか、お飲み物はいかがですか?』
『ありがとう、ニケ。でも、今は大丈夫。ごめんなさい』
ここは東の棟の一角にある広々とした談話室。温かみのある色合いの家具で統一されている室内には、古びた時計の針の規則的な音が鳴っている。
セルイラを見守るように後ろで待機していたニケは、心配そうに眉を下げた。
(ここは、あてがわれた部屋がある建物とは、べつのところよね。同じ東の棟でも、アルベルトの部屋が近いってことは、限られた者だけが使用できる場所……)
そんなところにセルイラが居座っている理由。それは、ミイシェが望んだからだった。
(ミイシェは本当に、わたしだとわかっていたの……?)
身体に異常がないかを調べるため、現在ミイシェは一度アルベルトの自室へ戻っている。
しかしミイシェは、ノアールに抱えられるようにして舞踏場を出ていく時も、駄々をこねるようにセルイラと一緒にいたいと主張していた。
ノアールやアルベルトはもちろん魔王城の使用人たちも、なぜセルイラなのかと不審に感じていた。
そんな中、ここは希望に添わせるべきだとメルウが場をまとめ、結果セルイラはこうして談話室で待機しているのだ。
(……知っているって、言っていた。ミイシェはなにを、誰に教えてもらったの?)
舞踏場で頭に語りかけたミイシェの言葉を思い出し、セルイラは難しい表情を浮かべた。
周りには原因不明の病により、眠り姫と囁かれていたミイシェがなぜ、人間のセルイラにあのような行動をとったのか。誰もが疑問に思っていることだった。
そして、よからぬ噂が魔族たちの間で飛び交いかねないと危惧したメルウは、その場をしのぐための仮説を立てた。
それが、鳥類の刷り込み現象である。雛が孵化後の一定期間に見たものを親だと認識してついてまわる習性。魔界に生息する魔獣にも同様に起こり得る現象らしいが、メルウはこれをミイシェの心理に当てはめた。
ミイシェは200年もの間、眠りっぱなしだった。そんなミイシェが目覚めてから一番最初に目にした存在──つまりセルイラを刷り込みで特別だと認識し、気にしているのではないか。
ひとまずメルウは、この仮説で魔族たちを納得させたようだった。
強引とも言える説明ではあるが、200年間眠りについていたミイシェの心理状態など、所詮本人にしか理解できないものである。ゆえに反論する者はいなかった。
(でも、ノアールやアルベルトが納得するのかどうかよね。もし問い詰められたりでもしたら、そのときは……)
いいや、早まってはいけないと、セルイラは慌てて首を横に振る。
「お待たせ致しました。セルイラ様」
セルイラが悶々と思案に暮れていると、扉を開けてメルウが中へと入ってきた。
「メルウさん」
「魔王様とアルベルト様は、後ほどこちらにいらっしゃいます。ですがその前に──」
『ママ?』
メルウが言葉を言い終える前に、続いて姿を現したのはミイシェだった。
ひょこっと扉から顔を半分覗かせ、セルイラの姿を見つけると、顔をぱっと輝かせ一目散に向かってくる。
『ママ!』
「……ミイシェ」
無邪気に駆け寄ってくる幼子の体に、セルイラの伸ばした手には迷いが生じていた。
ピタリと止まった腕を見て、ミイシェは首をかしげるが、そのあと悲しそうにきゅっと丸い瞳をすぼませる。
『ママ、やっぱりおこってる……?』
「え?」
上目遣いで問われ、今度はセルイラが魔界語に切り替え聞き返していた。
『どうして? 怒ってるなんて、そんなことないわ』
『……ほんとう? だってママ、顔が怒ってるみたいだったから。それにね、ミイシェわかってるの。わがまま言っちゃったって』
もじもじと自分の足の先に目を落としたミイシェは、さらに声を小さくする。
『パパと、おにいさま……まだママのこと知らないのに。ミイシェがママにぎゅってしたから。ママ、困ってた。ごめんね、ママ。でも、ミイシェね』
ミイシェの声が、震えているのがわかった。先ほどまではあれだけ元気にはつらつとしていたにも関わらず、こうも温度が下がっている。
そうしてしまったのは、自分だと。セルイラは瞬時に気がついた。
『ミイシェね、ずっと、ママにあいたかったの』
椅子に座るセルイラと顔を合わせるように、目線を上にずらしたミイシェは、嬉しさを噛み締めた表情をしながらも、その瞳は不安げに波打っている。
『ママはミイシェに……あいたくなかった?』
母だと確信している相手に拒まれることは、どれほど残酷なのだろう。
舞踏場では人目を気にして肩に手を乗せるだけで、そして今は付きまとう疑問ばかりを考えてしまって、目の前にいるミイシェが求め続けていたことを蔑ろにしていた。
「──」
声を出すよりも早く、セルイラはミイシェの体を抱き寄せた。
動きが制限されてしまうドレスにも関わらず、両膝を床につき、手のひらでミイシェの後頭部を優しく引き寄せるように腕を回す。
『そんなことない、ミイシェ。ごめんなさい、本当はもっと早く、こうするべきだったのに』
より一層に力を込めたセルイラの背中に、ミイシェの小さな手がきゅっと触れた。
尋ねることは山ほどある。けれどこうして自分に疑いのない眼差しを向けてくるミイシェに、まず母親であるセルイラがすべきことは、一つしかない。
『ミイシェ、わたしも会いたかった。あなたのこと、忘れたことなんてなかった』
我が子を、抱きしめる。親子であるなら当たり前にできる行為さえ、セルイラとミイシェからしてみれば200年の月日が間にあったのだ。
この瞬間だけは理屈を一度抜きにして、セルイラはただ母親として動いていた。
『ママ……』
ぎゅっと力を入れれば、お返しとでも言うようにミイシェも腕の力を強めた。
『ママの香り。ミイシェもずっとおぼえてたの。あたたかくて、やさしくて、いいにおいがするの。ミイシェの大好きな、ママの香り』
むぎゅーっと、ミイシェは顔をセルイラの胸に当てて頬を擦り寄せる。
『ママ、ぎゅうって、しあわせだね』
えへへと、頬を赤くさせたミイシェはセルイラに笑いかけた。
前髪をよしよしと撫でて笑みを返せば、背後から鼻をすする音が割り込んでくる。
肩越しにセルイラが確認すれば、メルウが目頭に指を当てて下を向いていた。その横では、同じくニケが唇を噛み目に涙を溜めているのだった。
『メルウもニケも、泣き虫だね!』
『ミ、ミイシェ様……本当に私どものこともご存知で……』
『えへへ、ミイシェ、ちゃんとみんなのこと知ってるよ』
その言葉に、またしても二人は思い思いに感極まっているのだった。
この度、第五回アイリスNEOファンタジー大賞、銀賞を受賞頂くこととなりました。
詳細は活動報告を載せましたので、どうぞよろしくお願いします\( ¨̮ )/




