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39 言葉は伝わらないけれど



 セルイラたちがいた場所で、アルベルトとアメリアが口論をしている。

 とはいえ、互いに相手の言葉がわかっていないので、どちらも一方通行になっていた。


『いい加減にしろよ。止まれって言ってんのに』

「あの、一人にしてください。わたくしは、大丈夫なので」

『また、なんで逃げるんだ!』

「もう、どうして離してくれないのですか!」


 アメリアの二の腕を掴んで離さないアルベルトと、意固地になって背を向けるアメリア。彼女の背には、今もアルベルトが羽織らせた上着がある。


「アルベルト様は何を考えていらっしゃるのですか? 主催者が会場を出て行くなんて、なぜそのようなことを」

『……なに言ってるのか、俺には分からないが。そんな状態で、気にならないわけないだろうが!』


 会話が通じていないはずなのに、当人たちの主張は続く。まるで痴話喧嘩だった。


『……あの二人は、何をやっているんだ』


 素朴な疑問をノアールは声に出した。


 アルベルトは体が勝手に動いてしまって、後から気持ちがついて歩いているような印象を受ける。アルベルトはこうしてアメリアを引き止めている自分自身にも戸惑っているようなのだ。


 セルイラとノアールは二人揃ってオブジェの影から顔を出す。

 アメリアはともかく、アルベルトは気づいてもおかしくない距離であるのに、それだけ目の前のことに頭が占領されているのだろう。全くこちらに勘づく気配がない。


「お願いですから……こんな姿、見て欲しくないのです。自分が、とても惨めで、弱い存在なんだと。悔しかった。それに……怖かった」


 ぽろりと、アメリアの瞳から大粒の涙が落ち始める。

 まさか泣くとは思わなかったアルベルトは、鼻を赤くさせたアメリアを凝視した。


「み、見ないでください」


 ごしごしと細い腕でアメリアは何度も目元を擦る。アメリアも涙が出たことに驚いているのか、早く止めようと必死だった。


『おい、そんな乱暴に擦るなって』

「……」

『って、聞いてるのか』

「ど、して、全然止まらな」

『聞いてねーな』


 珍しくアルベルトはあきれ声を滲ませた。

 拭っては涙が溢れ、拭っては溢れが続き、アメリアの手つきも力強くなっていく。


 ──ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシャァ!!


(ちょ、なに今の音!? アメリー擦りすぎ!)


 あきらかに涙を拭うには似つかわしくない痛々しい音に、セルイラの顔が青ざめていく。

 見かねたアルベルトは、若干引き気味にアメリアの手を絡め取った。


『やめろっての。顔が腫れ上がっても知らない……ぞ……って』


 無理やり自分のほうに顔を向かせたアルベルトは、アメリアの泣き顔を見た途端にぷるぷると肩を震わせ、吹き出した。


『くく、ははは! もう酷い顔してるな! 鼻も垂らしてるし、すげー顔!』


 アメリアの泣き顔に、アルベルトは大笑いし始めた。セルイラたちの位置からではそこまで詳しく見えないが、アメリアが急いで鼻をすする音は聞こえてくる。

 腹を抱える勢いのアルベルトに、溢れ出ていたアメリアの涙はピタリと止まっていた。

 緊張感のあった場の空気が、アルベルトの笑いによってがらりと一変する。


(笑うって……泣いている子に、そんな笑うなんて)


 女の子の泣き顔を笑い飛ばすとは思ってもみなかったセルイラは、唖然として口を開けていた。


『……まさか、ここまでとは』


 ノアールの深いため息がセルイラの首に当たる。まるで同意するようにセルイラは落胆した。


「……ひ、ひどいです! 顔を見てそんなに笑うなんて、酷すぎます!」


 かあっと顔を赤くさせたアメリアは、掴まれた手から逃れようとするが、アルベルトはそれを許さなかった。


『なんだ? 泣いたと思ったら次は怒って。忙しい女だな。それに、あんまり動くと胸が見えるぞ』


 恥ずかしさを怒りに変えているアメリアに、さらに笑いを誘われたのか、アルベルトは肩を揺らしている。

 そして、破れたアメリアのドレスに目を向けると、おもむろに手を翳した。

 飛び散った魔力が青い火花となってアメリアを包む。先のノアールと同様に、アルベルトはアメリアの引き裂かれたドレスを元通りに直していった。


(こんなところまで、親子なのね)


 ドレスがみるみるうちに綺麗になっていき、アメリアは喫驚しながらアルベルトを見上げる。


「こんなに、こんなにも素敵な魔法があったのですねっ」

『……! よ、喜びすぎだろう。さっきまで泣いてたくせに』


 気分が高揚したアメリアは、魔界へ来て初めてアルベルトに好意的な目を向けている。

 満更でもないアルベルトは、気を良くしたのか噴水の水を操って動物を作り始めた。


(そういえば、アルベルトの初めての魔法って……水を使って形を作ることだったわ)


 セルイラは懐かしげに水の動物たちを眺めた。

 犬、猫、うさぎ、鳥と、空中を飛んだ水の動物たちが楽しそうに動き回り、さらにアメリアの瞳は輝きが増していく。


「まあ、きれい……!」

『現金な女だな』


 人間であるアメリアからしてみれば、このように美しい魔法の情景を見るのは初めてで。そんな魔法に魅せられたアメリアは、何度も「すごい」とアルベルトに賞賛の言葉を送った。


「本当に、凄いです。アルベルト様!」

「……スゴイ」

「え? アルベルト様?」

「スゴイ……スゴイ?」


 不意にアルベルトは、たどたどしい口調で人間の言語を呟いた。

 何かを懸命に思い出そうとするように、アルベルトはその言葉を繰り返し唱える。アメリアは心配そうにアルベルトを見つめた。


『そういや、俺が初めて魔法で褒められたのは……はは、そうか』


 アルベルトの顔つきが確信に変わったとき、彼は思い馳せるように目尻を和ませる。

 普段ではあまり見ない優しげな横顔に、隣にいたアメリアははっと目を奪われていたが、アルベルトが気づくことはなかった。


『なあ、アメリア。もう一回言ってくれ』

「あ、あの、なんとおっしゃっているのか……」


 躊躇するアメリアを察したアルベルトは、ぐいっと自分に親指を向けて「スゴイ?」と問う。

 ここまですればアメリアも意味を理解し、顔を明るくさせてこくこくと頷いた。


「はい! アルベルト様の魔法、すごい、です」


 大袈裟に区切りながらアメリアは言った。彼女を現金なヤツと言っていたアルベルトの感想はあながち間違いではないのかもしれない。

 彼の言葉の選び方は悪いが、たしかにアメリアは逞しくて驚かされてばかりだ。


 そして言葉が伝わっているわけではないのに、二人の距離は、少しだけ縮まったような──。


『そろそろ会場に戻るぞ。俺が抜けたままじゃ締まらないからな。アメリアも俺の花嫁……候補の一人なんだ』

「え、アルベルト様! そちらは舞踏場では、あの、わたくしは……」

『そう怯えるな。もう、あんなことは起こらない』

「あの、ちょっと、アルベルトさまっ」

『お前はあっちから行け。さすがに一緒には戻れないだろ。俺はこっち、主催者側の扉から行く』


 早く行けと言わんばかりに、アルベルトは手をひらひらと動かした。

 アメリアは言われたとおりに廊下を進んで行くが、その足取りは迷いが見られる。


 ──結論。二人の距離は、縮まったような、気がしないでもない。


(アメリー大丈夫かな。わたしも後を追いかけよう)


 アルベルトとアメリアが噴水の前から姿を消し、セルイラとノアールもようやくオブジェの影から出ることが出来た。


『ありがとうございました。こんなことに付き合わせて、申し訳ございません』

『いや、私も興味深いものが見られた』

『興味深い?』

『息子のあのように笑った顔は、私にとって稀だ』


 さらりと流れる黒髪の隙間で、ノアールの瞳が寂しそうに揺らめいている。

 セルイラが黙っていると、ノアールは余計なことを言ってしまったとその話を切り上げた。

 

『それよりも、あなたのことだが……』

『はい?』


 スっとノアールの両の眼に射抜かれ、セルイラの体がすくむ。


『あなたは──誰だ』


 一瞬、静寂が広がった。

 ざわりと強い風が駆け抜けて、セルイラの背を押すように、一歩前に足が出る。

 誰だと言われて緊張感が走ったのは、セルイラが、セラであるから。


『いや、唐突であったな。言い方を変える。あなたの名前を、聞かせてくれないだろうか』

『あ、ああ……そういうことですか』

 

 むしろノアールからしてみればそれ以外に理由はない。けれど安堵した様子のセルイラの仕草を、ノアールは確かめるように瞳に収めていた。


『わたしは──』


 名前を言おうとして、セルイラは一度、ピタリと動きを止める。

 すぐに気を取り直して、セルイラは声を出した。


『セルイラです。わたしは、セルイラ・アルスターと申します』

『……セルイラ、か』

『はい、魔王様』


 ──やはりノアールには、わからなかった。

 名乗ったセルイラは、微笑んでいた。微笑んでいるはずなのに、どうしてこうも辛そうだと思ってしまうのか。なぜ、自分は胸を抉られる心地になっているのだろうかと。

 今宵は満月。ユダの制約はかつてないくらいに弱まり、体は正常に機能しているというのに。


 ごめんなさい、ノア、ごめんなさい──。


 耳に残る声が、酷く心地よくて、いたい。



『それでは失礼します。魔王様、ドレスを綺麗にして頂き、ありがとうございます』


 友人が心配だからと、セルイラは噴水がある水場を後にした。


 ──セラ。


 取り残されたノアールが、忘れることの出来ない面影を思い出して、彼女の名を呟いているとも知らずに。


 その時、満月の光がノアールに降り注ぐ。同じくらいに月の閃光は、東の棟を照らしていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] ああ!もどかしい! 韓流ドラマ並みにもどかしい!(笑)
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