35 アメリアの一面
踊りのあと、アメリアとユージーンの元へ戻ると、セルイラは二人から拍手を送られた。
「おかえりなさい、セルイラ。わたくし、何度かあなたの踊っているお姿は拝見していましたが、今日はこれまで見た中で一番素敵でした!」
「驚いたよ、セルイラちゃん。君の踊る様は、春に浮かれる妖精の羽ばたきのように綺麗だった」
絶賛の嵐に踊りによって上昇したセルイラの頬がさらに色づく。特に小っ恥ずかしい台詞を揚々と言ってみせるユージーンには参ってしまった。
(ともかく、無事に踊り終えて良かった。……ん?)
ほっとしたのも束の間、セルイラは四方八方から強い視線を感じて肩越しに振り返る。
それはセルイラに興味を示した魔族たちの眼光だった。
「セルイラちゃん、大丈夫?」
「……はい。仕方がないですね、こうなってしまうのは」
それぞれ思いは違ってくるだろうが、王子が選んだ、それも花嫁候補の人間を気にかけないはずがない。
人間の世界より砕けた自由な夜会とはいえ、アルベルトはこの夜会で最も注目される人物なのだ。
「まったく、思った以上にアルベルトは腰抜けだったな」
「それは否定しませんけれど。でも、ある意味わたしで良かったのかもしれません」
そう言って、セルイラはアメリアを見る。
「セルイラ? どうしましたか?」
「ううん。なんでもない」
小首を傾げたアメリアに、セルイラはそう答えた。
誰もが納得のいく形で、アルベルトのダンスのパートナーを勤め上げたセルイラは、好奇の目に晒されている。
中には嫉妬に孕んだ女性の気配も感じられ、向けられる先がアメリアではなかったことにセルイラはほっとしていた。
──そして再び、舞踏場の端に待機していた楽器隊の前奏が流れ始めた。
ダンスの三曲目が始まろうとしているのだ。
「お、これ俺の好きな曲だ。今日はいい選曲ばかりだな」
気分良くユージーンは呟いた。さすがに三曲続けて踊る気にはなれず、セルイラは送る姿勢を見せた。
「それならば、ぜひ踊ってきてください。せっかくの好きな曲なんですから」
「うーん、そうなんだけど」
ユージーンはちらりとセルイラを横目に見る。しばらくは踊る気がないという意志が、セルイラの笑顔からはひしひしと伝わっていた。
「……無理強いは、するもんじゃないか。よし、アメリアちゃん。俺と一緒に踊ろうか?」
「わたくしと、ですか?」
くるりと方向転換したユージーンは、滑らかな動作で右手をゆったりと前に差し出す。
まさかお誘いを受けるとは思ってもみなかったアメリアは、目を丸くしてユージーンの手を見つめていた。
「一曲は踊るのが暗黙の了解だからね。顔見知りの俺と踊っておいた方が、気が楽じゃないかい?」
パチリと片目を閉じるユージーンには、下心がまるでない。それが逆に清々しがったのか、アメリアはくすくすと微笑んでその手を取った。
「お気遣いいただきまして、ありがとうございます。ユージーン様」
滅多なことがない限り男性のエスコートは断らないのが鉄則とはいえ、見ず知らずの魔族とダンスを踊るよりは、知り合ってそれほど経っていないもののユージーンを相手にするほうがいいに決まっている。
「セルイラ、行ってきますね」
「……うん。行ってらっしゃい」
二人の背中を見送るセルイラには、少し不安の色が浮かんでいた。
(ユージーン様も、目立つ人なのよね。王子であるアルベルトよりは注目を浴びないとはいえ)
何も起こらないことを祈りながら、セルイラはダンスフロアを遠目に眺める。
アメリアとユージーン。こうして並ぶと、アルベルトとはまた違った華やかさがあった。
(……って、これ、アルベルトが見ていたら)
はっとしてセルイラは、舞踏場に用意されている主催者席を確認する。
『……』
長く伸びた片脚を組んで、肘掛けに寄りかかったアルベルトは、とてもじゃないが機嫌がいいようには見えない。
「──ああ見えても、必死で隠しているつもりなのですよ、アルベルト様は。それにしても、アメリア様を相手に誘うとは、ユージーンはいい性格をしていますね」
「メルウさん」
壁際に立つセルイラと並ぶように、メルウは気配なく現れた。
先ほどまでは、ここから離れた場所にいたはずなのに、神出鬼没である。
「わたしと話していて、大丈夫?」
「ええ。これも責務の一貫でございますから」
メルウは夜会が始まってから、舞踏場にいる花嫁候補の令嬢たちを陰ながらサポートしているようだった。
問題が発生しないように眼を光らせ、厳重の注意を払っているのだ。
「先ほどのダンス、お見事でした」
「……ありがとう。正直に言うとね、なんだか、今になって体がふわふわしているの。まさかわたしが踊ることになるなんて、夢みたいだもの」
それは、花嫁候補としてアルベルトと踊ったからではなく、セラの心を持って生まれた自分が、という意味でセルイラはメルウに伝えたのだろう。
感慨深いと再度アルベルト見れば、あろうことか貧乏ゆすりをしていた。
彼の視線の先には、華麗にダンスを繰り広げるアメリアとユージーンがいる。
「……あれは、ちょっとまずいよね。仮にも王子が、多くの目に留まる場所で貧乏ゆすりって」
「ええ」
はあ、とため息をこぼすメルウは、指で目尻を押さえつけながら頷いた。
「伺って早々に申し訳ございません。少し、失礼させていただきます」
「大変ね」
アルベルトが座る席へと早足で向かうメルウに、セルイラは微苦笑を浮かべる。
そこで、ダンスの曲がなり止んだ。
メルウと離しているうち三曲目も終わったようで、遠くから踊り終えたアメリアが歩いて来る姿が確認できた。
「お疲れ様、アメリア」
「ありがとうございます。はあ、緊張しました」
肩で呼吸をしながら、両手を胸に当ててアメリアは感想をこぼす。
公爵家の人間であるからには、教育として舞踏も嗜んでいたとはいえ、アメリアもかなり気疲れしたようだった。
「今、ユージーン様が飲み物を持ってきて下さるそうです。セルイラも二曲続けて踊っていましたし、きっと喉が乾いているだろうって」
「わざわざ? それじゃあ、戻って来たらお礼を言わないとね」
「ふふ、そうですね」
特に変わった返答はしなかったはずだが、アメリアは頬を緩めてセルイラを見つめていた。
言い方を変えれば、ニヤついている、と言っても納得がいく顔である。
「アメリア?」
「どうしましたか?」
「……どうかしたというほどじゃないけれど、なんだか楽しそうに笑っているから」
「はっ! わたくしったら……ダラしない顔をしていましたか?」
「そんなことはないけれど」
けれど理由が分からなくて尋ねてみれば、アメリアは周囲をきょろきょろと確認して、こっそりセルイラの耳元に唇を寄せた。
「……ユージーン様ですが、おそらくセルイラのことを気にしているみたいなんです」
「ええ?」
何を根拠にとアメリアを見返せば、得意げに「むふふ」と子リスのように頬を動かして言った。
「先ほどもユージーン様は、セルイラを誘いたそうにしていましたし、今もセルイラを気遣って飲み物を運んでくれているんですよ。それに、ここだけの話……ダンス中のセルイラに目を奪われている様子だったんです」
「ダンス中のことは分からないけど……その他は、なんとも言えないわ。飲み物だって、わたしだけではないでしょう? アメリアもいるんだから」
むしろユージーンの性格ならば、自分以外でも似たような行動をすると思う。知り合って数日だが、ユージーンは生粋の色男であることが分かる。
しかし、アメリアはその線を推したいようだった。爛々と瞳を輝かせる様子は、オーパルディアにいるチェルシーと重なる部分がある。
「……アメリア、もしかしてその手の話をするの、好きなの?」
そう、アメリアの輝いた反応は、年頃の少女たちが花を咲かせる話題である、恋話をしているときの顔と寸分たがわず同じであった。
「はい、大好きです! お兄様は、お前にはまだ早いと言って教えて下さらなかったので、物語で勉強しました!」
「勉強……」
アルベルトの心情の変化には気づいていないところを見ると、自分のことには途轍もなく疎いのだろう。
こんな得意げなアメリアを見るのは、ここへ来てセルイラも初めてのことだった。緊張も解けて素を見せてくれるようになったと素直に喜べばいいのだろうか。
つい先日までは、未知の世界である魔界に召喚され不安で一杯だったはずなのに、セルイラが思っていた以上にアメリアは逞しかった。
恐れていた魔族を、恋話の話題としてぶっ込めるほどには、心意気も成長している。
「……ふふ、あはは! アメリアったら、本当に凄いんだから」
「セ、セルイラ?」
ここが夜会ではなく部屋の中であったなら、セルイラはお腹を抱えて笑っていただろう。
まさかこんなところでアメリアの一面を知るとは思わなかったから。
せめて淑やかにと、口に両手を当てて笑いを堪えるセルイラに、きょとんと不思議そうな面持ちのアメリアが首をひねる。
『──いい気なものね、人間のくせに』
そんな、温かな気持ちに浸っていた時だった。
鋭利のように冷ややかな声が、セルイラの耳に届いたのは。
ありがとうございました!




