34 意気地無し王子のお誘い
本日2話目の投稿です!
夜会の一曲目。それはつまり、主催であるアルベルトと、パートナーとが手を取り踊ることを意味していた。
だが、アルベルトに決まったパートナーはいない。人間の世界で行われていた社交界とは異なり、この夜会は男女が一組になって参加することを義務付けられているわけではなかった。
もちろんペアで訪れる魔族はいるだろうが、友人間の女性同士であったり、男性同士であったりと、アルベルトの開く夜会には制限がないのだという。
(アルベルト、誰と踊るのかしら)
この夜会では、アルベルトが目をつけた女性を誘うのが恒例となっているのか、先ほどから魔族の令嬢たちはそわそわと身なりを整え始めていた。
花嫁候補である令嬢たちの殆どは選ばれたくないのか、各々床に視線を落として時間が過ぎるのを待っている。
「アルベルト、来ると思う?」
興味本位でアルベルトの向かう先を見守っていたセルイラに、ユージーンはこっそりと楽しげに耳打ちをした。
この夜会の場で、アルベルトが気にかけている女性はおそらく一人だけ。アメリアである。
元々は花嫁候補である令嬢たちとの交流も踏まえた夜会なのだから、アルベルトの選ぶ先が人間であっても何ら不思議ではないはずだ。
そこに問題があるとするならば、それは──アルベルト自身である。
(あのアルベルトが素直に、アメリーをダンスに誘うのかしら)
茶会の一件以来、アメリアが抱いているアルベルトの印象は決して悪いものではなくなった。
とはいえ好感を持っているのかと聞かれれば否、それだけの関係を二人は築いていない。ようやく0に戻ったくらいの、まっさらな状態なのである。
(二人揃ったら、とてもお似合いなのよね。色的に)
光の束を集めたような、アメリアの白に近い金の髪は、アルベルトの黄金の瞳とお揃いのように違和感がない。
アメリアの深藍色の丸み帯びた眼も、アルベルトが好んで着ていると思われる渋みのある青漆色と調和がとれていた。
つまりは、隣に並んでいても自然なのだ。
「ユージーン様は、どう思いますか」
「俺? 俺は、そうだなぁ。個人的には男を見せて欲しいところだけど、難しそうかな」
「わたしも、同感です」
「はは、気が合うね」
残念なことに、アルベルトが恥を忍んでアメリアに手を差し伸べる場面がこれっぽっちも想像つかない。
ここは無難に魔族の女性の中から相手を選ぶのだろうと、セルイラが肩をすぼめた時だった。
(んん……アルベルト、こっちを見てる? はっ! アメリーのことを見てる!?)
遠目で見間違いかとも考えたが、人の波をかき分けて堂々とこちらに近づいてくるアルベルトの姿を見てしまっては何も言えない。
いい意味で予想を裏切ってきたアルベルトに、セルイラとユージーンは二人して顔を見合わせる。
「……え、あれ? アルベルト様、こちらにいらっしゃっていませんか?」
アメリアも気がついたようだ。周囲から見ればセルイラとアメリア、それにユージーンが一纏めに映っているのだろう。
まだ選ばれるのがセルイラなのか、アメリアなのか、分からずに周りは手に汗を握りながら窺っていた。
だが、アルベルトの内情を察しているセルイラとユージーンには、ひとつの選択肢しかない。
(わ、わぁ。まさか、こんなに堂々とアメリーを誘いに来るなんて。アルベルトってば、やる時はやるのね……)
劇の一幕を観客の一人として観ているような心地に、ドキドキとセルイラは胸を高鳴らせた。
こつ、こつと、アルベルトの足音が舞踏場にこだまする。
そして、ついにセルイラたちのすぐ目の前にアルベルトがやって来た。
『……』
唇をきつく結んだアルベルトが、距離を縮める最後の一歩を踏み出し、その手をアメリアの前に差し伸べた──と思った、次の瞬間。
アルベルトの腕の位置が、ひとつ横に素早くズレた。
「──え?」
セルイラは、突然に差し出された手を穴があくほど凝視した。
アメリアの前に出されると思っていたアルベルトの片手が、なぜか自分の前で止まっている。
(……なぜ?)
舞踏場にいる魔族たちの「おおっ!」という興奮した野次の声すらうまく聞こえず、セルイラはアルベルトの顔をじっと見捉える。
『……はやく、手を出せ』
ぷるぷると不自然に動いた頬、おかしな汗、どこか後ろめたさを孕んだ表情に「ああ……」とセルイラは納得した。
アメリアを相手に誘う気持ちは確かに、アルベルトの中にあったのだろう。セルイラたちのもとへ向かって来るアルベルトには、そんな意気込みがふつふつと湧いて出ていたのだ。
しかし、アメリアを目の前にした途端、怖気づいたアルベルトは、ちょうど隣に立っていたセルイラに的を変更した。
(ア、アルベルト──!!)
心の中でセルイラは、絹を裂くような声で叫んだ。
◆
夜会の始まりを告げる一曲目に相応しい優雅な音楽が、舞踏場に心地よく流れる。
セルイラがこれまで体験した社交界の堅苦しい作法はないものの、魔界の夜会には、一曲目を踊る際のちょっとした決まり事があった。
一曲目は、主催者とそのパートナーの二人だけが舞踏場を広く使用してダンスをする。
最初の一曲目が終了すると、次は夜会の参加者が自由に踊ることを許された二曲目が演奏されるが、このとき続けて主催者とそのパートナーは踊らなければいけない。
夜会の参加者と楽しい時間を過ごせるようにという意志を伝える目的として、参加者が混じった状態でそのまま主催者は同じ相手と二回続けて踊るのだ。
つまりセルイラは、決して短くはない時間の中を、アルベルトと手を取り合ってリズムを刻まねばならない。
相手を息子として、そう思って踊るならどんなに満たされることだろう。けれど、それだけではない。
今のセルイラは、どう足掻いてもアルベルトの花嫁候補の一人なのである。
(よりにもよって、わたしが踊るなんて!!)
セルイラは差し出された手に自分の手を置いた。よほどのことがない限り、王子の誘いを断ることは許されないから。
悶々とした気持ちのまま中央のダンスフロアに近づいてアルベルトと向き合えば、気まずそうな顔をされた。
(選んでおいてなにその顔は、失礼ね。もう曲だって流れているのに構えすらしない。一度失敗したからってへこたれないの。しっかりしなさいよ、この、意気地無し……!)
偶然を装って、セルイラは腑抜けたアルベルトのつま先を踏んづける。
『……いってぇっ!?』
『あ、ごめんなさい。床だと思って。どおりで柔らかい床のはずね』
こんな観衆が見ている場で気になる相手をうまく誘えなかったことには、セルイラも同情の余地があると思っていた。
だが、こちらに非はないというのに、こうも不服そうな顔を隠そうともしないのには、足の先くらい踏みたくもなる。
『この一節が終わったら、入りだけど。構えは?』
『……!』
足を踏まれたことにより正気に戻ったアルベルトは、素早く動作を切り替えてセルイラの腰に手を添えた。
即席のホールドを崩すことなく、セルイラはアルベルトの巧みなリードに最初のステップを踏む。
(あ、意外と踊りやすい)
はじめてとは思えないほど、セルイラはアルベルトの腕に支えられ息をするように体を動かしていた。
『リードがとてもお上手ですね、さすがは王子様です。安心して身を任せられます』
遅れることなくリズムに乗れ、余裕が生まれたセルイラは、にっこりと笑った。
ついオーパルディアの社交界の時の癖で、ダンスの最中の相手を持ち上げる発言をしたセルイラに、アルベルトは苦々しい表情を浮かべる。
『やめろよ、それ。気味が悪いな』
『なに?』
『お前がそんな言葉遣いを使うなんて変だ。地下牢で話したときも、初めっから馴れ馴れしかった癖に』
『それは……!』
『なんだよ?』
ぐるりと方向転換され、アルベルトに踊らされるようにセルイラの体は勝手に動いた。
(アルベルトはアルベルトだもの。自分の子どもだって分かっていたから、咄嗟の敬語が出せなくて)
とは言えず、黙り込んでしまったセルイラ。
『……』
『あー、なんだ。だから、敬語はいらないってことだ。今さらお前が付けたところで耳に馴染まないんだよ』
見かねたアルベルトがそう付け足した。
セルイラが顔を上げると、そこには至近距離にアルベルトがいる。少しだけ無愛想にさせたアルベルトに、セルイラは思わず笑ってしまった。
『ふ、ふふ。あなた王子なのに本当にいいの? 無礼者って言って魔力縛りしてこないわよね』
『っとに、しつこいな! だいたいあれは、俺にだってわけが──』
『ええ、そうね。分かったわ』
『適当に相槌しやがって! 何が分かっただ、この女!』
言い合いを繰り広げているにも関わらず、セルイラとアルベルトの息はぴったりと合っている。
いつしか、そんな二人の様子を見守る魔族の中には、肯定的な意見をあげる者が出始めていた。
『ふむ、人間の娘だと見くびっていたが、アルベルト様を前にしても肝が据わっているではないか。それに、あの風貌……なんとも美しい』
『会話をしているように見えましたが、アルベルト様が人間の言葉を話しておられるのでしょうかね? 人間では、魔界語の習得は極めて困難でしょうし』
『どちらにせよ、意思疎通できるなら話が早い。あれだけ器量良しなのだ、このままアルベルト様に見初められたとて──』
『な、何を言う! 人間を伴侶にするなどもってのほかだ!』
『ほう、それは何故……と、ああ、貴殿には娘がいらしたな。なるほど、魔王の家系に名を記せる機会が無くなっては不都合ということか』
『ぐ、ぐぅっ、そ、それは』
あちこちから賛否両論の意見が飛び交い始める。望まないままその渦中に立たされていくセルイラは、大きすぎる魔族たちの会話が聞こえて耳を塞ぎたい思いであった。
(や、やめて、事を荒立てるようなこと言わないで! 誰がアルベルトの花嫁になんて、絶対に無理──無理に決まってる!!)
焦りを滲ませるものの、セルイラのステップはどこまでも嫋やかだ。ドレスの裾を翻し、袖と腰に繋がるように縫い付けられたリボンはひらひらと舞うように軽やかで、会場中を魅了していた。
(わたしが聞こえているぐらいなんだから、アルベルトだって聞いているはず。まさかと思うけど──)
アルベルトが乗り気だということは、天と地がひっくり返ってもない。
そう思った矢先、セルイラの腰が力強く引き寄せられ、今までになくアルベルトと密着した。
それを目撃する周りの魔族たちからは、ざわりと驚きの声が伝染していく。
「ぐえっ」
踏み潰されたカエルのような掠れた声を出したセルイラは、何事かと再びアルベルトを見あげる。
(どうしていきなり、抱き寄せたりなんか)
冷や汗が背筋に伝うのを感じながら、セルイラは目と鼻の先にいるアルベルトを見つめた。
『おい……今の聞いたか?』
血の気が引いたアルベルトの顔にぎょっとする。この反応は、喜びや浮かれからくるものでは無い。
『お前を、伴侶にだと……? おいおい、冗談はあの丸すぎる腹だけにしろ。寒気がする』
アルベルトがセルイラと抱擁まがいに密着をしたのは、魔族の会話を耳にして拒否反応を起こした結果、いらない力が働いたからであった。
『ええ、本当に。冗談じゃないわ』
『こんな物事をずけずけと言ってくる女を伴侶になんてしてみろ。尻に敷かれて休む暇もない。地獄に決まってるだろう。選ぶ男の顔が見たい』
『ちょっと、今なんて?』
聞き捨てならない発言に、セルイラはじろりとアルベルトに睨みをきかせる。
端整な顔の女に睨まれたところで、普通はそこまで恐怖は感じない。
それなのにアルベルトは子どものように、びくりと体を震わせた。
『な、なんだよ。お前だって、俺が夫になるのは冗談じゃないって』
『そうね。言ったわ。そもそも、絶対にあり得ないことだもの』
『……? それは、どういう』
『それにあなたの好みは、奥ゆかしくて可憐な、暖かな日向のように癒される笑顔の女の子でしょうから。そうね、例えば……わたしの友達の、アメリアとか』
『──。っ、オマエ!』
一拍遅れて、アルベルトの顔は沸騰するように真っ赤に染まった。
(え、もうそこまで意識するほどなの?)
恋は盲目というのか、知らず知らずのうちに気持ちとは膨れ上がってしまうものなのだろうか。
ぱくぱくと口を開け閉めするアルベルトに微妙な思いを抱えながら、リズムが乱れてしまった相手の代わりに、セルイラはさりげなくリードをする。
(ああ、やっと曲が止んだ)
アルベルトの精神が完璧に持ち直すことなく、二曲目のダンスも無事に終わったのだった。
ありがとうございます!




