33 満ちた月が照らす夜会
『お支度、完了致しました』
『ありがとう、ニケ』
『恐れ入ります。とてもお綺麗です、セラ様。……それでは舞踏場の様子を見て参りますので、お二人はこちらで少々お待ちください』
あっという間に夜会の時を迎えたセルイラは、ニケに着付けられた自分を姿見で眺めていた。
(ニケって本当に器用なのね。こんな髪結いまで出来るなんて)
また城にある既存のドレスをこうもぴったりに合わせられたニケの裁縫の腕にも舌を巻く。
セルイラが着用するのは、膝から裾にかけて大きく波打った広がりのあるマーメイドラインのドレスだった。
気品を感じさせる淡いパープル色は、足元にかけて徐々に色が変わっていき、全体的に見れば美しいグラデーションとなっている。
肩先まで出た襟元は滑らかな鎖骨が見え、背中の半分も開いたデザインとなっているが、卑猥さは一切感じない。
それは手首までしっかりと袖があり、なおかつ非常に薄地で光沢のある生地を重ねて縫込み、肌が見える部分をやんわり隠すように張りを持たせているからだ。
また細やかな花の刺繍も可憐さを演出しているが、今宵のセルイラは総じて絶美であった。
「わあ……すごいです、セラ。とてもきれい……」
「チチチッ」
支度中は衝立で隠れていたセルイラを目にしたアメリアは、その出来栄えにうっとりと赭顔した。その様子に気恥ずかしくなったセルイラは、アメリアと同じように頬を染める。
パタパタとセルイラの周囲を飛んでいるアオも、まるで絶賛するように鳴き声をあげた。
「そんなに見られると照れるわ。それに、アメリーだって人のこと言えないじゃない」
アメリアのドレスは薄いレモンのような色と、桃のようなピンクを差し色に使用した、腰から裾にかけてこれでもかとボリュームを持たせたプリンセスラインのドレスだった。
生地の至るところに花飾りを取り付け、まるで一着のドレスが華やかな花畑を彷彿とさせるデザインとなっている。レースやフリルがふんだんに盛り込まれ、女性らしい柔らかな印象を与えていた。
また、肘から垂れ下がるように纏わせた艶のあるショールは、ダンスになればヒラヒラと動いて蝶のように舞うだろう。
セルイラにも似たような飾りがあるが、ドレスが上部に厚みのあるデザインであるため、長めのリボンが袖と腰にあらかじめ縫い込まれていた。
今までの社交界では、軽い挨拶以外の接点がなかったセルイラとアメリアは、お互い着飾った姿を見せ合うのが新鮮でそわそわとしてしまう。
「えっと、ニケさんの腕も凄いですよね! このお花が編み込まれた髪型も、鏡越しで観察していましたが手元が見えませんでしたっ」
「そうね、本当に驚いたわ。組み合わせも合っていて素敵だし、きっとニケは多才なんだわ」
友達同士、お互い面と向かって称賛され続けるのに慣れていないセルイラとアメリアは、本日の功績者であるニケを褒めちぎり始めた。
『……お二人とも、なにを言っているんですか』
舞踏場から戻って来たニケは、気まずそうに扉の隙間から顔だけを覗かせて言った。
言葉の節々で名前があがるため、自分のことが話題にされていると察したのだろう。
『ニケ! 今ね、あなたがどれだけ凄い子なのかアメリアと語っていたのよ』
『……やめてください。私は当然のことをしたまでですから。二人して目を輝かせてこちらを見ないでください』
おずおずと視線を下に向けたニケは、戸惑っているのか体を縮こませている。その様子が可愛らしくて、セルイラとアメリアは顔を見合わせた。
「いつも冷静な装いなので分かりませんでしたが、こうして見るとニケさんて、すごく可愛らしい方なのですね」
「ふふ、そうね。可愛いわ」
セルイラは屈託ない楽しげな笑顔を浮かべた。片手を当てるような仕草でくすくすと笑っていれば、ふと視線を感じて何事かと確認する。
「……」
『……』
なぜか、今度はセルイラが二人にじっと見られていた。どちらもどこか驚いた様子で口を開けている。
何かあったのかとセルイラが首を傾げると、アメリアとニケはそれぞれ思い思いに言った。
「えっと、何かありましたか? 印象がいつもと違うような……」
『なんだか、表情が明るくなったような気がします。どうかしましたか?』
「ええ?」
二人して似たようなことを言うものだから、セルイラは素っ頓狂な声を出す。
人間の言葉と、魔界語の両方で「笑ったからじゃないの?」と伝えるが、どちらも納得していないようだった。
あまりにも驚かれたので、セルイラが「もしかして、変?」と自信なさげ言えば、声を揃えて二人は答える。
「いいえ! むしろ今のほうが素敵です」
『そちらのほうが、あなた様に似合っています』
必死な面持ちのアメリアとニケに、セルイラは瞠目させつつも、また照れ笑いを浮かべた。
(わたしも、なんだか前より素直に笑えている気がする)
「チチッ」
「どうしたの、アオ? なんだかあなたも嬉しそう」
セルイラが両手を差し出せば、アオはその上へ器用に乗った。
「チチチ」
「アオ?」
語りかけてくるようなアオの声に、セルイラは違和感を覚える。ぴょんぴょんと体を跳ねさせ、何かを伝えようとしているようにも見えたから。
『お取り込み中のところ申し訳ございません。そろそろ、会場へご案内しなければいけないお時間ですが』
『……あっ、うん。分かったわ。ごめんね、アオ。ここで待ってて』
アオの様子が気掛かりだったが、遅れるわけにもいかず、セルイラはバルコニー付近に置かれるお手製の寝床へアオをそっと下ろした。
(アオ、どうしたんだろう? 餌も用意したし、外で遊べるように窓も少し開けたから大丈夫だと思うけど)
アオはもう鳴き声をあげなかったが、代わりにセルイラの姿を、彼女が部屋の外に出るまでずっと見つめていた。
◆
舞踏場へと到着し、中へと入ったセルイラとアメリアは、すぐに周囲から向けられる数多の眼差しを浴びることとなった。
会場では、メイドであるニケは決められた場所に待機しなければいけないようで、セルイラとアメリアは気を抜かないように顎を引いて歩を進めた。
高い天井と、豪奢な飾り、そして配膳済みの飲料の数々。
すでに人垣が出来た大広間には、花嫁候補の令嬢たちと、見物目的の魔族とではっきりと分けられていた。
二階には歓談スペースもあるようで、慣れた様子の魔族は、そこから会場を見下ろして物見遊山の如く令嬢たちを品定めしている。
(思ったよりも、女性が多いのね)
着飾った魔族の女性たちは、じろじろと人間である令嬢たちを射るように見ていた。歓迎はされていないようである。
物珍しさに令嬢たちを観察している魔族だったが、その中でも視線を集めていたのは、セルイラとアメリアの二人だった。
アメリアとセルイラ──特にセルイラの容姿には、面白半分で参加した魔族たちの意表を突いたのである。
うなじあたりに感じる艶かしい視線に、セルイラの肌がぶるりと粟立った。
ひとまずアメリアと並んで壁際に立っていると、会場の大きな扉から、アルベルトとメルウが姿を見せた。
『──皆の者、今宵は満月だ! 魔界において最も尊ぶべき月夜にこうして多く者と集えたことを光栄に思う!』
主催であるアルベルトが慣れた様子で挨拶を述べる。その隙にセルイラが周囲の反応を確認すると、魔族の若い女性たちは、意外にも凛々しく見えるアルベルトの姿に魅入っていた。
(アルベルトって、こんなに狙われているのね。でも、そうか……仮にも一国の王子だもの)
そんな風に別の視点から物事を捉えていたセルイラに、ふっと影が落ちる。
視界が少しだけ暗くなった原因は、突然セルイラの右隣を陣取った者の背が高かったからだ。
セルイラが確かめると、そこにはユージーンが立っていた。
「こんばんは、セルイラちゃん。アメリアちゃん。二人とも、今日は一段と綺麗だね。目を奪われたよ」
「あ、ユージーン様……! そんな、これはニケさんの力が大きいです。けれど、お褒めの言葉を頂けて光栄です」
「謙遜するアメリアちゃんも可愛らしいなぁ。俺は本心しか言わないから、素直に受け取っておくれ」
続いて、セルイラがユージーンに軽く挨拶をした。
「こんばんは、ユージーン様。ありがとうございます。ユージーン様の装いも素敵ですね」
「本当? 嬉しいな。君にそう言ってもらえるなんて」
完璧に作り込まれた優男の笑顔が、隣にいるセルイラに直で降り注ぐ。
そんな中、ユージーンの存在に気づいた魔族の女性からは、ひそひそと話し声が漏れていた。
『ちょっと、あそこにいらっしゃるの、ユージーン様だわ。アルベルト様ともお親しいようだし、このままいけば副官補佐として任命されるってお父様が言っていたわ』
『まあ! それってつまりは、次期副官候補の筆頭者ってことじゃない! それなのに、どうして人間なんかと話してるのよ』
『本当よね。いくら無類の女好きだからって、わざわざ人間の女を相手にするなんて──』
嫉妬混じりの視線に、セルイラは話し声がするほうへ目を向けた。
馬鹿にしたような卑屈な笑いを滲ませていた魔族の少女二人は、セルイラの顔を見るやいなや気圧されたように滑らせていた口をぴたりと閉じる。
その後、持っていた煌びやかな扇で口元を隠すと、すごすごとその場を離れていった。
「わあ、凄いね。顔を向けただけで追っ払うなんて。彼女たちも、アメリアちゃんやセルイラちゃんの容姿には文句のつけようがなかったのかな」
魔族の少女たちの会話が聞こえていたユージーンは、今の一場面を目にしてそんな感想を述べる。
「……追っ払う? よく分かりませんが、セルイラは社交界の華と言われていたんですよ」
魔族の少女たちの言葉を聞き取れないアメリアは、ユージーンの発言に半分不思議そうな顔をするが、セルイラのことになると国で囁かれていた話を持ち出した。
「社交界の華? それは凄い」
「はは、ははは……どうも、ありがとうございます」
自分のその手の話題はどうにも苦手で、セルイラは避けるように視線を泳がせる。
「……。おっと、アルベルトの入りの挨拶、終わったみたいだ」
セルイラのぎこちない様子に、ユージーンは早々と話を切りあげると、アルベルトとメルウが立つ段差の方を向く。
釣られてセルイラも見ると、メルウが花嫁候補の令嬢たちに向けて、アルベルトの言葉を代弁している最中だった。
(あ、前奏が流れた)
そこまで時間も掛からず挨拶は終了し、いよいよ夜会の初めを彩るダンスの一曲目が行われようとしていた。
ありがとうございました!




