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3 200年後のわたしは



 セルイラが見る夢は、いつも決まって幸せに溢れる光景から始まる。

 元気よく走り回る息子と、産まれたばかりの娘を抱え、それをずっと嬉しそうに眺めているのだ。


 そして、彼が現れる。

 人間とは言語が異なるため、会話のほとんどは聞き取れなかったが、優しく囁かれた自分の名前だけははっきりと聞き取れた。


『セラ』


 視界が暗転する。

 気がつけばセルイラは冷たい水底に沈んでいた。

 そう、セルイラの夢の最後は、決まって冷たい水の底に行き着いて終わるのだ。


(……ああ、また)


 夢の中の自分は、抵抗もせずに水の奥底へと沈んでいった。

 セルイラはすべてを理解して、為すがまま夢の終わりをじっと待つ。それがいつも通りなのである。


 ただ、いつもの夢と一つだけ、おかしな違和感を見つけた。


(……?)


 気のせいかもしれない。もしかしたら勘違いだったのかもしれないが、いつもならば視界が真っ暗に染まり終わるはずの夢。けれど今日は、暗闇の奥に一筋の光が差した気がした。



「──はぁっ、はぁっ」


 夢から覚めたセルイラは、今までと比べ物にならない息苦しさに寝台から飛び起きた。

 慌ててサイドテーブルに置かれる水を一気に飲み干し、口の端から漏れる水滴を拭いもせず、ただぼうっと宙を見つめ呼吸を整える。


 しばらくすると、本来の起床時刻となり担当の侍女がセルイラの部屋の扉を叩いた。


「起きてるわ。どうぞ」

「失礼致します。セルイラさ……」


 許可を受け部屋へと入った侍女は、入室して早々に顔を合わせると驚愕した様子でセルイラへと近寄った。


「セルイラお嬢様! どうされたのですかっ」

「ええ? 一体なんの……」

「……こちらをお使いくださいませ」


 侍女が手渡してきたハンカチを目にしたセルイラは、ようやく自分が泣いていることに気がついた。


「……はあ、まただわ。言われるまで気づかなかったのは初めてだけど。お願い、他のみんなには内緒にしてね?」


 眉を弱々しく下げて頼むセルイラに、侍女はただ頷く他なかった。


 スッキリしない気分のまま朝支度を整えたセルイラは、廊下をゆったりと歩き食堂へと向かった。


(失敗した……いつもなら起こしに来てもらう前に気持ちを落ち着けていたのに)


 侍女の前で見せてしまった失態を恥じながら、あれだけ生々しい気分にさせられた夢は初めてではないかとセルイラは考えた。

 前世の自分の記憶を夢で見るのは、なにも今日に始まったことではない。けれど、あれだけ感情が揺さぶられ気を取り乱すような気持ちになるのはあまりなかった。


(いけない、いい加減に切り替えないと。……よし!)


 ぱちぱちと両の頬を叩いて自分に喝を入れたセルイラは、通りかかった侍女に怪訝な顔をされてしまったが、お得意の余所行き笑顔でなんの問題もなく歩みを進めた。


「おはよう、セルイラ」

「お姉様、おはようございます」


 父であるアルスター伯は職務のためすでに登城しており、食事の席に付いているのは母と妹の二人だけだった。


「おはようございます、お母様、チェルシー」

「あら……お姉様、なんだか顔色が悪くありませんか?」

「ええ? 気のせいよ。あ、今日の朝食はスコーンなのね」


 チェルシーに鋭いところを突かれ、慌てたセルイラは平静を装いながら着席し、目の前のスコーンを口に放り込んだ。


「まあ、セルイラったら。お行儀が悪いわよ」

「んふふ、ごめんなさいお母様」


 とはいえ、母も本気でセルイラを叱っているわけではない。

 書物を齧り付く勢いで読み漁るセルイラを周囲が変わり者と言っているのは事実だが、それ以上に彼女には実力があった。

 容姿はもちろん、公衆の面前での立ち振る舞い、仕草、語学、舞踏、刺繍……貴族の娘として生まれた以上は身に付けなければならない物事を、セルイラはすべて完璧にやり遂げていた。

 だからこそ周囲を含め母親もセルイラの行動に目を瞑っているのだろう。彼女もさすがに社交界の場でわざと行儀を悪くするほど考え無しなわけではない。


「お姉様は、本日も城の書庫へ行かれるのですか?」


 食事も終わり席を立ったセルイラに、チェルシーが尋ねた。


「ええ、そうね。予定もないし、もう少しで読み終わる書物もあるから」

「そうですか。お気をつけて。それで、あの、お姉様……午後で大丈夫なので、お願いがあるんです」

「どうかしたの?」

「刺繍を教えてくださいませんか? なかなか上手くできないところがあって……」


 もじもじとした様子のチェルシーに不思議に思いながら、未だに紅茶を啜る母へ視線を送ると、くすりと小さな笑みを返された。

 母親の仕草に合点がいったセルイラは、にんまりと口元をゆるめてチェルシーの頭を撫でた。


「レオル様にお渡しする贈り物ね。わかったわ、午後にわたしの部屋で一緒にやりましょう」

「へ!? あの、えっと……」

「隠すのが下手ね、チェルシー。それじゃあ行ってきます」


 にまにまと笑みを浮かべたまま、セルイラは食堂を出て行った。


 レオルとは、チェルシーの婚約者である侯爵家の次男だ。最近では贈り物をお互いするまでには仲良くなったらしい。

 それを微笑ましく思いながら、セルイラは廊下をてくてくと進んで厨房を目指した。


「おはよう、料理長。今日の朝ごはんもとても美味しかったわ」

「おお、これはこれは! セルイラお嬢様! そりゃよかったです」

「スコーンなんて三つも食べちゃった。それで、今日の分を貰いに来たのだけれど……」

「はいはい、用意しておりますよ。けどな、お嬢様。こういうのは侍女に持って行かせてくれませんかね……お嬢様が厨房に入るなんて普通ならありえんことなんですよ」

「いいじゃない。この屋敷のみんなは知ってることなんだから。もう聞き飽きたわ」

「まあ、そうなんですがね……まったく困ったなぁ」


 ぶつぶつと小言をもらす料理長から逃げるようにセルイラは馬車が用意された屋敷の正面玄関へ向かう。彼女の手には、料理長から受け取った小さな布袋が収まっていた。


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