29 友人の拳
メルウがアルベルトを呼んでいるということで、ひとまずセルイラたちは茶会の会場へと戻ることにした。
「セルイラ! どこにもいなかったので心配しました」
御手洗から帰って来たアメリアとニケは、姿の見えないセルイラを探していたようだ。
「でも、よかったです。これから余興で演奏がおこなわれるようなので、近くの椅子に……!」
セルイラが無事であったことに胸を撫で下ろしたアメリアは、後ろに立っていたアルベルトに気がつくと肩を跳ね上げた。
『お前は……』
自分を見て腰が引けた様子のアメリアに、アルベルトは開きかけた口をむすりと塞いでしまう。かける言葉を必死に探しているようだが、けっきょく見つけられずに終わってしまったようだ。
『おや、この空気は。とても妙だね。それにしても、またまた可憐な子だ。セルイラちゃんのお友達?』
『はい。同室のアメリアです』
蚊帳の外であるユージーンが楽しそうに笑っていたが、その体を蔦のようにするりと忍ばせアメリアに近づいた。
「はじめまして、アメリアちゃん。俺はユージーン。アルベルトとは昔からの腐れ縁なんだ」
「へ? え!? 言葉が……」
「そうそう、セルイラちゃんにも言ったんだけど、俺の産みの母が人間だったんだ。だからそれなりに話せるんだ。ちなみに今日いる他の連中も人間の言葉を理解しているよ」
「そ、そうでしたか。改めまして、アメリア・ゼフ・ディテールと申します。ご丁寧にありがとうございます。ユージーン様」
好意的なユージーンに少しの警戒はあるものの、アメリアは恐怖の類いを感じていないようだった。
怖くはないが、慣れた様子で至近距離を保とうとするユージーンに、男性に慣れていないアメリアは気圧されている。
「うーん、セルイラちゃんとは違った初々しさがあるねぇ。どうぞよろしく、アメリアちゃん」
「え!? あの、手に……っ」
ユージーンにとっては挨拶の一環なのだろう。彼がアメリアの手を取り、嫋やかにその白い甲へ口付けをしようとする──が、
『ユージーン』
それを制したのは、アルベルトだった。
目にも留まらぬ速さでユージーンの手首を叩き落とし、ふんっと鼻を鳴らす。
『わざわざこの女まで誑し込む必要ないだろ。女なんて他に山ほど寄ってくるんだ』
その発言にユージーンは目を丸くしてまじまじとアルベルトを凝視した。
(これは……どっち? アメリアを気にしてのこと? それでもやっぱり女性を軽視するこの言い方はいただけないわ)
どうしたものかと、セルイラはやれやれといった風に首を振る。
「あ、あの、今のは」
会話は分かっていないが、ユージーンの行動を止めてくれたアルベルトの顔をアメリアは驚いた様子で見つめていた。
勇気を出してアルベルトに言葉を掛けようとするアメリアだが、そこへメルウがやって来た。
『そうですよ、ユージーン。仮にもアルベルト様の花嫁候補として招いた娘に手を出していいと思っているのですか。交流は許可しても過剰な接触は禁止ですよ。まったく、あなたは一度女性にこっぴどく振られたらいい』
『いやあ、副官殿。酷い言い草だな』
セルイラたちの前に現れたメルウは、各々の顔を確認するなり小さく息を吐く。
『もう他の方々は席に着いていらっしゃいますよ。あちらのテーブルで構いませんので、お早くご着席を』
メルウの言葉どおり周囲を確認すると、すでにセルイラたち以外の令嬢と、魔族側の青年たちは好きな椅子に腰を下ろしていた。
この短時間で何があったのか知らないが、茶会の場にいた令嬢たちは、誰も魔族の青年たちを怖がっていない。アルベルトの時とは大違いであった。
待機している奏者たちを待たせるのも悪いので、セルイラたちは言われたとおり近くのテーブルの椅子に座る。
奏者たちがいる演壇からはかなり距離があるため、ここからではほんのりと音が聞こえる程度だろう。
しばらくすると、弦楽器の美しい音色が聞こえてきた。
「流れでこのテーブルになったけど、俺的には嬉しいな。もっと話してみたかったから」
セルイラから見て左側にはアメリア、右側にはアルベルト、正面にはユージーンが座っている。
そしてアルベルトの背後にはメルウが待機し、ニケは一人一人に紅茶を用意し始めた。
「それにしても、アルベルトが人間の女の子を魔界に召喚したって聞いたときは驚いたな。今までそんな素振り見せなかったのに、やっぱり気になったんだ。自分の母親と同じ、人間が」
「え……人間? アル、ベルト、様のお母様がですか?」
何気ない調子で話すユージーンだったが、彼の発言にアメリアは尋ね返していた。
ユージーンもそうだが、アルベルトの母親が人間であったことが意外だと感じたらしい。
「200年前に誕生した魔族の中には、母親が人間だっていう者も多いよ。まだ魔王様が人間の世界に干渉していた頃だったって話だから」
「魔王様……あの、夕餉の間でお姿を拝見しました」
「夕餉の間? へえ、アルベルト、意外と積極的に交流しているのか。それなら人間の言葉も覚えればいいのになぁ。今だって話の中身が分からなくて偉そうにふんぞり返っているだけだし」
『おい、人間の言葉で何を言っているのか理解できないが。ユージーン、お前が俺の癇に障ることをベラベラ話しているのは分かるぞ』
じろりと強い眼光をユージーンに浴びせるアルベルトは、少々苛立っているものの無闇やたらと暴れたりはしないようだ。
友人というだけあって陽気でどこか憎めないユージーンの性格を熟知しているためか、発言のすべてに噛み付いても無駄だと思っているように見えた。
「……なんだか不思議です。本当に人間と魔族は、関わっていた時代があるのですね」
「そうだねえ。なんせ200年前だから、生きる時が短い人間からしてみれば実感も湧かないしだろうね。だから、セルイラちゃんにはびっくりしたよ」
「え?」
深く触れにくい話題で聞く側に徹底していたセルイラは、唐突に話を振られて素っ頓狂な声をあげる。
ユージーンは変わらずにこにこと笑みを浮かべているが、反対にセルイラは顔を強ばらせた。
「魔界語。人間がそんな滑らかに話せるなんて、凄いね」
「……よく、城の書庫に通い詰めていたので。おそらくわたしはお茶会の出席より、書庫に費やす時のほうが多かったでしょうね」
もちろんセルイラでも断れない誘いは受けていたが、それでも本を読み耽る時間に比べれば浅いものである。
『失礼致します』
そこへニケが赤茶色の紅茶が注がれたティーカップをセルイラの前に置いた。
これ幸いとセルイラは視線を下降させ、カップの持ち手をつまむと、ほっそりと優美な動作で喉を潤した。
「あの、なにか顔についていましたか?」
「いや、そんなことないよ。とても綺麗だなと思って」
「……それは、お褒めいただき光栄に存じます」
社交辞令にセルイラは無難な返答をした。
(この人、凄い見てくる……穴があきそうだわ)
異性に顔を見つめられることに、セルイラは慣れていないわけではない。
下心丸出しの邪な目なら社交界で嫌というほど経験していた。けれどユージーンから感じるのは、もっと純粋な好奇心に似た感情である。それに合わせて口説き文句を堂々と言うものだからセルイラは戸惑ってしまった。
『で、アルベルトはさっきからなぜ黙りなんだい。それに、変に落ち着きがない』
茶会の主役が大人しいことに違和感を持ったユージーンは、おちゃらけながら言った。
『は? いつも通りに決まってるだろ』
『いやいや、どこがだよ。もしかして、両手に花で緊張しているとか、はは冗談だよ』
『ははは!! 何を言うかと思えば。くだらな過ぎて笑いが出る。どうしてこの俺が緊張なん……て……げほ!』
大袈裟な高笑いをかましたアルベルトは、その最中で正面に座ったアメリアと目が合ってしまい、飲みかけの紅茶を軽く吹き出した。
(極端すぎるわ……アルベルト)
後ろにいるメルウも同じような表情を浮かべている。
憐れになりながらセルイラは自分のハンカチを取り出すと、未だにむせ返ったアルベルトに差し出した。
『……? なんだよ、これ』
『なにって、拭くもの。これで事足りるわ』
『い、いらない』
自尊心が邪魔して受け取ろうとしないアルベルトは、セルイラのハンカチを突き返した。
『恥ずかしがるなら、まずその飛び散ったお茶の滴を拭いたらどうなの、ほら』
『うるせー! 押し付けんじゃねぇ!』
『なんだい君ら、随分と仲がいいじゃないか』
瞠目させたユージーンは、ハンカチを押し付け合うセルイラとアルベルトを交互に見据えた。
『仲良くなんかねぇ! ユージーン、黙れ!』
『……! ちょっと、魔力縛りを使うのは酷いわ』
思わず出てしまったのか、アルベルトに魔力縛りを放たれたセルイラは体がビクとも動かなくなってしまった。
手加減をしているのか、口を開けるぐらいの余裕はある。
『こら、アルベルト。生身の人間に魔力縛りを使うなんて拷問だ。魔族と違って魔力を自由に扱えないんだから。いつもお前が相手にしてた我の強い女の子たちとは違うんだぞ』
『分かってるっての!! ……だから、しっかり抑えてるだろ。昨日、父さんにも……こっぴどく言われた』
ぶるりと震えた体を無意識に抱きしめるアルベルトは、完全に親に叱られた子どもの顔をしている。
『はぁ……ったく。アルベルトに寄ってくる女の子って、自分に自信がある子ばかりだったな。力もそれなりに強いから、アルベルトの魔力縛りも上手く躱してたんだろうな』
ユージーンの知るアルベルトの女性関係は褒められたものじゃない。
聞けば聞くほど頭が痛くなるものばかり。その横暴な態度さえ王子たる威厳だと酔いしれ喜ぶような魔族の女性も少なくなかったのだとか。
魔力縛りをされ苦しむどころが喜悦するなど、セルイラの理解の範疇を超えていた。
『絶対に人間の女の子に手加減なしでするなよ? というか、そもそも魔力縛りをそう簡単に使ったりしたら駄目だぞ?』
『黙れ。お前は俺の親か』
『友人を心配してはいけないかい?』
偽りのない真っ直ぐな言葉に、アルベルトはぐっと息を飲み込んだ。
『…………。もう、やらない。お前みたいな口煩い野郎の小言は聞くに耐えない』
反省しているのか疑わしいところだが、アルベルトなりに考えを改めたようだった。
『そうそう、口煩い男の話には耳を傾けるもんだ──て、え? もう、やらない?』
ぎょっとしたユージーンは、どういうことかと控えていたメルウに目を向ける。
『……少々、ハメを外しすぎましてね。花嫁候補のご令嬢の一人を床に倒伏させてしまいまして』
『……。この、ばか!』
『いってぇ! 何しやがる女たらし!!』
目の前の光景にセルイラとアメリアは開いた口が塞がらない。
それは席を立ったユージーンが、瞬く間にアルベルトの頭上へ鉄拳を食らわせたからである。
『魔王様はどうせ言葉だけで終了だからな。甘いのか放任過ぎなのか知らないけど、こういうのは身をもって味わってみないと学べないんだよ』
両手をパタパタと払いながらユージーンは当たり前のように言った。
これは問題にならないのかとメルウの顔を窺うが、この二人にとっては友人間の出来事で済まされてしまうのだろう、特に動く様子はない。
「あ、あの。これはどういうことなのでしょうか……」
ただユージーンがアルベルトを拳骨しただけの場面を見せられ、アメリアはわけが分からず狼狽した。
「この前の夕餉の間でのことをユージーン様が今知ったようで……説教しているみたい」
「説教、ですか?」
「ええ、わたしたち人間が魔力縛りにかかると、最悪サリー様のようになるのだけれど。……アルベルト……さま……は、魔族の女性相手にしか使ったことがなかったから、手加減を知らなかったみたい」
「え、魔族の女性にですか?」
「……まあ、その、うーんと、色々あるらしいわ。女性でも魔族は魔法を使えるだけの力があるから、サリー様のようにあそこまで苦しまないみたいだけれど……」
所々に濁しつつセルイラは説明をした。だからといってアルベルトのことをセルイラは庇護出来ない。
アルベルトが苦しんでいたサリー令嬢を弄ぶようにしていたのは確かなのだから。
(まあ、魔王とユージーン様に咎められて少しは懲りたようだけれど。アルベルトは今まで一体どんな子を相手にしていたのよ……いや、知らなくていいわ)
もう何も考えるまいと、セルイラは肩を竦めた。
ありがとうございました!




