26 求める彼らの泡沫の夜
泣き疲れて眠っていたアメリアが目を覚ましたのは、セルイラが朝食のサラダを食べ終わる頃だった。
「……セラ?」
「ああ、起きたのね。気分はどう?」
椅子から立ち上がったセルイラは、水を注いだグラスをアメリアの元へ持って行く。
グラスを受け取ったアメリアは、どこか気恥しそうに視線をさ迷わせた。
「えっと……先ほどはごめんなさい。わたくしったら子供みたいに泣いてしまって」
「いろいろと疲れが溜まっていたのよ。わたしは別に気にしないわ」
「セラ、ありがとうございます。そちらは……」
へにゃりと破顔させたアメリアは、いつの間にやらセルイラの背後に立っていたニケのほうに目を向けた。
「この子はニケよ。この部屋のお世話係のメイドさん。昨日それとなく自己紹介されたけど、魔界語だったし、あまりよく分からなかったよね」
「え、ええ。そういえば……セラは、魔界語が」
ふと思い出したアメリアの瞳が戸惑いの色に染まっている。
普通に生きていたら魔界語など覚える必要もないものだ。それを理解出来て話せるとなれば驚くのも無理はない。
「ちょっと、躍起になって魔界語を勉強していた時期があったの。話すことは慣れていないけれど、城の書物の中には魔界語で書かれた物語が保管されていたから……それで理解出来るようになったんだ」
「どうしてそのようなこと……いえ、根掘り葉掘りお聞きするなんて、図々しいですね」
「……そんなことないわ」
だが、正直アメリアが素早く身を引いたことにセルイラは安堵していた。
200年前の自分を知っているメルウやニケと違い、アメリアは全く無関係である。
それ故に説明が躊躇われるし、何せアメリアと息子のアルベルトは妙な確執が出来てしまっていた。どう考えてもアルベルトに好意的ではないアメリアにどう話せばいいのだろう。
『……アメリア様もどうぞお席にご着席くださいませ。朝食のご用意を致します』
「え?」
悶々としているセルイラを見かねてか、ニケが流れるような動きでテーブルの椅子を引いた。
「あの?」
その行動に困惑しながらアメリアはセルイラに目を向ける。
「朝食の用意をするから、アメリーもどうぞ座ってって言ってる」
「……な、なるほど。それでは、その、失礼します……」
恐る恐るアメリアが用意された席に腰を下ろした。魔族であるニケにまだ心が置けない部分はあるものの、相手に敵意がないことは分かっているようだった。
(ニケ、気を利かせてくれたのかな。……わたしも、しっかりしないと)
「セラ! 小鳥がセラのご飯を突っついています!」
「チチッ」
「か、可愛いです!」
「ああ、そうだわ。その子はアオっていって──」
驚き混じりの感激声が聞こえ、セルイラは慌ててテーブルへと戻って行くのだった。
──その夜、セルイラは寝台の上で深いため息をついていた。
(うーん、眠れない……)
今日は特に何も無く、アメリアと共に部屋にいて一日が終了した。
セルイラを含め花嫁候補の令嬢たちに用意された部屋があるのは、東の棟のとある一角。そこには共有スペースである談話室や、中庭に繋がるサンルームがあるという話だが、まだこの目で確かめてはない。
他の令嬢たちもそうだろう。誰が好き好んで得体の知れない魔王城を散策するというのだろうか。
せいぜい良くて部屋の中で茶をすすり時が過ぎるのを待つほか与えられた手段はない。
「……チチッ」
枕元で体を丸めていたアオが、嘴を器用に使ってセルイラの髪を掬いあげた。
何かを感じとっているのだろうか。何度も寝返りを打つセルイラを気遣っているようにも思える。
「アメリーが起きちゃうから、静かにね」
「チュン」
アオの丸み帯びた頭部を優しく撫でながら、セルイラはまた考え込んだ。
(……呪い。真名を使った、呪術。もう、分からないことばかり……)
ぼんやりと寝台の天幕を見つめていると、徐々に浮遊感に包まれていく。ようやく眠気がきたのだろうか。
「チチチッ」
「アオ……」
仰向けのセルイラを覗き込むように、アオが胸の上に登ってくる。
「……わたし、あまり寝相が良くないの。潰れるから……どい……」
言い終える前に、セルイラの瞼はゆっくりと閉じられていった。
「──チュンッ」
夢を見た。
これは夢であると、セルイラがすぐに察したのは、自分が浮いていたからである。
浮いているというよりは、羽ばたいていると言ったほうが近いかもしれない。
(ここは、魔王城……? わたし、アオになってるの?)
夢だからだろうか。体があの青い小鳥になって、魔王城の中を飛んでいる。どういうわけかそれを具体的に客観視できていた。
視点はあくまでアオであり、セルイラが行きたいところへ羽ばたいていけるわけではない。なんとも縛りのある変な夢だ。
(ここは、そうだ。ノアールの……)
夢の中のアオは、迷うことなく静まり返った魔王城を進んでいる。
パタパタと微かな羽音さえ響きそうな寂しい廊下の先には、セルイラの記憶に間違いがなければ魔王ノアールの寝室があった。
どういった仕組みなのか、アオが固く閉ざされる巨大な観音扉の前まで来ると、風に押されたように扉が開いた。
(……いた)
その姿に、セルイラの鼓動が速まっていく。
(ノアール)
闇夜に紛れたノアールは、窓の外をじっと眺めていた。空には蒼白い巨大な月が浮かんでいる。あと数日で完璧な円を描くであろう月を、ノアールは取り憑かれたように見上げていた。
どくどくと体全体が脈打っているかのように騒がしい。
(なんて現実味のある夢なの)
淡い月光の輝きを纏うノアールは、触れれば音もなく消えてしまいそうで、例えようのない淋しさがセルイラの心に染み入る。
『──』
ふと、ノアールの唇が形を作り微弱な音を紡いだ。しかしセルイラには聞こえず、気になっていればノアールの姿が視界から消えた。
天井付近で翼をパタパタと上下し動きを止めていたアオが、ノアールの寝室を探索するように見始めたのである。
おかしなことにアオの存在をノアールは全く認識していなかったが、それも夢だからとセルイラはすぐに納得した。
(これはわたしの夢、なのよね。そっか……だから部屋もあの頃と同じままなのね)
200年前からここはとても殺風景な部屋だった。本当に人が生活しているのか疑うくらい一切の乱れがない無機質な空間。
これといって物欲のなかったノアールには、200年前もこれが普通だった。
執務室はべつにあるとはいえ、必要最低限の寝台とお情け程度のサイドテーブルがあるのみ。ほかに調度品の類いは無く、言わなければここが主の部屋であるとは分からないほど質素な一室だった。
(早く、覚めて)
目を逸らしたくても逸らせず、だからといって自分の意思で夢を終わらせることはできない。セルイラが居た堪れないでいると、アオは寝台横にあるサイドテーブルに足をつけた。
(──!!)
サイドテーブルには、萎れかけた一輪の花が置かれていた。
真っ白な絹布の上に大切そうに寝かせられる花は、あきらかに弱っているものの鮮麗な紫に色づいている。
(これは、夢。もう、いいでしょう。起きて)
飾り気のない簡素な空間で浮いた花の存在にセルイラは釘付けになるものの、その刹那に飛び込んできたのは吐息混じりのノアールの声音だった。
思わず出てしまったかのような、静かな声。
『──、セラ』
夢は、終わりを告げた。
◆
「……はっ、はぁ、はっ」
じんわりと湿った背中に張り付く衣服の不快感に、セルイラは息を整えながら上半身を起こした。
「……っ、アオ」
片手を後ろについて体を支えながら枕元を確認すると、その横でふっくらとした毛並みの青い小鳥が体を丸くさせ座り込んで寝ていた。
小鳥の視点でノアールの部屋の夢を見てしまったのは、枕元でアオが眠っていたせいだろうか。
たしかオーパルディアにも幼子に読み聞かせる絵本の話の中で、そんなおまじないがあったはずだ。
枕の下に逢いたい人の名前を書いた紙を忍ばせて眠ると、夢の中で出逢えるという物語ならではのものが。
(もう、なんなの本当に……あれ?)
眠りこけたアオのあどけない顔を見てセルイラは余裕を取り戻すが、アオの体の周りに落ちていた青い羽毛を発見すると、首をかしげ少し眉をひそめた。
(アオから抜けた羽毛? 昨日の夜は、なかったはずだけれど……アオが夜中に飛び回りでもしたのかな)
散らばった羽毛を指で摘み観察しながらセルイラは思考を巡らせるが、寝台の仕切りが開けられたことによりそれは中断された。
『セラ様、おはようございます』
『あ、ニケ。おはよう』
『……? いかがなさいましたか?』
すでに体を起こしていたセルイラにニケが尋ねる。
『ううん。なんでもない。それよりどうしたの? こんな朝に』
『本日の予定をお伝えに参りました』
『……予定?』
『はい。午後から東の棟の中庭にて、茶会が開かれます』
『……それは、また急ね』
花嫁候補の令嬢たちと、見物目的に参加するという魔族側の貴公子たちが数人、そして主役のアルベルトという組み合わせを聞いて、セルイラの頬はひくひくと引き攣るのだった。
ありがとうございました!




