25 青い鳥
一通りの話を聞かされたセルイラは、メルウとニケの前ではあるが、一人考え事に沈んでいった。
「──チチチッ」
そんな時である。気が抜けるような軽い音が聞こえてきたのは。
「チチッ」
聞き覚えのある音にセルイラは素早く顔をあげた。
『今のは鳥の声でしょうか』
そう言ったメルウは部屋をキョロキョロと見渡し、最終的にその視線は椅子に座っていたセルイラの足元に止まった。
「チチッ」
また、かすかに鳥の鳴き声がする。
『セルイラ様の体から聞こえてきますね』
『ええ? どうして……それにしても、どこかで聞いたことがあるような』
立ち上がったセルイラは、一度その場でくるりと回った。どこにも変化は見られない。
次に長いドレスの裾を脚が出るくらいまで持ち上げてみる。すると、ほんのわずかに生地とは別の重みがあることに気がついた。
「……あ!」
こわごわと裾を捲り上げたセルイラは、隠れるようにスカートの裏地にくっついていた物体に声をあげる。
「アオ! どうしてここに?」
「チチッ」
まるで「見つかっちゃった〜」とでも言っているのか、セルイラに名前を呼ばれた青い鳥は小さな翼を羽ばたかせ、セルイラの顔の前に飛び立った。
オーパルディアの王城を住処にしていたはずのアオがどうして翻したドレスの裏に引っ付いていたのか、セルイラには心当たりがまるでない。
そのうち飛び疲れたのか、アオは軽やかにセルイラの肩の上に降り立ち、満足気にふんぞり返って身を置いた。
ぷくぷくと膨らんだ柔らかい胸毛に頭部を埋めている。
『セルイラ様、その鳥は……』
『オーパルディアの王城にいた小鳥よ。魔界語が書かれた書物が置いてある書庫に通っていたときに、よく窓際で餌を与えていたの。まさか、くっついていたなんて知らなかった……』
『なるほど、奇妙ですね』
アオを興味ありげに注視するメルウ。けれど弩にでも弾かれたように、急に居住まいを正した。
『申し訳ございません。アルベルト様がお呼びのようです』
『ええ?』
突然の発言にセルイラは瞬きを落とした。メルウを呼ぶような声が聞こえたのだろうか。
『念話です。広範囲には使えませんし、頭に響いて煩わしいという理由でアルベルト様はあまり使いませんが。……少々、込み入っているようです』
メルウは額に手を当てて疲れたようにため息を吐くと、気を取り直してセルイラの前で一礼をした。
『アルベルト様が今回、人間の令嬢たちを召喚したことについて魔王様に問い詰められているようです。まあ、そうなるとは思っていましたが』
『本当に……あの人は知らなかったのね。魔界から届いた書簡の印には、魔王のものが押してあったはずなのに』
『それはアルベルト様が勝手に押したものですから。書簡が届いたときの話はお聞きしましたか? 書簡と共に青い炎が周囲を漂っていたと』
力の強い魔族は魔法を扱う際、飛び散った魔力が形を作り変型し炎として目で認識できるようになる。
アルベルトの場合その炎の色が青色だった。夕餉の間で蝋燭の炎が紫色のすべて変わったように、魔王ノアールの魔力の飛び散りは紫色の炎である。
『さすがにそこまで気が回らなかったわ……』
『そうでしょうねぇ。それでは、私はアルベルト様と魔王様の間に入って誤魔化しますので、セルイラ様はどうぞ朝食をお摂りください』
『え、だけど』
『一度に多くのことを話してしまいましたから、ここで整理する時間が必要でしょう。セルイラ様も、牢でそう仰っていたではありませんか』
『……そう、ね』
ぐっと言葉を飲み込んだセルイラは首をすくめる。
『その小鳥の対処は……ひとまず置いておきます。セルイラ様に懐いているようですし危害は加えないでしょう。それでは』
再度深々と頭を下げたメルウは、灰色の炎とともにその場から姿を消した。
残されたセルイラとニケはお互いに顔を合わせるものの、先ほどの話を改めて切り出そうとはしない。何を思ったのか、ニケは配膳台からティーポットを手にしてカップに中身を注ぎ始めた。
『セルイラ様、朝食をご用意いたします』
『ありがとう、けれど今は──』
『いけません。どうかお召し上がりください。一度に多くのことを知られて混乱しているでしょうが、考えるにも体力が要るのです』
さあ、と手始めに紅茶を差し出したニケからカップを受け取ったセルイラは、控えめに口端をあげた。
『そういう強引なところ、ナディにそっくりね』
『……それはもちろん、私の母ですから』
『あはは、そうね』
紅茶を一口飲み込むと、体がじんわりと暖かくなっていく。そういえば地下牢に入れられてから何も喉に通していなかった。
それからゆっくりと回数を重ねて紅茶を胃に流し込んでいく。香りの良い茶葉を使っているのか、だんだんと気持ちが落ち着いていった。
『……わたしは、愚かね』
『セルイラ様?』
『……あのね、ニケ。わたしが魔界に来たのは、ほとんど勢いだったの。200年前にあんなことがあって、王城に魔王からの書簡が届いたと思ったら、内容があまりにも酷いもので。結局あれは、魔王じゃなくてアルベルトのだったけど』
『驚かれましたでしょう……』
『ええ、それはもう。だから一発ぶん殴ってやろうって……夕餉の間であの人の顔を見るまでは、思っていたのよ?』
時間をかけて飲み干した紅茶の入っていたカップをセルイラはテーブルに置くが、手を離すことはなかった。
『……でも、できなかった。あんなに顔色が悪い人、どうしたって叩けないじゃない』
カップの飲み口をセルイラは両方の親指で擦っている。
そして指の動きをぴたりと止めたセルイラは、弱々しくくしゃりと苦笑させた。
『それどころか、わたしには忘れてしまっている記憶があって、アルベルトやミイシェ、それにナディは思ってもいないことになっていた。そんな時にわたしは自分のことばかり』
『それは、仕方のないことです。セルイラ様が気を病まれる必要はありません』
『……ニケはそう思ってくれるのね』
『200年の時はそう簡単に埋まるものではありません。けれど、セルイラ様は魔界に召喚され、こうして知ることができた。それはセルイラ様が強く思い行動に移されたから成し得たことです』
そう言ったニケは、セルイラに向けて柔らかな微笑みを浮かべた。
意識しなければ無表情と化するニケからは極めて珍しい、綻んだ顔にセルイラは目を奪われる。
『私はどんな形であれ、セラ様と……セルイラ様とまた出会えたことが本当に嬉しいです。先のことは、これからまた改めて考えればいいのです』
ニケなりの慰めなのか、セルイラの目の前の皿には、菓子が文字通り山のように積まれていった。
『ふふ、もう。こんなに食べれないってば』
『朝は多めに食べても問題ありませんから』
『……ニケ』
『はい、なんでしょうか』
『わたしのこと、セラって呼んでいいのよ。さすがに他の魔族がいる前では避けたほうがいいと思うけれど、今話しているのはわたしとあなただけだから』
「チチチッ」
会話に混ざるように鳴き声を出したアオ。そんなアオのもこもことした胸の毛を、人差し指で突っつきながらセルイラはくすりと笑った。
『そうね、アオもいたわね』
中身が200年前のセラと分かってしまっては余計に呼びにくいのか、ニケは名前を呼ぶとき明らかに躊躇いがあった。
セルイラはそれが気になっていたのである。
『……ありがとうございます、セラ様』
ニケは胸を手で押さえ噛み締めるように名を呟いた。
(あの人に呼ばれる勇気は、これっぽっちもないけれど)
セルイラには、隠しきれない葛藤が残っていた。
「──チチッ」
その心根を察したかのように、アオはセルイラの首筋にするりと寄り添うのだった。
ありがとうございました!




