20 あなたの成長
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魔族の成長速度は初めの頃、さほど人間と変わらない。
それが月日が巡るとともに変化していく。
子どもの頃は体内にあるだけの状態の魔力が、細胞組織へ深く浸透していき徐々に本来の魔族の成長速度になっていくのだ。
──アルベルトが二歳を迎える、少し前。
「アル、アルベルト」
『んま!』
手の鳴るほうへよちよちと、おぼつかないながらも、躍動感を見せ始めた歩行。
『かっ、しゃ! んま!』
舌足らずが『母様』と一生懸命に呼んでいる。ほんの少しの単語ならばセラも理解が追いつくようになってきた。
また、魔界語を教えるメルウとナディエーナのおかげもあってから、アルベルトは覚えがとても早かった。
「ふふ。ほら、こっち」
小さな体を優しく包む母の腕に、アルベルトはきゃっきゃと笑いながら、もちもちとした弾力のある頬をすり寄せた。
「すごい、アルベルト。頑張ったね」
『えへへえへ』
最近気がついた癖のある笑い方に、思わず顔が一気に緩んでしまう。
「アルベルト様、長く歩けるようになってきましたね」
「うん、本当に」
背後に控えていた侍女のナディエーナが、微笑ましげにセラとアルベルトを交互に見やった。
「こうして日に当たると鮮明に分かりますね。お髪の色、セラ様の赤を受け継いでいらっしゃる」
赤子の頃は判別が難しかったアルベルトの髪は、今となっては柘榴石のような色味となっていた。
父親の黒と、母親の赤錆色。
たしかにぱっと見た色合いは赤が強い。
「あとは、ほとんど父親譲りだけどね」
「ふふ、お顔立ちは確かにそうですね。しかし、こうして見ると、そっくりですわ」
「ええ? わたしと?」
「はい、やはり親子ですね」
「……そう、なのかな」
『かあしゃま?』
憂いだセラの顔を、アルベルトがのぞき込んでくる。
咄嗟にセラは笑顔を作った。
この先、この子はどのように育っていくのだろう。優しい子に育ってほしい。強い子に育ってほしい。人の痛みがわかる子に育ってほしい。家族を大切にする子に育ってほしい。
母親として望みを挙げだしたら、それこそきりがなかった。
押しつけるつもりは一切ない。けれどこれだけは子を想う親として、譲れないものがある。
「アル。どうかあなたが、元気に生きていけますように」
『えへへ、かあしゃま、くしゅぐったーよ』
あまりにも愛らしいこの姿にくらりときてしまう。真剣な顔が一変して締まりのないものになった。
「……ああ〜! だめ、やっぱり可愛い!」
「ふふ。目に入れても痛くない、という比喩もございますものね」
「うん、こんなに可愛くて困っちゃう。もう食べちゃいたい」
「アリュ、たべーない」
戯れの一貫でアルベルトの頭に顔を埋めると、そんな声が聞こえた。
魔族は耳と舌の構造上、魔界語の発音が最も音として発しやすく聴き取りやすい。
けれどアルベルトは、母親の言葉をも自然と覚えはじめていた。成人魔族と違って幼児であるアルベルトの脳は柔軟ゆえ、それが可能だったのだ。
毎度のこと「食べちゃいたい」と母親が自分に向かって言うものだから、なんとなくだがアルベルトも意味を察していた。
『──また、ここにいたのか』
執務中である魔王が、セラたちのいる中庭へとやって来た。
魔王城の中庭……といっても、東側の宮にあるこじんまりとした中庭であった。
セラにとっては十分すぎる広範囲のその庭は、セラが植えた花々と、良かれと思って城の魔族が運んできた茶会用の丸いテーブルセットが置かれている。
魔王城の暮らしに慣れてきたとはいえ、広すぎる城内が落ち着かないセラにとって、この場所はお気に入りだった。
『とーしゃ、ま!』
執務中であるはずの父親、ノアールが現れたことに大興奮のアルベルトは、すぐさまに駆け出した。
途中、右足がもつれて顔面から転びそうになったアルベルト。地面すれすれのところで、ノアールが魔法を操りアルベルトの体を浮かせる。
そのまま、宙をふわふわと移動したアルベルトは、ノアールの胸に吸い寄せられていく。
『……突発的に走ろうとするなと、何度言えば分かる』
淡々とした口調とは裏腹に、アルベルトをしっかりと抱え込んだノアールは、普段よりもずっと無防備に見え、セラの胸がきゅっと収縮した。
『えへへえへ』
『……ふ。まったく、その笑いは誰に似たのだ』
流れるような動きで、ノアールはアルベルトの旋毛にやんわりと唇を這わせる。
母親と全く同じ行動をした父親に、アルベルトは先ほどと同じ言葉を繰り返した。
『へへ。とおしゃま、くしゅぐったーよ!』
思わず小さく吹き出したセラは、その光景を眩しいものでも見ているように目を細める。
『──セラ』
十分に触れ合ったアルベルトを片腕に乗せながらノアールは、セラへと歩み寄ってきた。
間近で見上げた彼の顔は堅苦しく、それでいて顧慮しているような、無言の圧が伝わってくる。
「ノア」
このように呼び始めてから半年は経ったというのに、未だに面映ゆさが拭えない。
それは呼ばれた本人も同じようで、お互いがお互い気づかれないように含羞の表情を隠していた。
『……そろそろ北風が強まる。体は、冷やさないほうがいいのだろう』
ノアールは、後ろに控えて二人のやり取りを見守っていたナディエーナに言った。
『──。ええ、ええ。そうですわ、魔王様。セラ様のお体は、今がとても大切な時期です』
なぜ執務中であるノアールがこの場に来たのか。その真意を読み取ったナディエーナは、感極まったように唇を震わせている。
おそらく魔王は暇さえあれば中庭に訪れてしまうセラの体を案じて、自らの腰を上げて迎えに来たのだろう。
この不器用な優しさは、他の誰でもないセラが引き出したものだった。
はたしてセラは、気づいているのだろうか。
『あとのことは任せる。問題があれば、早急に知らせてくれ』
『かしこまりました。魔王様』
『セラ』
そう念を押すノアールは、ほとんど聞き取れていなかったセラの前髪をさらりと一撫でする。
その仕草がどこまでもゆっくりとしていて、時間の進みが遅いのか、ノアールの動きが遅いのか、よく分からなくなった。
ノアールの指先が額に触れ、驚いた拍子にセラは咄嗟に自分の手のひらを押し当てた。これだけの触れ合いで熱を感じる自分が馬鹿に思えてくる。
『…………恐がることはない。花の欠片を、取った』
ノアールの人差し指と親指の隙間には、彩やかな色の花びらがあった。
目の前の過剰な反応にノアールは困ったように口元を笑わせ、花びらに興味を持ったアルベルトに手渡していた。
『邪魔をした』
『ばーばい、とおしゃま』
地面にアルベルトを降ろしたノアールは、踵を返して執務へと戻っていく。
その広い背中を見送るセラは、ぼんやりと考えていた。
「さあ、セラ様。風が冷たくなると、魔王様がおっしゃいました。お部屋に戻りましょう」
「……もしかして、あの人はそれだけを言いに来たの?」
「ええ。左様でございますよ。魔王様も気にしていらっしゃるんです、セラ様のことを。それに……お腹の子のことも」
ナディエーナはセラの肩に薄手の毛布を羽織らせる。
セラは自らの腹を擦りながら、ノアールが歩いて行った方向をしばらく目で追っていた。
『おか、しゃま。おなか、いちゃいの』
「セラ様。アルベルト様がお腹が痛いのかと、ご心配されております」
「あ……ごめんね、アル」
膝を軽く折ってアルベルトの横髪を手櫛で梳かしながら、セラは安心させるように微笑みかけた。
「この子を守ってあげられるようなお兄ちゃんになれるといいね、アルベルト」
花壇に植えられたピンク色の花が、見守るように風に揺られている。
それから約1年後、セラは無事に女児を出産したのだった。
ありがとうございました!
次回、牢の場面に戻ります。




