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15 200年越しの再会



 ──ガシャン!


 何かの割れる音が聞こえ、セルイラは弾かれるように斜め前へ目を向けた。


「あ、あ……わた、わたくし……」


 そこには、顔面蒼白の令嬢が唇を震わせて言葉にならない声を発している。

 セルイラの斜め前……すなわち、彼女はアメリアと同じくアルベルトの席から一番近い椅子に座っていることを意味していた。


 彼女が今にも卒倒しそうでいる理由は、じんわりと赤々しく変色し始めた白いテーブルクロスを見れば一目瞭然である。


(この方はモイズ侯爵家の……名前はサリー様だったわね。グラスを倒してしまったんだ。可哀想に、震えて持ち手が定まらなかったんだわ)


 すり潰した果実の汁が注がれていたグラスは、運悪く皿の端に当たってしまいヒビが入り割れていた。

 しかも、転がった拍子に果汁が四方八方と飛び散り、滴り落ちた赤色の滴はアルベルトの衣服にシミを落としたのだ。


『……』


 アルベルトは汚れた自分の衣服をじろりと見下ろしたあと、がたがたと震えたサリー侯爵令嬢のほうへゆっくりと視線を送った。


 衣服を汚され怒りをあらわにしているというわけではない。

 けれど瞬きをひとつも落とさず表情を変えることのないアルベルトに、令嬢たちはもちろん控えていた使用人らにも緊張が走った。


「あ、あの、わたくし……」

『なんだ? 謝罪のひとつもまともにできないのか?』


 うんざりとしたような、それでいて純粋な疑問を口にしたように、アルベルトは首をわずかにかしげた。


「……っ」


 圧倒され言葉をうまく話せなくなってしまった彼女に、アルベルトはそっと近づく。

 何を思ったのか、アルベルトは乱暴にサリー令嬢の顎を掴んで無理やり顔を上に向かせた。


「ううっ」

『謝ることもできないってか、人間の女は』


 謝るどころではないサリー令嬢を不憫に思いながらも、ほかの令嬢たちは自分があのようにならなくて良かったと心底感じていた。

 誰も彼女を助ける気などないのだ。

 もし口出しをしようものなら被害を被るのは助けたほうである。

 サリー令嬢より爵位の低い家の生まれである令嬢たちも、普段なら社交界の場で彼女におべっかを使っていたが、魔王の息子の間に入って助けたいと思うほど絆があるわけではなかった。


 助けに入らないのではない。入れないのだ。

 魔王の息子が相手なんだから仕方がない。

 誰しも自分が一番可愛いのだから。


 令嬢たちが心の中で何かと理由を付け、自分を正当化しているさなか、それに反してひとりの少女が動いた。


「そ、その者が……大変な無礼を致しました。申し訳ございません。彼女に代わって謝罪させていただきます」


(アメリー!)


 このままではさすがに危ないと、セルイラが席を立とうとした瞬間、一歩早く行動に出たのはアメリアだった。


『なんだ? おいメルウ、この女はなんて言ってる』

『彼女の代わりに謝罪をされています』


 今まで傍観体制をとっていたメルウが、ちらりとサリー令嬢に目を向け説明をする。

 それを聞いて興味深そうにアメリアを確認したアルベルトは、ハッと乾いた声を出した。


『さっきまで俺が近くにいるだけでビクビクしていたっていうのに、威勢がいいじゃねーか。なんだ、オトモダチってやつなのか?』


 アメリアとサリー令嬢に接点らしい接点はない。むしろサリー令嬢は、影でアメリアのことを「お高くとまった箱入り娘」と、ほかの令嬢たちと陰口の話題にしていたのである。

 ちなみにセルイラもサリー令嬢の陰口の対象になったことがあった。彼女は古典的な高慢ちきな令嬢であったのだ。


「……して」


 自分が普段から気に食わないと言っていた相手に助けに入られ、サリー令嬢が安堵したと同時に込み上げてきたのは、どうしようもない羞恥心。


「もう、いや! こんなのまっぴらだわ!! どうしてわたくしがこんな目に遭わないといけないのよっ!!」


 プツン、と糸が途切れるように、サリー令嬢は悲鳴に似た声をあげて暴れ出した。


「誰が魔族の花嫁になんてなるもんですか! さっさと屋敷に帰して! わたくしを帰しなさいよ!!」


 おそらくこれまでの緊張が解け、自暴自棄になってしまったのだろう。

 温室育ちでぬくぬくと生きていた貴族の少女たちにとって耐えられないことの連続であったから。


「このっ、汚らわしい化け物!」

「サリー様、駄目……!」


 その辺に置いてあったグラスを握りしめたサリー令嬢は、アメリアの制止も虚しく思いっきりアルベルト目掛けてそれをぶちまけた。


『……ははっ、はははっ』


 ポタ、ポタ、と、アルベルトの髪から滴り落ちる赤い色の滴。

 甘ったるい匂いが周囲に漂い、サリー令嬢の興奮した息遣いだけがセルイラの耳腔に伝わる。


 サリー令嬢がぶちまけたのは、あの果汁の入った赤色の飲み物である。サリー令嬢の隣に座っていた令嬢が一度も口を付けていなかったため、かなりの量がグラスの中に入っていた。


 それを、すべてアルベルトに浴びせたのである。


『あはははは! はー、なんで俺、飲み物ぶっかけられてるんだろうなぁ……?』


 一体どこに笑う要素があったのか、ひとしきり大声をあげて笑ったアルベルトは、鬱陶しそうに濡れた髪をかきあげる。


『お前、もういい』


 静かに、アルベルトはそう呟く。

 まるで猫が驚いた拍子に瞳を見開かせるように、鋭く光るアルベルトの双眼は、サリー令嬢を捉えた。


「う、うう……っ」


 突然、サリー令嬢の体がぐらりと傾く。

 床に這いつくばる形でいるサリー令嬢は、体を上から押し付けられているかのように不自然な動きをしていた。


(これは……魔力縛り!)

 

 魔力縛りとは、その名のとおり魔力で相手の動きを封じてしまう力である。

 体が一気に重くなり立っていられなくなると、力のない者は床に転がって苦しむことしかできない。


『アルベルト様、落ち着いてください』

『メルウ、俺は至って冷静だろ?』


 メルウの言葉に目もくれず、アルベルトは這いつくばるサリー令嬢に手をかざした。

 すっと、手を下降させると、サリー令嬢から叫び声があがる。


「う、あああ……お、もい、苦しい、誰かぁっ!!」


(アルベルト……まさか、弄んでる?)


 彼の表情は、飲料をかけられ怒っているわけではなかった。

 セルイラが思っているように、ひとつの玩具を扱うようにサリー令嬢に魔力縛りをかけていたのだ。


「待って、アル!」

「やめてください!」


 パチーン! と、乾いた音が鳴る。

 セルイラが名前を呼ぶと同時に、アメリアの声がこだました。


「アメ、リア……」


 セルイラは目を凝らして何度も確認する。

 何度見ても、セルイラの目に映るものは変わらなかった。


 アルベルトに平手打ちをかましたアメリア。アメリアに平手打ちをされ呆然とするアルベルト。驚きのあまりアルベルトの魔力縛りは解け、気を失ったサリー令嬢はそのまま倒れ込んでいた。


「ひどい……あんまりです……こんなこと、するなんて!」


 ポロポロと、アメリアの目尻から涙が溢れ出した。


「あなたには、心がないのですか! 苦しんでいる姿を見て、何も感じないのですか!?」


 言葉が通じないと分かっていて、アメリアは未だに立ち尽くすアルベルトを叱咤した。


『……』


 ぱちくりと、ようやくアルベルトはまぶたを動かす。

 ほんのりと赤く染った自分の頬に手を触れ、そして涙を流したアメリアをじっと凝視した。


『お、まえ……』


 王子を叩いたのだ。サリー令嬢以上に、アメリアが起こした事態は重い。

 魔族の使用人たちは、アメリアの行動を目にして「あの人間の女、死んだな」と心の中で呟いた。


 しかし、アルベルトは一向に動かない。

 ぱちぱちと瞼を上げたり下げたりを繰り返しては、強い眼差しで自分を見返すアメリアの姿に見入っていた。


『──アルベルト。これは一体、どういうことだ』


 夜のしじまに包まれたかのような感覚に、セルイラは動きを止める。


(……今の、声)


 落ち着いていて、どこか頭の奥を震わせてくる独特な声音に、セルイラは片耳を押さえた。


 室内の壁に取り付けられたオレンジ色の蝋燭(ろうそく)の火が、次々と鮮明で透き通る紫の色彩に灯される。

 夕餉の間の蝋燭が、すべて色を変えた時──。


『なぜ、人間の女性がここにいる。説明するんだ、アルベルト』


 いつの間にか、彼はそこにいた。


 アルベルトが腰を下ろしていた椅子の後ろに立ち、うっすらと瞳を細めて周囲の状況を確認している。

 誰かが声を発したわけではないのに、夕餉の間にいる使用人の魔族たちは皆が皆、動きを合わせてその場に控えた。


『魔王様』


 メルウは片膝をつき、圧倒的威圧感を放った青年に向かってこうべを垂れた。


(……ああ)


 艶やかにのびる漆黒の髪と、誰もが羨む美しいバイオレット色の瞳。

 200年前から変わらない、蠱惑な色香を放つ白い横顔が、密かに顰められていた。


(ノアール)

 

 たった一粒の涙が、セルイラの頬からすべり落ちる。


 人間である令嬢たちすらも目を奪われて魔王を注視するなか、セルイラの足は前に動いた。





ありがとうございました( ˘ω˘ )

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