14 その心は
カチャ、カチャ、と、ナイフとフォークの擦れる控えめな音が響く。夕餉を始めてどれほど時間が経っただろうか。かなり長い時間いるような気もするが、実際にはそれほど時は動いていないのかもしれない。
一度食事の手を止めたセルイラは、口元を拭うフリをして視線を左右に動かした。
(みんな、食事が進んでいない。それもそうだわ、こんなの精神的拷問だもの)
令嬢たちの疲労はすでに最高潮となっている。正直な話、優雅に夕食をとるよりは用意された自室にいた方が彼女たちにとっては心が休まるだろう。
給仕が注いだ一杯目の白ワインを飲み干したアルベルトは、とても残念そうにため息をついた。
『つまらん』
アルベルトの発した声に、令嬢たちの肩がビクリと震える。
セルイラはアルベルトのほうを盗み見た。
『なあ、メルウ。なんだこの時間。こいつら何も話さねぇし。城で飼っている魔獣のほうがまだ面白い反応をするぞ』
『……そうですねぇ。皆様、まだ緊張されているのでしょう。魔界に召喚された初日ですし、疲労しているのだと思いますよ』
『人間ってのは聞いていた以上にヤワだな』
アルベルトは近くの果物に手を伸ばし頬張り始めた。
(黙って聞いていれば……随分な言い草じゃない)
ぴきぴきと頬が吊るのを感じる。
半分以上食べ物が残った自分の皿に目を向けたセルイラは、冷ややかな気持ちでアルベルトの声に耳を傾けていた。
(見た目は立派なのに、まるでわがまま坊ちゃんだわ)
アルベルトは、一体何がしたいのだろう。自分の花嫁として令嬢を招いたというのに、積極性が見られない。
ただ令嬢たちの食事風景を眺めては横に控えるメルウに文句を垂れている。
(まさかアルベルトも、子をもうけるための道具とするために、令嬢たちを魔界へ召喚したの?)
セルイラは下唇を強く噛み締めた。
◆
そもそもなぜ魔族が人間の女に子を宿そうとするのか……その理由は魔族の体のつくりに関係があった。
魔族は、魔法を扱うための魔力を体に持って生まれる。その力が強い者ほど子をもうけるためには、純粋な器が必要とされていた。
力の強い者同士の魔力が混ざり合うと、それぞれ拒否反応を起こし受精が困難になり結果子どもは生まれない。
もちろんすべての魔族が該当するわけではなく、当てはまるのはごく一部の魔族だけであり、その該当する者というのが、魔王の血族だ。
魔族の中の頂点に君臨し、最も濃度の高い魔力を持つ魔族──魔王と、その子供、男児がそれに当てはまった。
いくら美味しいワインでも、2種類を混ぜれば味が崩れる。
その味を楽しむには、なにも注がれていない空っぽのグラスの器が必要だ。
その器が、人間の娘であった。
魔力を持たない、魔力が通っていない人間の女の体は、魔王の力を純粋に受け入れることのできる器であった。
また魔王の血族ではない魔族でも、人間の女と番になれば能力の高い赤子が生まれた。そういった目的のために、200年前は人間の女が生贄として魔界に送られる事例が多かったのだ。
故に200年前、魔王ノアールも人間のセラを妻に迎えた。
人間と魔族の背景には、そういった事情もあったのである。
しかし昨今、魔族の体内は進化しつつあった。人間の体を器にしなくても、それぞれの能力を引き継ぎ、魔力が順応し交わることができるようになったのだ。
確かな理由は判明されていないが、これにより魔族同士の間に子をもうけやすくなった。わざわざ人間と体を交わらせなくてもよくなったのである。
だからこそ、城の者たちもアルベルトの行動を疑問視していた。
人間の女を花嫁候補にするなどと何を考えているのかと。次期魔王の称号を受け継ぐアルベルトには、連日見合いの話が多く寄せられている。
人間を花嫁にすることを反対する者も多くいた。
『……思ったよりも、拍子抜けだな。人間の女っていうのは。──ふん、父さんが今も固執する理由がわかんねぇ』
『……! アルベルト様、それは失言ですよ』
アルベルトが人間の女を魔界へ召喚したのは、花嫁を選ぶことが第一の目的ではなかった。
ただ、知りたかったのである。
人間の女とは、どんな生き物なのかを。
自分の母親が人間であることは、だいぶ前から知っていた。アルベルト自身も少ないながらに記憶が残っている。
赤錆色の髪から覗く顔をはっきりと覚えているわけではない。
けれど自分を見つめる温かな眼差し、腕に抱かれたときの柔らかな匂い、そして──愛情を注いでくれた、あの母の心の香り。
心の香りとは、一人一人の人体に宿る魂である。
この世の中の思想では、人体の命が尽きると、体は土へ還り、魂は水に溶けるとされていた。
その者の魂はそこで消え、二度と戻ることはない。つまり同じ心の者は生まれてこないのだ。
(……やっぱりわかんねぇ。父さんが人間の女に本気だったってことも。隠しているが未だに引きずっていやがることも)
アルベルトは苛立っていた。
魔王はあくまで人間に関心がないように振舞っている。というよりは、人間の話題を一切避けているのだ。
魔族が、というより魔王が人間との関わりを完全に断ち切るようになったのは、200年前から。
──自分の妻に裏切られたことが原因であった。
アルベルトはそう聞かされている。
だからこそ、アルベルトは苛ついているのだ。
隠していても隠せていない。今もなお父親の、魔王の心に深い跡を残して消えない人間の女の存在。
その価値が、人間の女にあるのかどうか。
アルベルト自身の目でどうしても確かめたかった。
(今のところ、震え上がった女がほとんど。まあ、少しばかり反応が違うのは──)
アルベルトは、先ほど自分の強い視線を送っていた一人の少女に目を向ける。
その少女が、自分の母親の心を持つ人間だとは知らずに。




