13 真名
夕餉の間にはアルベルトを除いた他の令嬢たちが揃っていた。
人数はおよそ十五人程度だろうか。
なぜこのような場所に連れてこられたのか理解不能な彼女たちは、ただおとなしく用意された自分の席に座って固まることしかできないでいた。
『こちらです』
ニケは二つ空いている席までセルイラとアメリアを案内すると、それぞれに椅子を引いて座らせた。
(まさか、食事をしろってこと?)
室内のど真ん中に用意された長い晩餐テーブル。椅子の数は全部で十六席となっている。
セルイラは入り口から一番離れた席を確認した。主役席とでもいうように、縦長いテーブルの先端がぽっかりと空席となっている。
一つだけ飛び抜けて豪奢な造りの椅子を目にして、この場に連れてこられた令嬢たちも予想がついたようだ。
──誰が、その席に腰を下ろすのかを。
(ご令嬢の他に、それぞれの部屋の担当のメイドたちと、給仕係が数人……)
見える範囲でセルイラは魔族の顔を確かめた。
残念ながらセルイラの見知った顔の魔族はニケのみである。200年も経っているのだ。人員の入れ替えがあってもなんら不思議はない。
(驚いたわ。まさかニケが担当のメイドだなんて……ナディは今なにをしているんだろう)
自分の記憶が正しければ、200年前セルイラはナディやニケと別れらしい言葉を交わさなかった。
あれだけ親身になってくれていたというのに、別れがあまりにも突然すぎたのだ。
(ニケ、随分と雰囲気が変わったのね。アルベルトもそうだけれど、なんだか……)
この感情をなんと例えれば良いのだろう。
心のもやもやは尽きないまま、セルイラは無意識のうちに両手を強く握り締めていた。
『なんだ? もう揃ってんのか』
乱暴に扉が開け放たれると同時に、やる気のない声音が聞こえてくる。
全員が一斉にそちらを注視すると、一度目に見たときより幾分軽装となったアルベルトがずかずかと中に入ってきた。
その一歩後ろに控えて続くのは、副官のメルウである。
『おい、夕餉だ。すぐに料理を出せ』
アルベルトは給仕に一言そうかけると、一番奥に用意された席にどっかりと腰を下ろした。
テーブルに座った他の令嬢たちに緊張が走る。アルベルトと最も距離の近い席にいるアメリアと、その真正面に座る侯爵家の令嬢の顔は分かりやすく青ざめていた。
セルイラはアメリアの右隣に座っているため、アルベルトとの距離感もかなり近い。だが、彼女たちほど臆してはいなかった。
『メルウ』
静まり返った現状に眉を顰めたアルベルトは、顎をクイッとあげてメルウを呼ぶ。
呼ばれた本人は軽くアルベルトに頭を下げ、令嬢たちに言葉をかけた。
「──まず初めに、貴女方はアルベルト様の花嫁候補として魔界へ召喚しました。故に、その身の安全は保証しましょう。また、本日より一ヶ月間魔界で生活したのちにアルベルト様の目に適わなかった者は、人間界へ送還いたします」
ここに来て初めて令嬢たちから声があがった。
セルイラが最初に聞いていたとおり、国へ帰れる機会は必ず訪れるとのこと。
魔族の言葉をどこまで信じていいものか令嬢たちは困惑していたが、気にした様子を見せないメルウはさらに説明を加えた。
「これから皆様には、夕餉を摂っていただきます。ですがその前に、こちらにサインをご記入ください」
メルウが抱えていた書類の束がふんわりと宙を浮いた。
一枚一枚まるで生き物のような動きで令嬢たちの前に運ばれると、同じく万年筆とインクも配られる。
(真名の記入……?)
用紙には簡潔にそう書かれていた。
真名、すなわち自分の名前である。
「魔族にとって、名は心を繋ぐもの。真実の名を知れば、呪術により縛ることも簡単です。本来魔族は他人に真名を教えることはありませんが、貴女方には正直に書いていただきます。つまりこれは、誓約書です」
「……せ、誓約書?」
令嬢の誰かが思わず声に出す。
それに反応したメルウはにっこりと口元に弧を描いた。
「ええ、こちらの指示に従っていただければ命の保証はいたします。ですが背いた場合──どうなるかはご想像にお任せします」
どこからか冷たい空気が流れ込んでくる。
メルウは今もなお笑みを崩さない。
まるで脅しだ。言うことを聞かなければ真名を使ってどうともできると。
(メルウさん、どこまで本気なのか分からないわ)
セルイラの知るメルウは、魔王に忠誠を誓った臣下であり、普段は至って温厚だった。
食えない部分はあるものの、紳士的な部分もあり感情で手を出す人物ではなかった。
だが、超がつくほど腹の中は真っ黒だったはず。彼は魔王に心酔していたため、魔王ノアールに関することだと凄まじかった。
「怖がらせてしまって申し訳ありません。しかし、過度な反抗さえしなければ全く持って問題ありませんのでご安心ください。こちらに用意したのは、念の為の、誓約書ですから」
一人、また一人と筆を取り始める。
どちらにせよ反発していけないのなら真名を書くことも拒めない。
また魔法が使えない人間にとって真名は重要視されていないため、心を繋ぐものと言われてもピンとこないのだ。
(とりあえず、書かないと)
筆先の滑る音がしばらく夕餉の間に響いた。
アルベルトはそんな令嬢たちの様子をじっくりと眺めている。
彼と席の近いアメリアの手が震えていることに気がついたアルベルトは、まるでいじめっ子のような顔つきでニヤついた。
(アルベルト……わざとだ。アメリーがビクビクしている様子を見て楽しんでるんだわ。なんて悪趣味な。やめなさいよ)
意図を察したセルイラは、思わずきつい視線をアルベルトに送ってしまう。
だが、すぐに気づかれてしまい目が合った。
(……わっ!)
すぐさまセルイラは自分の誓約書に視線を戻す。
たった一瞬だけだ。そこまで不審に思われていないだろうと心を落ち着かせ、セルイラは真名を記入した。
(セルイラ・アルスター……で、いいのよね)
家名とはべつに、両親の旧姓、また両親が賜った称号を貰っている令嬢はそれも入れて『真名』となる。
セルイラの場合は『アルスター』のみなので、特段迷う必要はない。
(それにしても、真名って……)
ふと何かを思い出した素振りをするセルイラだったが、すぐにそれを打ち消した。
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