11 あの頃の少女
魔族のメイドに部屋の外へ出されたのは、セルイラとアメリアが愛称を呼び合うようになった、すぐ後のことだった。
『アルベルト様が夕餉の間でお待ちです』
まるで鉄の仮面でも被っているかのように、そのメイドは無表情であった。
人の言葉を話せないのか、それとも話さないのか。それだけを告げてセルイラとアメリアに仕草で着いてくるように促している。
歳はセルイラやアメリアと同じぐらいだと思われるそのメイドは、とても可愛らしい見た目をしていたが、表情がないためどこか冷たく、怜悧な印象を受けた。
「セルイラ……わたくしたち、どこに連れて行かれるんでしょうか?」
「おそらく、あの王子のところじゃないかしら」
魔界語が分かるセルイラには、これからの行き先も夕食場所だと知っている。
アメリアには、魔界語が理解できることを伝えたほうがよかっただろうか。文献をあさって覚えたと理由をつければ、彼女なら信じてくれそうだった。
あながち書物を読んで覚えたというのも、間違いではないのだから。
『ニケ! その後ろの人間、例の?』
どんよりとした回廊を数分歩いていると、前方を歩いていた他のメイドが、セルイラとアメリアの前を歩くメイドに声をかけてきた。
彼女の名前は、ニケというらしい。
『ええ。アルベルト様が召喚された人間よ』
『ふ〜ん、その子たちがねぇ〜』
しげしげと、現れたメイドは二人を観察していた。
その目にはどこか敵意のようなものが感じられる。
『あんた、あたしの言葉わかる?』
「え?」
ちょうど近くにいたアメリアに近寄ったそのメイドは、挑発的な物言いで前に出た。
アメリアはオロオロとしている。言葉が分からないのだから当然だ。
『な〜んだ。魔界語も理解できないなんて、人間の小娘はお馬鹿さんなのねぇ。こんなんじゃ、アルベルト様のお目に届くなんてあり得ないわ』
嘲り笑うそれは、醜い嫉妬心のようなものがあった。
隣で見ていたセルイラは、密かに思う。
(もしかして、アルベルトに好意があるの?)
だからアメリアに突っかかっいるのだろうか。だとしたら迷惑以外の何物でもない。
『ちょっと、なんか話してみなさいよ!』
「きゃ、いたっ……やめてくださいっ」
あろう事か、メイドはアメリアの髪を掴むと乱暴に引っ張った。
前のめりになったアメリアを、セルイラは咄嗟に支えて間に入るように佇む。
「その手を、離して」
『なぁに? 何言っているのか分からないんだけど?』
馬鹿にした顔をセルイラに向ける。
ニケは、呆れたようにメイドを見ていた。
『どんな女が来ると思ったら、大したことないじゃない』
「……いっ」
そう言葉にしながら、メイドはアメリアの髪をぐいぐいと引っ張る。
瞳にうっすら涙の浮かんだアメリアを見て、抑えようとしていたセルイラの理性が少しだけ吹き飛んだ。
『──……離しなさい』
『あははは!……って、え?』
『!』
セルイラは、たしかにそう言った。
予想外のことに大きく目を丸くしたメイドと、瞬きを数回落としたニケ。
(よかった、ちゃんと通じてる……)
どちらもセルイラが魔界語を話せることなど、到底思えなかったのだろう。その顔が素直に驚愕を表していた。
『もう一度言うわ。その手を離しなさい。今すぐに』
『……ひっ』
セルイラの気迫に怖気付いたメイドは、握っていたアメリアの髪のひと房を手放した。
なぜ、人間相手に恐れをなしたか。疑問に思うもメイドには訳がわからなかった。
『二度と、こんなことしないで』
『な、何よ! 生意気にっ』
『そこまでです。あなた、自分の持ち場はどうしたの?』
ニケが間に割って入った。
セルイラは後ろへと移動して、メイドを強く睨みつけている。
『だって、ニケ! この女が!』
『お二人はアルベルト様が召喚された人間です。私たちが手出しすることは許されない。このことがアルベルト様の耳に入ったらどうするつもり?』
『……っ、それは』
『アルベルト様の決定に反したことになるわ。私はべつに、報告したって構わないのだから』
『ま、待ってニケ……それだけはっ……』
『嫌なら、早くあなたの持ち場に戻って。今起きたことは、私で留めておくから』
『わ、わかったわよ』
渋々と人騒がせなメイドは、セルイラとアメリアの横を通り過ぎていった。
一難去ったことに安堵しつつ、セルイラは慌ててアメリアの肩に手を置いた。
「アメリア、大丈夫? 怪我はしていない?」
「はい、大丈夫です。髪を引っ張られただけですから。それより……セルイラ、さっき魔界語を……」
当たり前の反応に、セルイラは苦笑いを浮かべた。
「ごめんね。実は、魔界語が理解できるの。アメリアも耳にしたことがあるかしら。国にいた頃、私は城の書庫に通い詰めていたって。その書庫で、魔界語の書物も読んでいたわ」
アメリアの表情を読み取るに、セルイラが影で言われていたことを知っているようだった。
「な、なぜです? わざわざ魔界語なんて……」
「……それは」
『お話中のところ申し訳ないのですが、すでに他の方々は夕餉の間にて着席しております。お急ぎください』
ニケの声に、弾かれるようにセルイラは視線を移す。
セルイラが魔界語の理解できていると知って、多少の瞬きはあったものの、やはりニケは冷静沈着である。
ニケは、セルイラに何かを問うわけでもなく、業務的な仕草でこう告げた。
『ご挨拶が遅れました。私はニケ。あなたがた二人の身の回りのお世話をするよう配属されました。以後お見知りおきを。では、行きましょう』
淡々と自分のことだけを伝え、ニケはさっさと歩き出してしまう。
セルイラが魔界語を話せる理由を訊くよりも、彼女にとっては夕餉の間に到着することのほうが重要らしい。
「アメリア、部屋に戻ってから話しましょう」
「そうですね。分かりました」
聞き分け良く、アメリアは頷いた。
セルイラが魔界語を話せることに驚きはしたが、結果的に助けて貰って感謝しているようである。
(こんなにあっさりと話すつもりはなかったけれど、状況が状況だったんだもの。見過ごすなんてできなかった)
セルイラは、先頭を歩くニケを見る。一体何を考えているのかまったく予想がつかない。
だが、ニケは先ほど「今あったことは、私で留めておく」と言っていた。
報告はしないのか、する義務はないのか。アルベルトに対して忠義を尽くしているような発言もあったというのに。
さほど問題視されないことなのか、それともたかが人間風情に魔界語が理解できたとて、それほど影響はないと言うことなのだろうか。
幸い、アメリアに突っかかったメイドも、今回のことを公にはしたくないようだった。
ただの陰湿ないたぶりだったようだが、自分から話すことはないと信じたい。
(ニケ……)
先ほどのメイドと違い、ニケは人間に偏見がないように見えた。
そして、彼女の背中を観察していたセルイラは、はっとする。
(待って、ニケって……その、横にある三つ編み……白銀……もしかして、あのニケ!?)
頭の中で細い記憶の線を辿っていたセルイラは、唐突に思い出した。
前世の自分が、人間の世界から魔界へ来たとき。お付きの侍女だという、魔族の女性の背後に、まだ小さな女の子が隠れていたことを。
ニケ。
たしかにその少女は、そう呼ばれ、そして呼んでいた。




