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1 残酷な人



 少女は手を伸ばす。

 透明の膜に包まれた身体を、前へ、前へと動かして。


「返そう、すべて。身体も、時間も、記憶も──そなたと私が、出逢う前へ」


 ──いや、忘れたくない。

 ──戻さないで。

 ──消さないで。


 本当に勝手な人だと、少女は青年を見つめた。少女の瞳に宿るのは、湧き上がる哀しみと、底知れぬ怒りだった。

 うまく言葉も話せず、瞼が閉じる最後の一瞬まで彼を目に焼き付けることだけが、少女にできた最後の抵抗だったのだ。


(ああ……もっとあなたに歩み寄っていれば良かったの?)


 心を通じ合わせることが出来たのだと、そう思っていた自分は馬鹿だった。

 結局は子を作るための道具に過ぎない。彼にとって自分はただそれだけのために連れて来られた『生贄』だったのだ。


(ねぇ──ノア)


 それでも、自分が生贄だったとしても。ここで過ごした彼との時間は特別なものだった。


(もう、この名を呼ぶことはないんだ。本当に酷い人。そうやって、なんでも自分勝手に決めつけて)


 熱く芽生えるこの感情も、次に目を覚ませばすべて忘れているのだろう。

 長い時を生きる彼にとって、この数年の月日は取るに足らないものだったのかもしれない。それでも知っていて欲しかった。これだけは伝えたかった。


 開こうと動かした唇が、鉛のように重い。


(わたしは、ノアが──)



 目の前が暗闇に包まれる。

 次に聞こえてきたのは、優しい波音。


「……ここは」


 少女が目を開けると、そこは見覚えのある砂浜だった。

 海は透き通るような青で、さざ波がきらめいている。少女が一瞬にして現れたその場所は、少女の故郷の海だった。


 懐かしい景色に浸る余裕もなく、ただ、少女は首を何度も何度も左右へ振る。

 肩を震わせ、ぽたぽたと瞳から流れる雫が白浜に染みを残していく。


「……っ、本当に、ひどい」


 少女は力のない笑みをこぼした。

 きっともう、会うことは許されない彼の顔を脳裏に浮かべて、少女は小さく呟く。


「──忘れられて、ないじゃない」



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