ほっとするあったかお鍋
リアナはこの時期、なるべく灼熱地帯の仕事があれば積極的に請け負うことにしている。
乾燥はお肌の大敵である。
だがしかし、遺跡や火山洞窟内部に入らず済む程度であればきっちり対策さえとればリアナにとって難しいオーダーは少ない。
ベテラン冒険者ではあるが、けして戦闘技能の高くないリアナ。しかし時折入る彼女指名の仕事は、ギルドにとって扱いが難しい物が多い。
例えば、今回の依頼もそうだと言える。
「全く!思った通り、迷宮など恐るに足らず。我が国の宝剣【氷華】を手にした僕にかかれば、ブラウステルの迷宮ごとき大したことはないなっ」
隣国の若き第五王子がフレイムシープを切り捨てて言い放った。
リアナは群れる性質のあるフレイムシープの中から、わざわざ群れからはぐれた個体を探したり、王子の剣が当たるよう危険な蹄を氷結魔法で凍らせたりした。
完全に接待探索である。
「全くその通りですね。レオポルト王子」
王子の従者がそのように追従する。護衛の二人がどう思っているのかは不明だ。
(この王子の護衛はさぞ大変だろうな。)
とリアナは王子が切り捨てたフレイムシープの蹄と角を護衛の男に渡しながら考える。
「急ぎ国へ帰り、皆に我らの冒険を話して聞かせようじゃないか!皆、戻るぞっ」
「かしこまりました。此度のレオポルト殿下の物語、皆手に汗握り締めて聴きいる様が浮かぶようです。」
従者が笑顔でうなづいた。
火山洞窟の深部に入りたいなどと駄々をこね、護衛になだめられるなんて一幕はあったものの、適当に理由をつけて納得させることもできた。
代わりに見た目と鳴き声は強そうに見えるが実態は大したことのないヒートバードの出現する道を通り、ちょっとしたスリリングも提供した。王子と従者はかなりびびっていたが、護衛の方が適当に弱らせて王子にトドメを譲ったりしていたのでご満足いただけたようだ。
これでようやく今日の依頼も終わりだ。
ギルドは報酬を弾むとの話だったし、リアナも笑顔で迷宮の中でも弱い魔物が多い安全な帰還ルートを案内するのだった。
「リアナ、助かった。ありがとう」
ギルドの応接室に意気揚々と向かう王子とその一行を笑顔で見送った後、振り返るとリアナが最も付き合いの長い職員であるハーフエルフのミスラが声をかけてきた。
ミスラは紺碧の瞳の目元を緩ませ微笑んだ。肩にかかる長い髪がさらりと肩から落ちる様は絵の様だ。
「とんでもない。フレイムシープとヒートバードの討伐なんぞでご満足いただけたから、楽ちんだったよ。深部に入りたいって言われた時はギョッとしたけど、護衛の人が止めてくれたし。」
「護衛付きとはいえ全くの素人を、迷宮中域に連れて行くなんて依頼は誰も受けたがらないからな。まして、あの気性。ギルドの冒険者では腹を立てて殴りかかりかねん。宵の灯屋には便宜を図ると伝えてくれ。リアナも、報酬は期待するといい」
中域はベテランであればソロでも探索や採取のみなら問題ない帯域だ。はぐれフレイムシープなどは駆け出しでもなんとかなる。
このブラウステルは迷宮のある街であり、大陸有数の魔素の濃い地域でもある。
発見されている12の迷宮の中で比較的規模が大きく、人の行き来のしやすい場所にある為街自体活気に溢れている。それに比例し様々な人間が来ることも確かで、迷宮を「冒険」してみたい貴人にとってもうってつけの場所でもあるのだ。
しかし、冒険者なんて危険な迷宮探索を生業にする人間に貴人への応対や、穏やかな気質を期待することは絶望的とも言える。
そう言った意味で、リアナはギルドから重宝されていた。
「ありがとう、期待しとくね!灼熱地帯はあったかいし、欲しい素材も集められたからこっちも助かったよ」
リアナが笑顔で応じると、ミスラは眉根を寄せて、両腕を抱えるようして震える。
「ああ……こうも寒いとなぁ」
「あんまり寒暖差激しいのも体にはよくないらしいんだけど、この寒さはねー……逃げ込みたくなるんだよね」
どれだけ街が寒かろうと暑かろうと迷宮には関係がない。魔素の溢れる迷宮は、場所ごとに濃度の濃い魔素の影響で一定の気候を保っている。
「まぁ、寒暖差で風邪をひかないよう気をつけるんだぞ。サーシャにも風邪ひくなと伝えておけ。」
「ん、わかった」
お互い手を上げて挨拶をし、別れた。
冒険者ギルドを出ると、リアナを冷たい風が襲う。冬が来てから一番の寒さにリアナは震える。今夜は雪が降るかもしれない。
急いで市場を周り、日暮れ前には帰らなければ。
灼熱地帯で採取した素材で、今夜は例のアレを作るのだ。
「さて!では始めますか」
市場で買い揃えた材料をキッチンに並べる。今夜のメニューは冬の定番料理、鍋だ。
東大陸との大型転移陣が近い為、東大陸の文化が浸透して早百数十年。リアナにとっては冬の定番は東大陸生まれの祖母が作る白菜のたっぷり入った鍋だった。
三軒隣のドワーフの奥さんから教えてもらった味噌鍋のレシピが今シーズンの定番だったが、今日は試したいこともあるし醤油ベースだ。
リアナはまず、虹昆布を水を張った鍋に入れて火にかける。
「これ手に入れるの大変だったんだよね……」
虹昆布の生息域は星鬼フグの生息域でもある為、人間族であるリアナ単独では入手が難しい。 人魚のリーナとペアで探索に出かけたのだ。
沸騰するまでの間に白菜、水菜、ネギを切る。
「あ、キノコももう食べ切っちゃえ。一緒にいれてやろー」
棚から迷宮の浅い地帯で採れるアオメキノコを取り出して適当な大きさに切った。
沸騰直前に虹昆布は取り出し、淡雪魚を粉末にしたリアナ特製のダシ粉パックをその中に入れる。
これでしっかり出汁をとるのだ。キッチンに良い香りが漂う。
「さて、これでどうなるか……」
リアナは小さな袋から茶褐色の丸い種子をいくつか取り出した。すり鉢に入れ、すりこぎですり潰していくと独特の爽やかな匂いが広がる。
冷温陣の描かれた布の上に置かれた箱を開いて猪肉を取り出すと、薄めにスライスし鍋に入れる。
「ただいまー」
廊下のドアが開く。リアナと同じ、藁色の髪にこげ茶の瞳の娘が入ってくる。 一目で姉妹とわかるほど顔の作りは似ている。眠そうな顔つきと、全体的にほっそりして背が高いのがリアナとは違うところだ。
「おかえりサーちゃん」
サーちゃんと呼ばれた娘は手に持ったボウルをリアナに手渡す。中には豆腐が入っていた。
「買ってきたよ。豆腐屋のおばちゃんがたまには顔見せろって。」
「ありがとー。おばちゃん元気だった?」
リアナはボウルを受け取り、豆腐を取りだすと大きめに切り分けていく。
「あの人元気無いとこ想像つかない。」
「たしかに。ドワーフ1しゃべるって自分で言うもんね。」
「疲れた」
ため息を吐くサーシャにリアナは苦笑を返し、猪肉のアクをとり、具材を鍋に投入していく。
「おつかれ。サーちゃん話すの苦手だもんね。私も今日は疲れたー!王子想像以上にすごかったよ」
「へぇ、面白そう。どうすごかった?」
「色々!もー、最初に挨拶した時からすごかったから待ってね。すぐ作って食べながら話すわ」
リアナが食卓にセットされた魔導焜炉の上に鍋を乗せ、着火の為に小さく呪文を唱える。
「ここにある魔素よ、標に従い道を通れ。」
焜炉に火が点くのを確認して、リアナは箸と皿をならべる。
「今日は言ってたフレイムグラスの鍋?」
サーシャが鍋を覗きこむ。赤褐色の細かい粒が鍋の中でゆっくりと踊っている。リアナが満面の笑みで応じる。
「そう!【魔導と調理】に載ってたフレイムグラスの実が入ってるんだよ!この実ってずっと東大陸で薬の一種として薬師が使用してたらしいんだけど、香辛料として山岳地帯の部族が使っていた物と味と効果がすごい似てるってことがわかったんだって!しかも灼熱地帯の植物だから火の魔素を豊富に含んでるでしょ?だから体があったまる上に、痺れるような独特の味がたまらないって、すごい流行ってるんだって!」
笑顔で語るリアナに適当に頷きながら、サーシャはダイニングに置かれた雑誌を一瞥する。父親譲りらしいオタクさ……よく言えば興味のある分野の突出した知識は相変わらずの姉に、サーシャは食卓のいつもの席に腰かけて頷きを返す。
リアナの話す内容がフレイムグラスに関する研究論文が発表された学会に及ぶ辺りで、サーシャは箸を取る。
「とりあえず食べてみる」
「あ、そうだね。食べてみて食べてみて!」
リアナも同様に箸を取る。
「「いただきます」」
ふわりと湯気が立ち上る。
具材を椀にとりわけ、リアナはまず汁を飲む。口に含む直前にフレイムグラスの香りと野菜の香味が鼻をくすぐる。口に含んだ汁は出汁と醤油の他に、アオメキノコの旨味と猪肉の溶けた脂の旨味を感じる。
「あ、これ後から来るね」
サーシャがそう漏らすのと同時に舌にビリビリと痺れが来た。
「ほんとだ。ビビって量少なめにしたけど結構強いね」
飲み込んだ汁が体を通るのがわかるような気がする。暖かな火の魔素を感じる。
白菜を食べる。噛んだ瞬間、汁がじゅわりと口に広がる。辛味と独特の痺れ、鍋に入った具材の旨味。全て内包した汁が熱を持って口の中に溢れる。
「あっつ!ふぁ、これ、おいし」
口を開けると湯気がふわっと溶けるようにのぼる。熱気を逃して白菜を飲み込む。
猪肉を口に運ぶ。溶けたような脂身の旨味をいつもより強烈に感じる。肉を歯でしっかり噛む。肉の繊維が断ち切られる。歯ごたえが強いのに噛み切るのが面倒に感じない。むしろ強い主張のおかげで肉が唐辛子やフレイムグラスに負けていない。
これは猪肉が最も合う鍋である。
「これハマりそう。おいしい」
向かいのサーシャがぽそりと呟いた。あまり話さないサーシャがそう溢すほど、この鍋は絶品であった。リアナは顔が笑みを作るのを止められない。
「美味しいよね!これ今度【宵の灯】のみんなでご飯する時作ろうか」
サーシャが豆腐を追加で椀によそいながら大きく頷く。
体温が上がり、手足の冷えが気がつくと消えていた。フレイムグラスの火の魔素が強く作用しているのだろうか。
外は凍えるような寒さで、身を切るような風の音がする。
それでも、あたたかな鍋を囲んだ姉妹二人は笑顔で今日の出来事を語り合うのだった。
〜フレイムグラスと虹昆布の猪鍋〜
「「 ごちそうさまでした」」