第七十七話 英雄時々火事場泥棒
火災現場には消防車が到着し、消火活動が始まっていた。
「利根さん、中に残っている子供と男が無事だといいですね」山岡が言う。
「ああ、しかしこの状況だ。望みは薄いかもな……」徐々にではあるが勢いを弱める火の海を見上げて利根が言った。
その時、火事が起こった家の二階の窓からパリンという音がした。中からガラスを破って黒い影が飛び出した。火に覆われた家に突入したあの男である。
「ああ!あの人だ」火事の起こった家の大黒柱が口にする。
「ああ!あなた見てください。あの人がおぶっているのは家の子じゃありませんか」その妻が驚いて言う。
男は背中に子供を背負い、二階窓から道路の電柱に飛び移った。その距離は決して短い物ではない。かなりの跳躍力が必要となる行為であった。
「あのジャンプ力、まさか!」そう口にした利根は、かつて自分を救った人物もすばらしい跳躍力を持っていたことを思い出した。
男は電柱をするすると降りて、今大地に立った。
「さぁパパとママの所へお帰り。それから僕のご馳走を食べてしまってすまんね」
「いいよおじさん。ありがとう」子供は自分を助けた男に礼を言って両親の下へ駆けて行った。
「田代さん!やっぱりあんただったか。怪我は?」利根が田代の下へ駆け寄った。
「やぁ利根ちゃん、今日もご苦労だね。子供はあの通り無事だよ。そして私もね。くちゃくちゃ……」
「それは良かったよ。ありがとう田代さん。あんたはやっぱりすごいよ。しかし、あんた一体何を食べてるんだ?」
「ああ、こいつかい。これはね、この家の今晩のご馳走さ。鶏なんか久しぶりに食べたよ。実に美味いね。こいつは神様からの人助けの御褒美かね」
田代は家に突入し、子供を探す途中で台所に寄った。そこにはこの家の今晩のご馳走の大きい骨付きチキンがおかれていた。火事が起こった時、この家の妻は晩飯の支度中であった。肉は生のまま机に置かれていたが、火事で部屋ごと焼かれて良い具合に火が通っていた。こんな状況だが、腹が減っているので田代は骨付きチキンをゲットしてきたのだ。
「むしゃむしゃ……あの僕にもこいつを食べる許可は頂いたし、どうせあそこにあったら近い内に消し炭になるだけだから取って食べてもまぁセーフだよね」自分も少し前まで生死の際にあったというのに、田代はチキン口にしてご機嫌に語るのみである。
「まったくあんたと言う人は、人助けは良いことだが、そいつを取って来たのは火事場泥棒になるぜ」田代の暢気な語りを微笑みながら聞いていた利根がそう返した。
「ええ!利根ちゃん、そいつは勘弁してよ」
「まぁいいよ。チキンのことは何も言いっこなしだ」
「へへっ、それにしても川で溺れかけたあのチビの利根ちゃんがこんな立派になって、何だか私も鼻が高いよ」
利根は英雄に褒められて照れる想いであった。
「あなたが家の子を助けてくださったんですか、ありがとうございました。お礼をしなてくは」夫婦が駆け寄ってきて田代に礼を言った。
「いえいえ、それより奥さんこいつをご馳走にあずかっていますよ。まったく良い肉ですな~。礼ならこいつで済んでいますよ」
夫婦は子供を救ったヒーローのあまりにもあっけらかんとした態度とその格好に驚いた。英雄的行為をするに相応しい出で立ちではないと想ったからだ。
男の服は元々ボロボロだった上に家のどこかに引っ掛けて破れたり、火で燃えたりしたために半裸に近づいていた。ズボンなど腰の周りにわずかに布が残っているだけで、下に穿いていた褌が丸見え状態になっていた。
「じゃあ私はコレで、明日が早いので」田代は肉を食いながら場を立ち去ろうとした。
利根は田代を止めようとする「ちょっと田代さん困るよ。一応話しを聞かせてもらわないと、それにあんたに送る賞状の手続きもしないと」
「話すことなんてないさ。たまたま道を歩いていたら家に火がついて子供が焼け死ぬって言う話を耳にした。わたしなら助けられると想って助けた。その礼に肉をもらった。それだけのことさ。それに賞状なんていらないよ。そんなものを作る間があるなら泥棒の住処を探す時間にでも当てて街の平和を守りなさい。明日は空缶を集めて回ってお金に換える仕事があるんだ。こっちの生活が掛かっている仕事のために体を休めないといけない。明日の儲けのための貴重な休み時間だ。一分だってあげられないな」それだけ言うと田代はもう振り代えることなく去っていった。
一同しばらく動けずに彼をじっと見続けいていた。
「何て人だ。あんな人が平成の世にいるんですね。すごい人だ」山岡が口にした。
「ああ、彼は昭和の頃から変わらないまま今でもこの街にいるんだよ。ずっと素晴らしい人さ。覚えておけ山岡、お前が不審人物と想って声をかけたあの男はこの街の英雄さ」
利根は幼い頃の自分の命を救った人物が、今日になってまた小さな命を救ったことが、まるで自分のことのように誇らしかった。二人は闇夜に姿を暗ます英雄の背に向かって敬礼をした。