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巨神兵と7人のミニスカ侍  作者: 紅頭マムシ
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第七十五話 Road to 田代

 現在四十代の利根が、まだ小学校の低学年だった頃、この街をかつてないほどの台風が襲った。あの日近所の川は大氾濫を起こしていた。

 利根少年は、いや、利根に限らず当時の多くの子供達は、それまで見たこともない悪天候に対して恐怖と共に何かしらワクワクするものも感じていた。かつて子供だった人達の中には、この時の利根少年の気持ちが少しは理解できるという人もきっといるだろう。

 大雨が降りしきり大氾濫した川を興味本位で見てみたいと想った利根は、親の目が外れたのを良いことに合羽を着て近所の川までやって来た。遊びに夢中で自然の美しさになど目もくれない当時の彼にとって、その川は普段は穏やかというか無でしかなかった。そんな無なる場所が、この嵐の晩にはなんという荒々しい音を立ててその存在を喧しく遠くまで轟かせていたことか。感じやすくない年代の少年でさえ、その自然の叫びは目に見え、耳に聞こえた。

 理由を言葉で表せと言われたら四十代になった今の利根でもはっきりとしたことは言えない。ただ、この嵐の晩に見た川の存在は不思議な魅力を放って利根を近づけた。

 利根の記憶が正しければ、普段なら太陽の光をキラキラと反射させ、コイやフナが元気に泳ぐその川は、その日には泥の色をしてすごい速さで流れていた。普段なら川底が見え、足がつく程浅い川なのに、その日は泥色に染まって水面下10cmの地点も見えることはなく、どこまでも足が埋まって行く程に深く思えた。

 彼は、よくわからない川の叫び声に操られたかのように一歩、また一歩と川に近づいた。その間、彼は川から目を離さなかったが、川はうるさく音を立てて流れていくだけで視覚的には何の変化も見られなかった。

 それは実際には一瞬のことだが、恐怖がそうさせるのか利根にとっては一分間くらい続いた恐怖映像となっていた。利根が川に落ちたのである。

 泳げない奴のことを「金槌」なんて呼ぶことがあるだろう。利根は学校で「金槌」のもっと救いようのない奴という意味を込めて「延べ棒」とあだ名されていた。金槌よりも目方があり浮力が弱い、そんなどこまでも水に嫌われた者。それが彼「延べ棒」であった。通常運転の川でも溺れたであろう彼が、フルスロットルで流れる川に入れば、もう死ぬ以外に未来はない。あの日の荒れた川なら、泳ぎ終わった後に「超気持ち良い!」と言うので有名な何とかって名前のプロのスイマーでもきっと飲みこんでしまったことであろう。

泣きっ面に蜂を例にして、利根と大氾濫した川の関係を言い表すと延べ棒に激流と言ったところであろう。 

 彼は見る見る内に川に飲まれて行った。水から出ようとして力の限りじたばたしても、自然の力の前には全くの無力で体は沈む一方であった。服が水を吸って重たくなる恐怖、泥水が口に入った時に感じた不味さと臭さを彼は今でも忘れられない。先にも言ったがこれらのことは川に入れば本の一瞬にして感じられることだ。その一瞬が永遠になるのだから、恐怖という感情を増大させる出来事には一生関わりたくないと私は想う。

 死ぬ。彼はそう想ったのみで、この状況から助かる希望など全く想い浮かばなかった。

 大好きなテレビゲーム機『ソガマークⅣ』でまだクリアしていないソフトがあった。新作料金で借りた梅田劣作うめだれっさく主演映画のビデオをまだ見てもいなかったし、家族がビデオのことを気づかずに貸し出し期間が過ぎれば、自分の死後に高い延滞料金が発生することになる。親より先にあの世に行く親不孝に加えて、そんな金まで払わすなど申し訳なくて仕方ない。顔が水に使って徐々に息苦しくなっていく中で彼はこういった未練を想い浮かべていた。


「へえ~利根さんも『ソガマークⅣ』で遊んでいたんですね。あれなんかは家の親父が子供の頃遊んでいたっていうゲームですよ。いや~古い話だな~」山岡が言った。

「コラ山岡、話の腰を折るんじゃない。じゃあ、続きと行くぞ」

 おっとここで山岡の邪魔が入ったが再び利根の昔話に戻ろう。


 利根は死を覚悟して目を閉じていた。なかなか体が沈まないと想ったら、利根を背後から抱きかかえる者がいる。いつの間にか川に飛びこんで彼を助けていたその人物こそ若き日の田代であった。田代は利根の背後から、利根の両脇の下に自分の両腕を潜りこませてがっちりと利根の体を掴んだ。

「落ち着いて、暴れるんじゃない。自力じゃこの流れには勝てないから、とにかく沈まないようにやりすごす」

 田代は体をやや後ろに沿って、利根を抱いたまま足をバタつかせて体が沈まないようにしたまま流れに身をまかせた。利根はこの時も恐怖を感じていたが、田代に抱かれたことでいくらばかりか安心もしていた。 

 やがて、川中にある大きな石が見えた。細長い石で川底から槍が突き出ているようにも見える。田代が両足で石に接地したことで、とりあえず川の流れから一時的に逃れることが出来た。

「石に捕まりなさい」田代は利根にそう言った。利根は激流の真ん中に佇む大きな石にしがみついた。今はこれだけが彼の命綱である。石に捕まってからも激流は容赦なく利根を襲う。油断して気を抜いたら、激流は利根と石とを分断させ、再び利根をあの世送りにしようとするだろう。利根は石に捕まっても全く安心が出来なかった。一時的に休んだだけで、いつでも死への旅は再開できる状態にあったからだ。

「ロープを持ってくるから絶対に石から手を離すんじゃない」田代はそう言って、細長い石を上り始めた。石の頂上に立った田代は、岸まで恐らく3メートルはあると想われる距離を助走なしで飛んだ。岸に移った田代はすぐに走り出した。

 このままじっと耐えれば自分は助かる。しかし体は激流に晒されることで確実に疲弊し、上からは強風と豪雨が彼を攻撃してくる。そして、恐怖とは別に水の冷たさのせいもあって体の震えが止まらない。石を掴む手の握力もそう長くは持たない。利根は時間と格闘することになった。早く田代の助けが来ないか、それを今か今かと待ち続けた。この時の心細さも彼にとっては一生忘れないものとなった。

「おい!これに捕まるんだ!」田代が帰ってきてくれた。

「ロープを握ってからも気を抜くな。一瞬でも気を抜くと流されるぞ!」田代は水から上がるその瞬間まで死と隣合っていることを忘れなるなと警告した。

 流れがあまりにも速くてスムーズに利根を引き上げることが出来なかったが、田代の奮闘の末なんとか利根を岸に帰すことが出来た。

 再び大地に立っている。利根にとってそれは感動的なことであった。

 田代は尻をついて座り込んだ「やれやれ、まずは助かっておめでとう」

 息も絶え絶えだった利根はそれに対して何とかありがとうと一言返すのがやっとであった。

「しかし、気をつけなさい。自然は恐ろしい力を持っているんだ。君一人では絶対に討ち勝てなかった。命は大事にしなさい」大雨と強風の音でやかましかった夜に、田代のこの言葉だけは利根の耳にはっきりと届いた。

 この時、利根は様々な感情が入り混じった末に目から涙をこぼした。

 利根には、目の前の痩せ細った男が英雄に見えた。

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