第七十三話 罪とは、法律の外にも存在するものである
ポイズンマムシシティにある毒蝮西公園を抜けて二人の男は茂みの中へ入っていった。茂みを少し歩くと、比較的草が少ない広場が現れた。そこにはダンボールで出来た家があった。
「山岡さん、ここが私の家だ。さぁ、せっかくだしあなたも少し上がっていきなさい」
「はぁ……」山岡は、結構完成度の高いダンボールの家を見て唖然としていた。
家の中は広いとはとても言えず、恐らく三畳くらいのスペースしかないだろう。天上は低く、背を伸ばして立つと天上を抜けてしまう。屈んでいないと家には入れない。二人は家に入って座った。
「荷物の中身でしたね」みずぼらしい身なりの男は、唐草模様の風呂敷を解いて山岡に荷物の全てを見せた。
「こっこれは……」風呂敷の中身は栗、柿、無花果、バナナ、秋刀魚、缶入りドロップ、そして茶色の封筒が入っていた。食べ物ばかりの中身を見て山岡は驚いた。自分が疑っていた危険物はありそうもない。しかし彼も新米とはいえ一応は警察官である。もしかしたらと想い山岡は次のように問う「その缶の中は?」
「え?この缶の中ですって?」缶には美味しそうな飴の絵がカラフルに描かれ、『ドロップ』と表記されている。
「これはドロップと言って、フルーツの味の飴が入っているんですよ。ほら、これはパインですね。あ、でも薄荷味のも入ってるんですよ。子供の時分にはこれの舌にスッと来る刺激に耐えられなくて吐き出したものですよ。で、一回唾液がついたのを缶に戻すと中でべとべとになって固まって、次に缶を振っても中身が出てこないってことがあったものです。今では私もすっかり大人なので薄荷だって食べられますよ」
「うん、それは全部知ってる」と山岡は思ったが、口にはしなかった。誰でも知ってることを長々と説明する目の前の男はなかなか掴み所がない。
みずぼらしい身なりの男は、ドロップの説明を終わると持って帰った食材を整理しはじめた。それぞれを自分の都合の良い場所にしまっている。
「ちょっと、その封筒の中身は?」
「ああコレ、山岡さんもお目が高い。コレの中身はですね……」男は手のひらに封筒の中身を出そうとしている。山岡は何が出てくるか分からないので警戒態勢をとった。
男の手のひらにコロコロと小さい粒が転がってきた。それは銀杏であった。
「これは!」
「銀杏ですよ。食べたことありませんか?」男は銀杏を一粒摘んで食っている。
「なぜ、封筒に……」山岡は聞いた。そして食ったことくらいはあると想った。
「ああ、これはですね。封筒に入れて銀杏をレンジでチンするとポンッと音がして硬い殻が破れるんですよ。これは知り合いのお家でやってもらったんです。なんせ私の家には電気が来てないですからね。おいしいですよ。山岡さんも一つどうぞ」
「いや、勤務中なもので……」
「まぁまぁ銀杏の殻みたいな固いことを言うもんじゃないですよ。ほら、どうぞ」山岡は一粒持たされた。
「では、お一つだけ……」山岡はごくりと銀杏を食った。警察官が勤務中に銀杏を食ってましたとか、通報するのはこの際無しだぜ。
「これは、うまい」久しぶりに銀杏を食った山岡が言った。
「でしょ、これぞ自然の恵みですよ。ここポイズンマムシシティは春になればたくさんの桜が綺麗に咲き、秋はたくさんの銀杏が綺麗に咲く。実に自然美溢れる良い所ですよ。それを守るのがあなた達のお仕事でしたね、これは責任と誇りのあるお仕事ですよ。まぁその銀杏なんですが、綺麗なのは良いが散った後の葉の始末に本当に困ると知り合いのお寺のお坊さんが愚痴っていましたがね、はっは~」男はご機嫌に笑い出した。
山岡はもしかして危険物を所持した人物かも、と目の前の男を疑っていたが、どうやらこの人は良い人だと思い始めた。
「すべて食材でしたね。では、なぜ最初から中をお見せしてくれなかったのですか」
「それは先程答えましたよ。わざわざ時間を作って、私はこう言った物を所持していると人様に触れて回る必要がどこにありますか」
「ええ……それは、そうですが……」
「山岡さん、この通り私は家と呼べる物を持たず、今は家もどきの箱に住んでいる者です。そんな私がまだ雨風を凌ぐのに十分な床と壁と天上とテレビとビデオを有していた頃に、何とかって言う映画のビデオを見たことがあったんです。その映画の内容はほとんど覚えてないのですが、作中で『時間を無駄にするのは大罪だ』という台詞があったことだけはよく覚えているんですよ。あの台詞は胸に刻まれましたね」
何だか深いことを言い出したので、山岡は興味を持ち黙って集中して話を聞いていた。
「しかし、考えてみるとですね、無駄と思えることをしていると自覚があっても、それが楽しいことなら本人としては満足なんですよ。あの台詞をもっと突き詰めて考えると、時間を無駄にする上につまらないことをしたらそれが大罪だと私は思うんです。あの場であなたに荷物をお見せしたら、その条件に当てはまる不毛な時が流れたはずです」
なるほどと山岡は思った。仕事に失敗したような想いでいたのだが、一つ良い学びが出来たような気がした。
「長々と話しこんでしまいました。最初にあなたが言った、話を聞かせてくれという頼みに対してはこんな話で答えることになりましたが、まぁこれで満足して下さい」
「いえいえ、良いお話でしたよ」山岡は何か違う気もしたが、良い話だと感じたのも事実であった。
「お~い、山岡~、何やってんだ」野太い男の声が山岡の名を呼んでいる。
「あっ、利根さんだ」公園のフェンスの前にパトカーが止まっている。公園を通りかかったら山岡の自転車が見えたので彼の先輩の利根が声をかけてきたのだ。
「ああ、利根ちゃんの後輩だったのか。さぁ元気にお仕事に戻りなさい。あなたを困らせたかもしれないが、こんな年寄りになると若い人に話を聞いてもらえるのもちょっと嬉しいものでね、長々と話してしまいましたよ。さよなら山岡さん」
「はっ、それでは」
山岡は自転車に跨り、警邏の任に戻っていった。
山岡が帰った後になって茂みにまた人影が現れた。
「あっ、どうしたんだい。こしのりじゃないか」茂みから現れたのはこしのりだった。
「どうしたんだよ。警察なんかと喋ってさ」こしのりは知り合いの男が警察官と歩いていたので、何かあったのかと心配になってこっそり後をつけていた。
「なに、私の持っている荷物が気になると言うから、家まで連れてきて中を見せたあげたんだよ」
「え、なんでまた人の荷物の中が気になるのさ。妙な警察だな」
「まぁ彼は見た感じで新人だよ。色々と手違いもあるさ」
「仕事もしないで人の家で銀杏を食ってるなんて、あいつ不良警官かもしれないぜ。皆の税金で警察を置いているんだからちゃんと仕事をしてもらわないと困るな」
「まぁまぁ、彼はそんなのじゃないよ。それに私にはそれは言えないな。税金を納めていないからね。銀杏のことは内緒だよ」
「まぁ仕方ない。他でもない田代さんが言うんならね」
田代、その名前に聞き覚えがないだろうか。これまで彼には詳しく触れなかったが、彼の名前だけは物語のあちこちで出てきている。今こそ、長らく謎だったカリスマホームレス男田代の謎に迫る時だ。
「こしのり、それより一つどうだい?」
「あ、ドロップだ。こいつはいいね~もちろんもらうよ」
「そのかわり薄荷が出ても戻すなんて無しだからね。出たのを食べるんだよ」
「おいおい、いつまでガキだと想ってんだよ。薄荷だろうが何だろうがいくらでも舐めてやるよ」
「では、どうぞ」田代はこしのりの手のひらの上で缶を逆さにして一粒落とした。
「うん……うわっ、ス~っとするぜ」こしのりは見事薄荷を引き当てた。