第六十話 Fried Chicken Love ~寝起きに即揚げ物が食えるのは若さの証拠~
遠くで何か音がしている。昔、祖母にもらった大きな貝殻を耳に当てたら何とも言い難い、とにかく心地よい音がした。あれに似ている音のような気がする。しかしそれは最初だけ。遠くで聞こえていた音は徐々に近づいてくる。そしてあるタイミングではっきりわかった。うるさい、と。
「うっさ(うるさい)!」
こしのりは思わず口にして目を開いた。
「あっ、起きたの!」
こしのりの真上からスミレの声がする。
彼はこの時、どういうわけかこう思った。
(そういえば、俺は力尽きて倒れた。そして今起きた。起きたら真上からは、家族の次くらいに良く聴くあの声、スミレの声がする。俺が倒れたことと、声がする場所の位置関係から推測するに、もしやこれは……)そこまで考えてからこしのりはガバッっと起き上がって床に目を向けた。そこにはもちろん床しか見えない。
「何だ、膝枕じゃなかったのか」彼はそう独り言ちた。考えれば首が少し痛い。硬いコンクリの床で寝た証拠だ」
「え、何?して欲しかったの?」
「へっ?別に」
こしのりが起き上がって周りを見ると、そこにはたくさんの不良共が集まって愉快に宴をしている姿が見えた。明らかに最初よりも数が増えている。そしてうるさい。
「あれ、何だこれ。どうなったんだっけ?」こしのりはポカンとして言う。
「あんたが倒れて、それで勝利の宴がはじまったのよ」
「そうか、俺達は負けたのか……というかそもそも勝負なんてしてたっけかな?」
こしのりよりも先に意識を取り戻した丑光は不良共とすっかり打ち解け、彼らに混じって山口特製の鶏唐揚げに舌鼓を打っていた。
「やぁやぁ、コイツはご機嫌な味だね山口君。いい油を使っているようで、歳のわりに胃が弱い僕でも楽に食えるよ」丑光はまたいつもみたくご機嫌に食レポを始めていた。
室と根岸もたっぷりと料理を口に運んでいる。土上は不良共に取り囲まれ、手にしたグラスには、極めて体にピースな白濁とした色の飲み物を注いでもらっていた。メイドさんが珍しいので男共は彼女の周りに群がっているようだ。
「そしてお前は何を食っている?」そういえば先程からモグモグやっているスミレに対してこしのりが問う。
「これ、あんた達がコンビニで勝ってきた食パン。中に唐揚げとキャベツを挟んでマヨネーズかけてる」
「くれ!」こしのりはこの時、超腹が減っていた。
「ん」一語のみ発しスミレはこしのりの方へ唐揚げサンドを差し出す。こしのりは三分の一程スミレが齧ったそれを瞬時に奪い取り、あっという間に平らげてしまった。
「うまい!」
「おいおい、敗戦の将がお目覚めだぜ。人の食い物を分捕るくらいに腹ペコらしい。山口、素麺を食わせてやれよ」意識を取り戻した内が言った。彼の目に入った七味は水で綺麗に洗い流された。
こしのりは山口から素麺を受け取った。
「はぁぁぁ!美味そうだぜ!」腹ペコこしのりは歓喜した。
「こしのり、これは俺からお前を称えてのことだぜ」そう言って堂島は麺つゆをぶっかけた。
「仕上げはこいつだ!」堂島はぶちゅっと生姜チューブを絞った。
「はぁはぁ、来る~。美味いぜ。すきっ腹に染みやがる」こしのりは興奮してパクついていた。
「やぁやぁこしのり、君にしては珍しく大運動会並に体を動かして腹ペコのようだね。良い食いっぷりじゃないか」陽気に丑光が言う。
「はぁ~何か知らんけど、俺、今幸せ」こしのりは何だかわからない幸福感に浸っていた。
かつて争った者同士でも、ことが終われば打ち解け合ってわいわいと楽しい一時を過す。今、廃工場内に見られるこの宴の画は、何と美しい物であろうか。この美しさは、ルーベンスの二枚絵のそれに匹敵すると言っても過言ではないだろう。過言では……ないだろう。
宴もたけなわといったこの場に、突然新たな訪問者がやってきた。
「お兄ちゃん!」工場入り口に立つ少女が言った。
「あっ!留美た、じゃなくて留美!」多分「留美たん」と言いかけた堂島が仲間の手前もあって、妹のことを「留美」と言い直した。彼のこういうところは嫌いではない。
「そう言えば留美の兄貴探しの依頼を引き受けていたんだ。二人が再会してこれにて依頼達成だ」こしのりが素麺を啜りながら言った。しかし、ことはまだ完全には治まってはいなかった。