第三十五話 絶叫アトラクションは身近にあった
放課後にやっとのことでこしのりと丑光は夏休みの宿題を終えた。九月に入ってまだ夏休みの宿題をやる惨めさは、八月の間に怠慢な生活をしていた彼らのみしか経験できないことであった。若い内には少々の苦労をした方が将来に活かせる経験値になると考えられるが、彼ら二人のこればかりは経験しないでいいことだと言えよう。
彼らよりもずっと賢いスミレにも少々手伝ってもらい、やっとのことで宿題を終えた二人は疲労の中帰路に就いたのである。
その次の日の朝のことである。
昨日の宿題の疲れが抜けず、その日の朝もこしのりは机の上に置いた鞄の上に頬を埋めてウトウトしていた。
そんな彼の眠気を飛ばすような驚きの報告がクラスメイトAからもたらされた。
一時間目前の騒がしい朝の教室に駆け込んできたAは大きな声で言った。
「おい、深町の奴がチーマーにやられちまったぜ!」
「何だって!」驚いて聞き返したのは丑光であった。
ここだけの話、クラス内で結構変人で通っている彼はちょっとばかりクラスの皆から距離をとられがちだった。そんな中で深町君は全く遠慮なしに彼に接してくれた数少ない人物であった。こしのりの次に彼と仲良しなのが深町君だったのだ。その深町がチーマーに何かひどい目に会わされたと聞くと丑光は平気ではいられなかった。
「おいA君、詳しい事を話したまえよ!」
普段あれだけ落ち着いている丑光が、かなり興奮気味にAの両肩を掴んで揺らしながら言った。
「ああ、言うからさ。てかA君って……」
Aはもちろん日本人で、どこにでもいそうな少年である。決してこの表記で本名がエースなんていうわけではない。なんせこの私も彼の名前は知らないのだからクラスメイトAと表記するしかないのだ。
そしてクラスメイトA君は話を続ける。
「深町の奴、今朝来てないだろう。実は昨日、深町が学校から家に帰る途中にチーマーの連中に襲われたのさ」
「彼は無事なのか!」
「まぁそれは大丈夫だ。どこか怪我したってワケじゃない。今は家で休んでいる」
「それで彼はチーマー共にどんな目にあったんだ」
「あいつの家は毒蝮坂を上った所にあるだろう。で、その坂道の途中にある工事現場に置いてあるドラム缶に詰め込まれて坂の上から下まで転がり落とされたわけだ。あの傾斜であの長さを転がり落ちたんだ。ものすごい加速がかかっておまけに回っているんだから想像しただけで恐ろしいだろう。そんじょそこらの遊園地の絶叫マシンなんて比じゃないぜ」
「それは考えただけでも震えがくるね。そんな無料の恐怖のアトラクションを考えるだけならまだしも、あの善良な深町君で実演させて見せるなんて何て奴らだ。許せない。彼はさぞ怖いを想いをしただろうね」
「ああ、そうなんだよ。かなりの勢いで坂下の壁にぶつかったが、奴が入っていたのは丈夫なドラム缶だ。中にいた奴にはどこにも怪我なんてなかったよ。ただし精神的ショックがデカかったみたいでな。なんせ長いことローリング状態だったもんだからさ、その恐怖のショックのせいであれから地面に立ってまっすぐ歩くってことがまともに出来ない状態になっちゃったんだよ。どうやら何をしてもあの坂道の回転のことが頭をよぎってその恐怖でしゃがみこんでしまうらしい」
「可哀想に。それで今日は学校まで歩いてこれないと」
「そうなんだ。俺は深町とはご近所さんだからさ。そういう情報を得たわけだ」
「そいつは穏やかじゃねーな」
さっきまでウトウトしていたこしのりがしっかり目を開けて答えた。
「深町はいつだってその小さな頭の中に詰め込んだ膨大な知識を持ってして無知な俺達に知識と知恵を与えてくれた。言わばこのクラスのブレインだ。そいつを潰されたとなったら俺はどういう行動に出るかわからないぜ」
深町君は子顔であった。よって頭も小さかったが、彼よりも顔がでかいこしのりよりもうんとたくさんの知識を有していた。そしてそんな深町君にいつも助けられていたこしのりは、彼を傷つけられたことで怒り心頭に発してそう言ったのである。
「おいA、深町をやったチンピラ共はどこのどいつだ。知ってたら教えてくれ」
もうさっきまでのスリーピングプリンスのこしのりの姿はなく、今Aに質問する彼は別人のように鋭い目つきをしていた。ちなみにスリーピングプリンスとはクラスの一部の女子があくまで影で用いるこしのりに対する呼称である。こしのりは学校でよく寝ているのだが、その寝顔が意外にも可愛らしいことから一部の女子の間でこう呼ばれるようになったとさ。
こしのりの問いにAが答える。
「ああ、この街全体を縄張りにしている奴らだ。どこにいるってワケじゃないけど、そうだな……夕方あたりに港の方にたむろしているのを良く見かけるとか聞いたような気がする。なんせ奴らは烏合の衆だからな、決まった事務所を構える暴力団とは別でいつどこにいるか確実なことはわからない」
いつもと調子の違うこしのりに丑光が問う。
「こしのり、君って奴はまさかとは思うが、深町君をやった奴らの所へ乗り込もうとでも言うんじゃないだろうな」
「いや、待ち伏せる。俺の方からあちこち訪ねるとすぐに体力がやばくなる。待ち伏せるならAの言う港が有力候補だ」
「待ち伏せって、それじゃあ同じことだよ。いくら何でも危険だ。僕だって奴らには怒っている。しかしチンピラ相手に喧嘩はまずいよ」
丑光が止めるがこうなるとこしのりは言うことを聞かない。
「本当はいますぐにでも行動したい所だが、いかんせん俺達は学生の身分だ。まずは授業をきっちり受けて、事を起こすのは学校が終わってからだ。いいな丑光、スミレには絶対に何も言うなよ。アイツが知ったら100%うるさいことを言ってくるからな。お前だってそんなノイジーな学園ライフは例え一日だって送りたくないだろう」
「君って奴は僕を黙らせておくためになんて変化球な脅し文句を使ってくるんだ。まぁでもそれは言えてるね。彼女には全て伏せておこう」
スミレは部活の朝練の片付けをしていてまだ教室に来ていなかった。
「昨日の放課後は途中で何度帰ってやろうと思ったかわからないが、とにかく夏休みの宿題を終わらせておいて良かった。おかげで今日からは放課後は自由だぜ」
丁度今日の放課後に用事が出来たこしのりがそう言った。
それに対してAが当然なツッコミを入れた。
「いや、そもそも八月の内に終わらせとこうぜ……」
というわけでこしのり、丑光の二人は友人深町の仇を討つため学校が終わってから港に向かうことになった。
「ちょっと待ってくれ、こしのりはともかく僕も行くのかい?」
そう、僕も行くのだ。これは私の決定なのだから。