第三十話 火を扱うなら近くにお水のご用意を
「おい、こしのり。根岸君の部屋は階段を上がって右側って行ったじゃないか」
「そうは言うけどさ、あのグルグルした階段を上る内に方向感覚がおかしくなったってことにも頷けるだろ」
「それは頷けないさ。グルグルしたからって右は右でわかるだろ。全く君って奴は」
こしのりと丑光は元いた根岸家の広間の椅子に腰掛け作戦失敗の反省を行っている。あと、こしのりの言うグルグルした階段というのは金持ちの家かそうでなければ酔狂者の家にしかない螺旋階段のことである。
「ああ、そういえば息子はいつも部屋に鍵をかけているので、どちらにせよ突入は難しかったもしれません」
根岸夫人がそう挟んだ。
「そうでしたか、こしのりコイツは簡単にいかないよ。作戦は練り直しだな。ん、ところで君はどこの部屋を開けてそのお菓子をゲットして来たんだい」
「え!」こしのりは土上の部屋で見た男の子には少々刺激の強い光景を思い出した。
「まぁ、そんな事はどうでもいいじゃないか。お前も食べな、とにかく次だぜ」
「それもそうだね、コイツは美味いね。作戦を練る頭も冴えるってものさ」
丑光はちょろい奴である。
「ことによるとこしのり、正攻法で行くのを避けようというその考え自体が間違っていたのかもしれない」
「なるほど、それも一理あるな」
この時こしのりは、そろそろことが面倒になって来たため頭の中では作戦のことなど何も考えていなかったが適当に話をあわせておいた。これは彼の対人スキルの一つであり、また広く社会で対応して行くための処世術でもある。
「よし、決めた。これで行く」丑光は腹を決めた。
「丑光さん、その作戦とは?」根岸夫人が心配そうに尋ねる。
「さっき言った、引きこもりと餓えの関係のちょっとした応用です。庭に七輪を出して魚か何か、とにかく美味そうなものを焼きましょう。そこをこの七輪の団扇扇ぎの名手こしのりが上手いこと風を操って根岸君の部屋まで美味い匂いを届けます。腹が減った彼はこちらへ出てくる。行けます」
「ふふ、上手いこと美味い匂いをお届けってか、作戦も洒落も冴えてるじゃないか。そいつでいこう」
こしのりは得意そうに丑光にひとさし指を向け、親指は天上に向けていた。ちょっと腹が立つ所作である。
さすがの根岸家にも七輪は置いていないので、こしのり達は一度家に帰って七輪を持ってきた。元々体力のない彼らだが、どうゆうわけかこの作戦にはやる気スイッチが入り、そのためアドレナリンも出ていたらしく疲れを露骨に感じることはなかった。
「さぁさぁ、燻りだすぜ」
こしのりは七輪を巧みに操りだす。
根岸夫人は七輪を見るのも始めてのようで興味深々でこしのりの作業を見ている。ちなみに偉そうに作戦指揮をしておきながら丑光はこれに関しては何の知識もないので庭の芝生にすわって休憩している。
「よし、暖まったぜ。何から焼くかな」
こしのりと丑光が持ってきたのは餅とウインナーと鮭である。
「うん、ちょっとラインナップが弱いね」丑光が言う。
「あ、よろしかったら家の方で何か用意しましょう」根岸夫人がアイディアを出す。どうやら初めての七輪を前にして彼女もかなり楽しい気分になっているようだ。
「そいつはナイスアイディアですね奥さん」丑光が元気に答える。
その時こしのりの携帯が鳴った。奴からメールだ。
以下そのメール内容
(火事には気をつけて、お金持ちの庭だよ あなたの巨神兵より)
「へ、うるせいやい。おばさん、万が一のことがあるかもしれないからバケツ一杯の水か消火器でもお願いします」
他人の注意は割と素直に受け入れるタイプの少年こしのりは根岸夫人にそう告げた。