第二十九話 トビラのむこう
ガチャリ。
根岸少年は自分の部屋の扉が開くのを見た。それと同時にこしのりも扉を開いた。
「ワンワン!」という鳴き声と共に扉を開けた主は部屋の真ん中にいた根岸少年に突っ込んできた。
「うわっ!」根岸少年は突然のタックルによろめいて後ろに手をついた。
「なんだ、お前かドミニオン」根岸少年の部屋に侵入してきたのは彼の家で飼っている大型犬のドミニオンであった。犬の知識に乏しい私にはこの犬の犬種というのが何なのかわからないがとにかく大きい。ドミニオンは根岸少年に大変懐いていて彼の顔や首をペロペロと舐めている。
「やめろよドミニオン。お前でかいから重たいんだよ」
「ワンワン」根岸少年が大好きなドミニオンは怯むことなく彼を舐めている。ちなみにドミニオンはメスである。
「あっ、俺としたことが鍵をかけ忘れていたな。お前はでかいからドアノブくらい手が届くわけだね」根岸少年は愛犬の頭をなでる。
「よしよし、遊んでやるからな」そう言いながら彼は部屋の鍵をちゃんと閉めた。振り返るとドミニオンは腹を見せて寝転がっている。根岸に安心しきっているドミニオンは、信頼の印にこうして腹を無防備に晒すのである。根岸はそのお腹をなでてあげる。するとドミニオンは大変気持ちよさそうな満足しまくりの顔になるのだ。「へっへ」と言いながら舌を出しているドミニオンの顔は笑っているようにしか見えない。これには根岸少年もすっかり癒されてしまうのだ。
そしてそれを見た彼は口からこう漏らす。「お前みたいに土上も笑えばいいのにな。それにしてもお前は相変わらず良い顔で笑う。よしよし」そして彼はまた愛犬の腹をさすってやる。その間ドミニオンはずっと満足そうな笑みを浮かべている。少年と犬との微笑ましいやり取りが行われる部屋の中は赤い夕陽が照らされていた。
おっと、根岸少年の部屋を開けたのが犬であったなら、我らがミニスカ侍こしのりは一体誰の部屋に突入したのか、そこのところも明らかにしておこう。
「ヒッキーを、ヒッキーをお願い」
扉を開けてからこしのりは例の「ヒッキー」と書かれた紙を両手に持って部屋の住人にそう言った。さあさあ噂に聞く引きこもり少年が一体どんな面かと思いながらこしのりが目を前に向けるとそこにいたのは少年ではなかった。
「あ……あれ?」こしのりはポカンとする。
部屋にいたのはなんと着替え中のメイドの土上であった。シャツのボタンをはずした状態でこしのりと向き合っている。前が開いたシャツの向こうにはまず、彼女の首元近くを細く伸びる美しき山脈である鎖骨が見えた。そしてすこし目線を落とすと胸部には前にも説明した隆々と盛り上がる二つ山が見え、その山間には無限のごとき深淵が見える。更に目線を落とすと愛しきクレーターとでも言おうか、つまりチャーミングなお臍が見えた。ボタンが開いただけで服は着ている状態である。しかし、そんな少しばかり見えた地肌の部分だけでも女体というラビリンスの神秘性が男であるこしのりをどれほど震撼させたかわからない。
土上は何ごともなかったように落ち着き払い「ヒッキー」と書かれた紙に目を向ける。そして部屋の棚の上に置かれていた小箱を手に取りこしのりの方に歩いてきてその小箱を渡した。
「これですね、どうぞお持ちください」
「はぁ……」こしのりはそう言ってそれを受け取った。こしのりはポカンと口をあけた状態でいたが、やがて回復すると「あ、すいません勝手に、それから……ありがとうございました」と言った。
土上は落ち着き払って「いえ、それのお礼はいいので遠慮なさらずどうぞ」と返す。
「いや、そっちじゃなくて……とにかく失礼します」こしのりはすぐに部屋を後にした。
こしのりはしばらく息をするのを忘れていた。廊下に出てからしっかり息を吸った。
「ふう、すごいものを見たぜ。それにしてもなんだコレ」こしのりは先程土上にもらったもらった小箱を見た。その小箱には「ピッキー」と書かれていて、中身は国民の皆さんもよくご存知であろうあの鉛筆のように細長いお菓子である。
「ふんふん、そういうことか。ヒッキーを要求してピッキーが返ってきたわけだ。なんともコントな組み合わせ」こしのりはそう言うとピッキーをポリポリ食いながら階段を下りていった。
こしのりが外に出てくるのが遅いので丑光が階段の下まで戻ってきていた。
「おいおい君、遅いじゃないか。あ、何を食べているんだい」
「ああ、これか。ピッキーさ」
「え、何だって、おいおい君が引っ張り出すべきはヒッキーだろ、それをお菓子のピッキーと取り違えて持ってくるなんて全くこいつはコントな組み合わせじゃないか。ははは」
「それはさっき言ったからさ。まぁ次の手を考えるか~」
このようにおバカな二人はいつも通りの暢気な談笑を始めた。それを側で見ていた根岸夫人は息子の脱引きこもり作戦が失敗に終わったことを悟ってため息を一つ漏らした。ことはそう簡単にはいかない。皆さんが知らないだけで世の中には引きこもっている人がたくさんいて、それらを引っ張り出すのに努力して失敗した関係者の方もまたたくさんいるのだ。