最終話 例え拒んだとしてもいつかは辿り着かなければならないその場所
終わります。
これで完全に終わります。
約30万字に渡るこの物語がついに終わります。
30万字を読むとすると、その内容がつまらないなら当然、例え面白かったとしても疲れる。
この物語を頭から尻まで読んだ人はそう多くはいないだろう。
しかし数人はいると思われるそんな酔狂な人達にただこう言いたい。
「ありがとう。おつかれさん。そしてさらば」とね。
活字の申し子 紅頭マムシ
それからこしのり達がどうなったかを話してこの長き物語の幕を閉じることにしよう。
その過程が長かった、短かった、楽しかった、クソつまんなかった、といった具合に人れぞれどう感じたところで物事には必ず終わりが来る。
この物語が上記のどれに当てはまるのか、私ごときには判断できないが、とにかく終わる。これだけは絶対なのだ。
彼らが自らの力で引き寄せた新年が明けて数日が経ち、こしのり達の学校が始まった。
学生をやっている元ミニスカ侍5人は、新年からは学校規定の制服姿で登校することが出来た。スミレは学校指定の女子スカート、こしのり達は男子用ズボンを穿き、その上にまたミニスカを穿くというあの変なファションはしていない。
正直言うと5人は、これまでの異常な格好に慣れたために普通の格好をしていても落ち着かなかった。異常も3日続けば日常になると言った人がいる。その逆もしかりで、かつての日常だって3日離れれば異常に感じたり感じなかったりするらしい。
短い冬休みにもちょっとの量の宿題が出たと言うが、これをこしのりと丑光のみやってこなかった。
二人の言い分はミニスカ侍の活動が忙しかったからとのことである。ブラジルに飛んだ丑光には人よりも勉強する時間が短かったのでまだ分かるものだが、ずっと家にいたこしのりがやって来てない理由は普通に怠惰によるものだった。二人は夏休みの宿題をやらなかった時と同じく、新学期早々学校に居残って怠惰な冬を越したペナルティを受けていた。
スミレは春の大会に向けてソフトボール部の活動を頑張っている。
根岸はミニスカ侍の役目を終え、学校に行く用もなくなったので再び家に引きこもるようになった。そして彼の兼ねてからの目的であったノンフィクションのミニスカ侍の活動記録をまとめる作業にはいったのである。これは後に店頭発売され、飛ぶ鳥を落とすだけでは飽き足らず、地中深くにまで埋める勢いで売れたという。しかしそれはもっと先の話。彼は引きこもって創作活動に励む一方で、母親とメイドの土上から色々言われた結果、高校だけは卒業することになり、進級のために必要な登校日数を計算した上で、計画的な自主休暇を行っていた。そんな褒められたものではない学生生活を送って彼はなんとか卒業するのであった。
堂島はというと、高校を出たらパティシエ修行をしに外国へ留学するよう父親に言われたのだが、「留美たんと離れるのは嫌だ。俺はこの街で腕を磨く。留学しなくても一人前になれるやつはここにいると証明してみせる」と言い切っていつまでもポイズンマムシシティの地を離れることはなかった。そんな彼はやがてはミシュランガイドに載るまでに美味いスイーツを出す職人としてその地位を確立していくことなる。これも少し先の未来の話。
室は野に帰り、その後も熊としてその生を全うしたという。
田代はどうしたのかというと、詳しいことは分からない。しかし何をやってもカリスマな彼のことだ。近い将来にはまたテレビで、SNSで、果てにはどこかの街角でその姿を拝める日がくるだろう。
こうしてミニスカ侍達はただの人へと戻り、忙しい日常を送っている。
今回のポイズンマムシシティを発端にして、ここで食い止めなければきっと世界をも飲み込んだであろう巨神兵の理由なき破壊行動について、世の人々は様々な意見を交わすこととなった。そもそもそれが存在する理由、いつどうやって地球にあんなものが出来たのかなど、巨神兵のことについては誰もが謎に想うばかりで、何も決定的な情報を得ることが出来なかった。
平成も終わりに差し掛かって起こった今回の怪事件は「時代のブラックボックス」と称されることとなった。そして謎と言えば、巨神兵と相反する勢力であったミニスカ侍についてもそうだ。あのミニスカが一体何だったのか、こしのり達本人も何もわかっていない。どうして自分たちが選ばれて、あんなおかしな目に会ったのか検討もつかない。彼らよりも前にミニスカに触れたこしのりの祖父、そして陀身安和尚の先祖と時を遡って情報を得ようとしても結局肝心な所はわからない。こしのりの祖父については、共に人生を歩んだ妻であるこしのりの祖母の口からも「死ぬまで付き合ってもよく分かんない人だったよ」と語られた。我々人間が、同じく人間のことをまだちゃんと分かっていないのに、常識の遥か外にある今回の事件について何が分かると言えよう。果て無き謎に対して、押した引いたのアクションを加えたところで結局「謎」の範囲から出ることはないのだ。人々は今回の事について、「どこまで行ってもわからない、そういう風に仕組まれているもの」と理解し、謎を謎のままに受け入れることにしたのだ。
しかし、一つ言えることは、ダラダラした青春を送りがちな若者とそうでない人達、加えてそもそも人でない獣、これらが心を一つにして世界平和を目指したことによって、当事者の彼らと彼らを取り巻く人々に対して何かしらの成長に繋がる刺激を与えたはずだと私は信じている。つまりこの度の聖戦は、我々人類にとって、はっきりと「こうだ!」とは言えないにしろ確実な何らかの進化に繋がる機会となったと言えよう。極めて抽象的で、人によっては勘違いだろうと突っ込んでしまいそうな見解だが、私としてはこれで正解だと信じている。
意義がある戦いだった。全てをかける価値があった戦いだと想った。
今日もポイズンマムシシティは、そこに住む人々の力によって廻っている。当たり前の日常だ。しかしそれこそ、我々人類が勝ち得た唯一にして最大のものであった。
巨神兵のいなくなった後、街の中央にぽっかり空いたスペースには、いつしかデイジーとオリーブが勝手に咲くようになった。植物に詳しい私の祖母が言うにはどちらの花にも「平和」という花言葉があるとのことである。
これにて完全終劇