第百六話 夫として父として
毒蝮山を上り始めて100m程進んだ所に木が密素する場所がある。その内の一本の下には穴が掘られていた。その穴こそ我らがミニスカ侍が一匹、紫のミニスカを穿く熊の室が冬を越すための場所であった。今は十二月、個体差はあるものの、熊達はそろそろ冬眠を始める時期である。穴の中には母親熊と男の子の小熊がいた。そう、室の嫁と息子である。間もなく主人のおかえりである。
「ああ、あなたおかえりなさい」
夫の室を快く迎えたこの貞淑なメス熊は名を絹江という。熊の中でも大変ルックスの整ったメス熊で、人間で言うと、どこかの大学で開かれるミスコンくらいなら楽に優勝するレベルである。そんな美しい嫁をもらった室は熊の世界では勝ち組である。
「おう、帰ったぞ。待ってなくて良いからお前はさっさと寝ろよ」
「ええ、私もう眠くって、せめてあなたの帰りを待ってから冬眠に入ろうと思ったんです」
「まったくお前は嫁の鑑だな。坊主の方はもう寝ているな」
「ええ、この子もあなたの帰りを待つと言って頑張ってたんですけど、なんせ子供ですから起きていられなかったみたいです。は~あ、私も眠いです」
絹江に寄り添って穏やかな眠りについている小熊は名を田吾作と言う。まだまだチビだが、母の整った顔立ちと室のたくましい背中のどちらをも受け継いでいる愛の結晶である。
「ほい、コレこしのりのところでもらったんや。使いや」室はそう言って穴の開いた毛布を絹江に渡した。
「暖かいですねコレ。春になったらこしのりさんにお礼にいかないとですね」
「おう、あいつもワイの嫁と子供が見たいって言ってた」
「ごめんなさい。あなたがこんなに大変な時だというのに私達は寝ていることしか出来なくて」
「いいんやいんや。こんな大変な時に嫁や子供に何かさせるなんてことのないようにワイのこの力があるんや。お前は気にせずはよ寝な」
「そうでしたね。あなたのそのスカート、綺麗な紫色でとっても良く似合っています。次にあたなに会うのは来年ですね……」絹江は微笑んではいるが、少し悲しそうな目で室を見ていた。
「そうや、来年や。お前達にまた会うためにもワイが無事に来年を連れてきてやる。おいお前、もう最後みたいな顔で見るんやない」
「ええ、信じていますから」
「わかったらもう寝るんや。春はすぐやで」
「はい。ではあなた、おやすみなさい」そう言うと絹江はもうぐっすり眠っていた。本当に眠いのを我慢していようだ。
「寝たな……ワイはまたお前らと会うで、一緒に飯食って、一緒に笑うんや」室はそう言うとゆっくりと立ち上がった。
「そのためには力をつけなあかん。あのデカ物をボコボコにするためにな」
山のあちこちでは、熊をはじめとして多くの生物が冬眠に入り始めていた。室はミニスカの効果によって冬眠を必要としない体質になっていた。皆が冬眠に入る中、一人起きている彼の孤独な冬が始まるのだ。孤独に追い込まれ、気を散らすことが何もなくなったことで、彼は思い切り強くなるための条件を得た。この冬、この山で室は誰よりも強くなる。来年の春にまた家族で笑って暮らすために、彼はどこまでも強くなる。彼は戦士であるよりも前に良き夫であり、良きお父さんなのである。もう室に迷いはない。彼の目的ははっきりと定められた。
この後、彼は己の限界を超えるための修行に打ち込む。それは真に壮絶なものであり、色んな少年漫画で見られるどの修行とも内容が違っていた。なんせ彼は熊、熊は熊で人間とは違う修行があるのだろう。気になるところではあるが、例によって例のごとく、私は修行というものを描写することはしない。その理由は先の話数でもした通りのものである。