第八話 黒狼と黒金の剣
お、遅れてしまい申し訳ございません……!
でも亀スピードは治りそうにないかも……。が、ガンバリマス。
森で猛獣と遭遇した時の対処法と言えば。
・猪:静かにその場を離れる。絶対に背中を見せてはいけないし、急に走り出して驚かせてもいけない。
・熊:様子を伺いつつ、決して背中を見せずに逃げる。あとは、リュックサックとか食べ物が入ったものを捨てて囮にする。どうしようもなくなったら鉈でバトル。
(つまり背中を見せるなってことですね分かります)
うろ覚えだったので所々間違っている気もするが、纏めるとそうなる。
が、狼相手にそれが通じるか、そもそも異世界の獣相手に地球の猛獣相手の対策で問題ないのか。そこを考えると微妙だ。
そして、何より。
『落ち着いて対処する』という部分が、夜の森探索初心者には不可能だった。
「うあぁぁああああああ⁉ おっ、おっ、狼ぃぃいいいい⁉」
「おい馬鹿叫ばないでくれデルタ! 刺激するのが一番まずい……って、もう遅いか!」
気付くのも構えるのも、何もかもが遅かった。
けれど生存本能だけは正常に働いていたようで、四人は中心から割れるように左右に身を投げることで跳びかかってきた狼の牙を回避する。
「ぶふっ、ぐぇッ」
地面に顔から突っ込み、女の子が出したらいけないような呻き声を漏らすルナ。口の中に砂が入ったのか、口腔のじゃりじゃり感が酷く不快だ。けれど、いちいちそんな事を気にしていられるほど状況は優しくない。
「剣を抜いて! 絶対に背中を見せないで、威嚇しろ!」
セントの指示が響く。やはりこういった状況で一番落ち着いていられるのは、セリアの予想していた通り彼だったようだ。――果たして本人の心境が、本当に落ち着いているかは知る由もないのだが。
彼の的確な指示のお陰でルナ達は持ち直す――事は無い。
何故なら、
「お、狼って……そんなの、死んじゃう……っ」
「無理、だって……無理、無理無理無理っ! 誰か、誰か助けっ」
女子二人は、全滅だった。
腰を抜かし、涙を零し、尻を引き摺るようにして後退る。粗相をしていないだけマシか。もっとも、これ以上狼に近づかれれば、すぐさま決壊してしまうほどに脆い一線だが。
「くっ……」
歯噛みして、けれどセントは長剣を片手に狼と対峙する。怯えて使い物にならないルナとセリアを守るように立ち塞がり、切っ先を狼に向けて威嚇する。
狼は、見たところ一匹のようだ。
「何とか、いけるか……?」
現状を判断し、そう呟くセント。
――けれども、その考えは甘い。
「うわっ! やめろ、何でこんなにっ⁉」
半狂乱気味に上擦った声を上げるデルタ。半ば反射的にルナがそちらに視線を向けると、そこには黒い毛並みの狼が三匹、こちらを睨み付けていた。
恐らくセントが相対している奴と同種の狼。この状況を考えるに、群れでの狩りなのだろう。
(まさか、反対にも……なんてことは、)
居て欲しくない。――その願いも空しく、けれど半ば分かっていた事だが、デルタと反対側には黒狼が二匹姿を現していた。
「囲まれた……?」
――完全に、追い詰められた獲物に成り下がった瞬間だった。
前に一匹、左に三匹、右に二匹の総勢六匹。
対してこちらは四人、うち二人は戦力にならないどころか完全に足手まといと化している。角兎に苦戦していたデルタが狼三匹を相手にできるとは思えないし、唯一戦闘技術のあるセントでも人を庇いながら複数の狼を倒せる可能性は限りなく低いだろう。
つまりは、
「また、死ぬ……の?」
つい半日前、トラックに轢かれて死んで。
そして今度は、猛獣に食われて死ぬ。
そう、死ぬのだ。終わりだ。どうしようもない。足掻いたところで、どうなるとも思えない。戦う力も無ければ特別な技術も無い平和ボケの日本人が狼相手にできる事など、せいぜい虚勢を張った威嚇か手当たり次第に長物を振り回すか、或いは腰を抜かしたまま震えて死を待つくらいだろう。
「くそがァッ!」
元・女性とは思えない言葉を吐き捨て、セントが長剣を黒狼の顔目掛けて突き――出そうとして。
突如、夜闇を引き裂く雷撃が、黒狼たちを蹂躙した。
「――――な」
何が起こったのか。そう口に出す前に、答えはルナ達の目の前に現れる。
「へいガールズ! 怪我はないかね?」
黒塗りの長剣を黒狼の腹を裂くように振るいながら笑顔をルナとセリアに向けたのは、とても自然にできたとは思えないピンクの髪と目を持つ女性。理解が追い付かない突然の事態に硬直しているルナを見てにんまり笑った彼女は、その可愛らしい顔に似合わぬ俊敏かつ豪胆な動きで以って近くに居た黒狼を一振りで両断してしまった。
「ガッハハハハハ! 夕飯はブラックウルフの丸焼きだな、ガハハハ!」
ピンク髪の女性の後ろから現れた豪快に笑う大男が、ブオンッ! と重い風切り音を鳴らして斧を振るう。黒狼の背中を超重量を生かした戦斧で叩きつけ、硬い背骨も弾力ある強靭な筋肉も関係なく斧刃でかち割ってしまった。
「後は無双だぜベイビー!」
「ガッハハハハハ! 温い、温いぞ狼! 貴様それでも魔物かッ⁉」
もう滅茶苦茶だった。女性も大男も、狼相手に笑いながら蹂躙している。
血が舞って、毛が散って、怨嗟が響いて、その命が易々と刈り取られていく光景。圧倒的、そうとしか言いようのない一方的な狩猟だった。
数分と経たず、場には静寂が降りる。
かと思った直後、その静けさはピンク髪の女性によって打ち破られた。
「さぁ私の胸に飛び込んできなさい可愛い子ちゃんたち! お姉さんが優しくねっとりぐっちょり包み込んであげるわ!」
……何というか、凄くセントやセリアと息が合いそうな人だとルナは思った。
◆ ◆ ◆
ピンク髪の女性や遅れて到着した恐らく彼女の仲間達が黒狼の死骸を片付け、ようやっとルナ達が落ち着いた頃、颯爽と現れた救世主は自身らを冒険者だと名乗った。
「A級パーティー〝黒金の剣〟……ですか」
なんちゃら級とか言われても良く知らないので、具体的にどのくらいの位置にいるのか判断しかねるが、どうやらそこそこ高い位置にいる実力のある冒険者パーティーらしい。パーティーのランク付けが有ると耳にしてデルタが先ほどまでの恐怖もどこかにふっ飛ばしてはしゃいでいたが、無視してルナはピンク髪の女性に相対する。
「えっと……助けて下さり、有難う御座いました」
「おーけぃおーけぃ、良いってことよ。ピンチの女の子を助けるのは当然の事でしょう?」
男はどうなんだ、とツッコみたかったがあえてスルーしておく。碌な答えが返ってきそうになかったので。
休む間もなく転がる状況に警戒心が抜け切らないルナに、ドヤ顔気味のピンク髪の女性が問い掛ける。
「そんで、どうしてこんな時間に君たちみたいなか弱い娘が禁忌の森に? ココ、A級以上向けのフィールドじゃん」
「A級……ですか」
危険度だろうか。恐らくパーティーのランクと関係するのだろう。圧倒的な強さを見せた〝黒金の剣〟がA級なことを考えると、かなり危ない場所のように感じる。
しかし、知らなかったでは済まされない当然の常識といった口振りなので、何となく初耳だと言い出し難い。迷った末、ルナは事実に幾らかの嘘を混ぜた話を口にする。
「ここら辺には初めて来たので、ここが禁忌の森だとは気が付きませんでした。ひたすらあの大きな樹だけを目指していたので、少し地上の把握が疎かになっていたようです」
嘘を吐くのは得意ではないので苦笑いになってしまったが、それが逆に真実味を醸し出すのに一役買ってくれたようだ。ピンク髪の女性は「なるほど」と頷く。
「天霊樹ね……もしかして君たち、冒険者になって迷宮に挑むつもり?」
「はいはいはいそうでっす! オレは冒険者になって剣と魔法のファンタジーを貪り尽くすんだぜ!」
「ちょっと言ってる意味が分かんないんだけど誰かこの五月蠅い男黙らせてくれる? 今、私は女の子と話してるところだからさー」
「え、何このねぇちゃん超おっかないなガクブル」
ハイテンションから一気に急降下する喧しいデルタが引っ込んだところで、金髪碧眼のひょろりと長い青年――ピンク髪の女性と大男が狼相手に暴れた後、疲れた表情でやって来た〝黒金の剣〟の一人――と話していたセントがこちらへ戻ってきた。
「改めて礼を。危ないところを助けて下さり、有難う御座いました」
「ん、問題無いわ。ちょうど晩御飯も欲しかったところだったし、何よりこんな可愛い子たちを合法的に触れるんだからね!」
「ひゃう⁉ い、いきなり何するんですか⁉」
避けることを許さないその圧倒的速度でルナの背後に回り込み、ピンク髪の女性がぎゅっと体に腕を回してくる。すんすんくんかくんかはすはすと怪しい行動を恍惚とした表情でやり始めたので、怖気立ったルナは脊髄反射的に肘鉄を喰らわせた。
「ぐおえっ」
もろに鳩尾に入って悶絶するピンク髪の女性。自己防衛本能からついやってしまったが、自分達の命を救ってくれた人に対して酷い仕打ちだと気づいて、ルナは顔を青くする。
しかし、仮にもパーティーの仲間が攻撃されたというのに、金髪碧眼の青年は特に気にした様子も無く、むしろ、
「ああ、もっとやって下さって結構ですよ。でも踏むと喜ぶんで、頭でも蹴ってやってくださいな。まぁそれも、調子エエ時は嬌声上げますけど」
「ええ……何ですかそのドM……」
「事実なんです、苦労しますわぁ」
「ぐおおおお……美少女に肘鉄喰らわせられるってこんなに爽快な気分になる事なんだね知らなかったよぉ……!」
「ほらね。生涯開く必要の無い扉を開いてますけど、もう無視してエエですから。むしろ突っかかってギルドにお世話になる羽目になった事もザラなんで」
諦めた風に言う金髪碧眼の青年が哀れで、ルナは心の中で合掌しておいた。
ストレス発散なのか、金髪碧眼の青年はドMピンク髪を踏みつけつつ、笑顔で自己紹介なんぞ始めた。
「ボク、サリスト言います。よろしゅう」
「こいつ、変な言葉遣いだけど気にしないで良いわよ。新大陸出身でアルバーン共通語に慣れてないだけだから」
足元から真顔で言う変態ピンク髪に、余計に金髪碧眼の青年――サリストは体重を加えつつ、
「貴女に変とか言われると妙に苛立つんですけど、まぁ自覚はしてますんで、堪忍や」
「……なんか似非方言みたいね。どこのに似てるとも言い難いし、異世界って謎が深いわ」
ぽつりと呟いたセリアの言葉は、幸いにもルナ以外には聞こえていなかったようで、途切れずに紹介が進んでいく。
「で、ボクの足の下に居るのが、」
「アルマちゃんだぜ☆」
「……救いようのない変態ですけど、コレがボクら〝黒金の剣〟のリーダーですわ」
認めたくない事をイヤイヤ口にするように言うサリスト。その様子にムッとした表情でアルマは、
「変態とは失敬な。私はお金と女の子が大好きで、その為なら靴の裏でもケツの穴でも路傍で良い感じに腐ったクソでも舐める淑女だ」
「それを世間では度を越した変態言うんです」
……とりあえず強烈な人だということは分かった。
未だ足の下でもぞもぞしているアルマをそのままに、似非方言使いサリストの紹介は続く。
「次、あっちの斧振り回して荒ぶってる筋肉達磨がティアモット。バトルと筋肉の事しか頭にない阿呆や」
「ウー、ハーッ! ガッハハハハハ!」
ブオンブオン凄い音を鳴らしながら戦斧が空気を薙いでいる。盛り上がる彼の筋肉は素晴らしいもので、ボディービルダーの鍛え抜かれた肉体を見ているようだった。
そんな圧倒的筋力で全てを薙ぎ払う大男を見ながら、デルタが呟く。
「ティアマト?」
「ティアモットですわ。何やそのティアマトて」
デルタのボケは異世界の住人には伝わらなかったようだ。ついでに言えば、ルナにも伝わっていない。
しかし、しっかり者組(更に言えば百合趣味組)のセントとセリアは分かったようで、呆れ顔をデルタに向けている。
「メソポタミア神話の海の女神なんて、あの大男さんには似合わないでしょう。というか、そのネタ分かる人は少ないわよ」
逆に、それが分かるセントやセリアに疑問が湧くが、今は置いておく。
彼女の話の意味が分からないサリストはとりあえず紹介を続けることにしたようで、次――というか最後の一人、離れたところで周辺の警戒をしながらぶつぶつと何か呟いている少女へ視線を向けた。
「あの子がトルメイ。最初に【雷撃の嵐】ぶっ放した人ですわ」
「うおおおっ! アレか、初めてのファンタジー要素の子か!」
デルタは凄い、というか微妙に失礼な覚え方をしているようだ。
しかし、一体彼女は何をぶつぶつと呟いているのだろう、と気になったルナが耳を澄ませてみると、
「――の威力が微妙に足りない。でも変換効率に回さないと火力は良くても燃費が悪すぎるし、いっそ魔石使う? いや駄目、それはお金がかかり過ぎる。私の財布の金は研究費に注ぎ込みたいし、でもパーティーの経費から出すのは……ただでさえアルマの所為で金欠なのに負担を掛けるのは拙いか。となると術式をどうにか弄くって底上げするしかない。でも今の私の技術じゃ限界が……いや待て、魔法陣を使うのは? それならまだ改良の余地が有るか。第二界印を六芒から八芒に変えて、いや元素法定を七つに増やして――」
(うん、全く分からないや)
魔法使いの独り言は、一般ピープルのルナには難し過ぎたようだ。
「あの子魔術馬鹿やから、あの状態になったら一、二時間は帰ってこうへんよ。ほっときぃ」
〝黒金の剣〟にとってはトルメイの専門用語がドバドバ流れ出す独り言は日常茶飯事なのか、全員全く気に掛けた様子は無い。いや、各々やりたい事を半ば勝手にやっているから、苦労性のサリスト以外は特に気にしようとしていないだけだろうか。
(このパーティー、サリストさんが居ないと大変そうだなぁ……)
サリストが居ないと、パーティーとしてまともに成り立たないのではなかろうか。そう思うほど、自由奔放なメンバーが揃っている。
「こっちは以上や。次、そっちよろしゅう」
「分かりました」
「ああ、敬語いらへんよ。ボクら、そういうん苦手なんで」
そう言われてもすぐさま直せるほど器用ではないので、ルナは暫くは無理そうだ。しかしルナ以外の三人はそうでもないようで、
「了解した。俺はセント、宜しくサリストさん」
「さんもいらへんて」
「うん、分かった、サリスト」
「おう」
流石パーティーのリーダー的立ち位置のセント、トップバッターでいきなり呼び捨て&タメ口まで易々とこなした。
「オレはデルタ! 冒険王になる男だ! ゴールドなロジャーが置いてきたこの世の全ては俺が貰う!」
「良う分からんけどやる気のある奴は嫌いじゃないでぇ。ま、頑張りぃ」
多分、海賊王にかけたのだろうが、当然地球の超有名漫画など知らないサリストが分かる訳がない。
もうデルタのボケに反応する気も失せたのか、続くセリアはデルタを無視して名乗り出す。
「あたしはセリア。助けてくれて有り難う、そして叶うなら街まで同行させて貰えないかしら?」
「構わへんよ。……エエですよね、リーダー?」
「ええ、問題なi……いや、セリアちゃんと赤髪の子のおっぱいでパフパフさせてくれるなら考えてあげなくもないわ!」
「つまりOKって事ですんでパフパフせぇへんでエエよ」
ちゃっかり護衛をゲットする辺り、本当にセリアはしっかりしている。……このパーティーも、セリアとセントが欠けると成り立たない気がしてきた。
そして毎回自己紹介が最後になっているなぁ、と考えながらルナは口を開く。
「えっと、私はルナです。……敬語はすぐには取れないので、スミマセン」
「エエでぇ。無理にタメにしろとは言わへんから」
からからと軽快に笑うサリストに笑みを返すルナ。その横顔を見ながら、小さくセリアが呟いていた言葉は、誰にも聞こえていない。
「……ルナちゃん警戒モード。ふふふ、まだイチャイチャして良いのはあたしだけなんだからね」
……知らないのが幸せな事も、世の中には有るのである。
次回も宜しくお願いします。