第七話 れっつ・いーと・らびっと!
荷物は持った。引き返せない事は理解した。目指す場所は決まった。
ならば次に、何をすべきか。
まぁ、『目的地に向かって歩く』が正解な訳だが、論点はそこではない。
正確な時刻は時計が無いので不明。ただし、日の傾き加減からして夕方だろう。
ひたすらに世界樹に向けて森の中を歩くこと五時間。普段運動などしていないし、新たな肉体なので慣れるまで相当大変だろうと思っていたのだが、存外に馴染むのが早く、そして種族的補正なのか足場の悪い森を長時間歩いたにしては疲れていない。
いや、ただ単に興奮作用が働いていただけだったようだ。そう考えてみると、どっと疲れが湧いてくる。……というかそもそも、角があるデルタと耳が長いセントはともかく、ルナとセリアは普通の人間かも知れないので種族的補正云々など関係ないのだが。
しかし疲労度が問題なのではない。
確かに疲れが蓄積し、それを取り除けないのは拙い。が、今はそれ以上の問題点があった。
時間経過、いつも以上の運動、新たな環境での緊張。これだけの条件が揃えば、ソレは凶悪な牙を剥いてルナ達を襲うだろう。
時に疲労よりも生物を蝕み、命を奪っていく最悪の現象。戦争においても有効な戦術として利用され、秀吉がソレの補給路を封じて城を落とす事を得意とした。
人間の三大欲求を攻め、じわりじわりと嬲り殺す悪魔の所業。ソレを奪われた人間は、満たされない苦しみに昼夜襲われ続け、やがて干からびるように死に絶えるだろう。
そう、旅人が最も警戒しなければならない、その現象とは――。
「まぁつまり、何が言いたいかっていうと、お腹が空いたって事なんだけどね」
「普通に言いなさいよ」
セリアが呆れ顔でツッコんだ。
◆ ◆ ◆
と、いう訳で。
ルナ達は現在、食糧を探していた。
いや、完全に食べ物が無い訳ではない。あの家で入手した干し肉やドライフルーツは持っているし、水筒だって六本あるのだ、数日は持つ筈だった。
――筈、だったのだ。
「……あ~あ、デルタさんが落とさなければなぁ」
「ぐっ、いや仕方ないだろ! あんなおっかない奴に追い回されてる時に、重い荷物なんて持ってられっか!」
今から一時間ほど前の事である。
終わりの見えない森の中を順調(?)に進んでいたルナ達四人は、ある生物と遭遇した。
額に角が生えた茶色い兎。
その生物を一言で表すと、まさにその通りの容貌をしていた。
最初に一目見た時は、思わず「可愛い」と呟いてしまうほど愛くるしい姿だった。が、問題はその後、角兎がルナ達を発見してからである。
ニタリ、と笑ったのだ。舌なめずりして、鋭い牙を剥き、獰猛な赤い眼を爛々と輝かせて。
反射的にルナ達は逃げだしていた。そしてそれは、正しかった。
「あの角兎、どう考えても雑食よね」
セリアの呟きに、ルナはあの時の光景を思い出しながら頷く。
兎だから草食なのは理解できる。が、良く周囲に目を向けてみると、兎たちの周りに食い散らかされた肉片が散らばっていたのだ。つまりは、狩った動物を喰らっていたのである。
恐らく、というか確実に、人間も食べるだろう。恐ろしや、異世界の兎。
とまぁ、そんなこんなで森をひたすら逃げているうちに、身を軽くしようとしたデルタが荷物を投げ捨ててしまったのだ。皆の食糧やら水筒やらが入ったソレを、である。
お陰で食糧は女性陣が持っていたドライフルーツ二袋と、セントの袋に入れていた干し肉九つのみ。水筒は半分失い、三本だけになってしまった。
しかし、それだけなら問題はない。いや、問題ではあるが、とりあえず二日くらいならばギリギリ生き残る事ができた――のだが。
「うーん……でもまさか、干し肉があんなに不味いなんてね」
――そう、一番の問題は味覚だった。
しかしそれも当然だ。現代日本の発達した料理を日々口にしていたルナ達には、ゴムみたいに固く塩分過多のぱっさぱさ肉は口に合わなかった。ルナが懸念していた異世界転生食事問題に、見事引っかかったのである。
反対に、ドライフルーツは大丈夫だった。甘味は少々物足りなかったが、干し肉よりはかなりマシである。
けれどドライフルーツだけでは、燃費最悪の野郎どもは納得しなかった。
が、干し肉は食いたくない。しかし今ドライフルーツを食い切ってしまえば、数日以内に街に辿り着かなければ餓死するだろう。
ならばどうする?
答えは単純だった。
――狩れば良い、と。
「獲物は角兎! 狩られる前に狩っちまえ野郎どもぉぉおおお‼」
謎の鬨の声を上げて剣を抜き、角兎へと突撃するデルタ。先ほどまでの恐怖など全部、空腹を前に吹き飛んだようだ。
そんなこんなで急遽狩りをすることになった訳だが――。
「とりゃっ! おりゃ! せいっ――うぉぉぉああああ⁉ いった、めっちゃ痛い! くそっ、噛むな齧るなオレは飯じゃねぇぇぇえええええッ!」と無茶苦茶に剣を振り回しながら、獲物である角兎に噛み付かれているデルタ。
「きゃあっ⁉ 角、怖っ! こっちに来ないで嫌ぁぁあああああ――っ!」と獲物から逃げ惑うルナ。
「あい、らぶ、らびっと。そー、あい、きゃんと、きる、らびっと。おーけー?」と木の裏に隠れて狩りを拒否するセリア。
「うん、とりあえずみんな落ち着こう。すばしっこいのを相手にするのに、こっちが焦っていたら駄目だから」と苦笑しながら剣を振るうセント。一見、特に変わった様子も無く体を動かしているだけに見えるが、しかし一振り目で二体の兎の首が飛び、二振り目でデルタを齧っていた兎が真っ二つに両断され、三振り目でルナを追い回していた兎が串刺しにされていた。
「うおおお⁉ おまっ、強! なに、何なのその主人公力⁉」
「主人公力って何だい……?」
「物語の主人公の如く本番で謎の強さを発揮する力の事だ。因みにオレの主人公力は五十三万――」
デルタの戯言はさておき、セントの謎の戦闘能力によって、狩りは(アホのデルタを除いて)怪我も無く終了。何ともぐだぐだな初狩りだった。
ポケットに入れていた布切れで剣に付着した血を拭き取っているセントに、愛すべき兎をあっけなく殺されて顔が引き攣っているセリアが問い掛ける。
「……貴方、何でそんなに剣の扱いが上手いのよ?」
「主人公力は五十三まn」
「紳士の嗜みだよ。前世から鍛えられていてね」
「いや、フルパワーで一億二千まn」
「へぇ……って、何が紳士よ。貴方、前世女でしょうが」
やけに主人公力を強調してくるデルタを完全に無視して会話する二人。
というか前世で鍛えられているというのは、剣術道場にでも通っていたのだろうか、と推測するルナ。しかしセントは首を横に振って、
「いや、四島は一応、天道三大家・一条の分家だからね。武術関係とまじゅ……まぁ色々、鍛えられているんだよ」
「なるほど」
天道三大家とは、日本で絶大な勢力を誇る名門血統の事である。詳しい事は知らないが、まぁルナみたいな一般人でも知っている情報で彼らの事を表すならば、『超金持ち』で『凄い権力』を持っていて『機嫌を損ねたら人生終了』な人たちの事だ。世界で見ればあと二つ、同じくらいの勢力があるらしいが、まぁ今のルナ達にはもう関係のない事である。
「じゃあ、冒険者になって一番生き残る可能性が高いのは、セントさんって事ね」
セントの手によって皮を剥がれ肉を取り出されている兎が見ていられなくて、周囲の警戒をするふりをして目を逸らしているセリアが言った。
その様子にセントは苦笑しつつ、
「うーん、どうだろう。実は俺、前世では戦闘の才能が無かったから、微妙なんだよね」
「でも、何も無いよりは武術指導を受けた事が有る貴方の方が強いでしょう」
「その程度で生存率が変わるような世界でもないと思うけどね」
相変わらずこの二人は良く先の事を見通して話している。こういう後先考えて行動する人が生存率高いんだよね、と考えつつ、でも難しい事は苦手なので完全他力本願のルナ。同じく難しい事など分からない、というか気にしないデルタは、振り足りないのか剣を無茶苦茶に――本人は知りもしない型をなぞっているつもりで――振り回していた。
謎の剣舞を披露するデルタとそれを半眼で眺めるルナに苦笑を向けつつ、角兎の皮を剥ぎ、血を抜き、角を抉り、肉を取り出すセント。角と皮はさっと水で血を洗い流し、袋に入れて持っていく事にする。
異様に手慣れているセントのお陰で、辺りが暗くなる頃には焚火で肉を焼き始めていた。
「マジでサバイバルだな」
「当分はこんな生活になりそうね……早く街に行きたいわ」
男心が擽られるのかウキウキ気分のデルタに対し、セリアはブルーなようだ。森を歩き続けた疲労と、目の前で殺された愛すべき兎を食らうというショッキングな体験の所為だろう。
斯く言うルナもあまり気分の良いものではないが、しかし食欲には勝てなかった。
「じゅるり……兎肉って私、初めて食べるなぁ」
「できるならシチューにしたかったぜ。S級食材ラグーラビットってな」
さらりとネタを入れてくるデルタを無視して、それぞれ自分の兎肉に手を伸ばす。
串刺しにされ、こんがり良い感じに焼けている兎肉。ぱちぱちと火の粉が弾ける音と肉が焼ける良い匂いが五感を刺激し、思わず喉を鳴らす四人。
だが、誰もすぐに齧り付く事は出来なかった。
何故なら――。
「これ……中は大丈夫かしら?」
「異世界に来て死因が食中毒とか笑えねぇな。せめて魔物と戦って死のうぜ」
「アンタだけ死んでなさい」
「酷い⁉」
辛辣なセリアはさておき、気になったルナは肉を割って見てみる。
「うーん……まだちょっと赤い、かなぁ?」
兎は体が小さいので火が通り易いようだが、焚火の炎ではムラが有り過ぎてきちんと焼き切れていなかったようだ。IHが恋しい。いや、この際ガスコンロでも良い。
無いものねだりをしても仕方ないので、もう一度焚火に兎肉を近づける。
ぐるぐる回しながら肉を焼き、BGMに合わせてボタンを押して肉を取り上げるあのハンティングゲームの曲を歌い出すデルタ。それに苦笑しつつ、ノリが良いのかセントも同じように串に刺した肉を回していた。
呆れるルナとセリアは、顔を見合わせ、どちらともなく笑いだす。
異世界最初の夜。そして、異世界最初の狩りで手に入れた、夕飯。
それを、焚火を囲んで、同郷の仲間と笑い合い、過ごす。心地良くて、楽しくて、これからもこんな時間を皆で過ごせたらな――なんて、柄にもなくセンチメンタルな事を考えて。
――そんな時の事だった。
グルルルルルルゥゥゥゥ……という地の底から響くような音が聞こえて、四人が振り向いたその先には。
赤い眼を夜闇の中で妖しく光らせる狼が、ルナ達を――獲物として、見据えていた。
憧れの携帯食、干し肉登場! かーらーの、不味いと大批判!
この世界の技術力で作られた干し肉は、元日本人のルナ達には美味しく感じられなかったようです。……仕方ないかな。
次回も宜しくお願いします。