第四話 諦めも肝心である
「ななななんではだっ、裸なの⁉ いやぁぁああっ! 変態! 痴漢! ケダモノぉぉおお‼」
「ちょっと待て、変態とは聞き捨てならないね。それに俺は痴漢では……いや、痴漢? 漢⁉ そうだ、俺はもう男なんだ! だから痴漢だよ! うん!」
「なにアホなこと言ってるの⁉ というか早く服着てよぉぉおおお――っ!」
「へぶしっ!」
祐希が投げた柔らかくない枕が、痴漢と呼ばれて喜ぶ新手の変態の顔面にヒット。中に石でも入っているのかと疑いたくなる安物枕の攻撃力は想像以上に高く、少女の筋力でも十分な有効打を与えられたようで、痴漢は後方へと倒れた。
しかしまだ勝鬨を上げるには早い。祐希はベッドの隣にあった小さな椅子を持ち上げると、痴漢へと勢いよく振り下ろす。
「天誅ッ!」
「いや待て待て待て! それは真面目にシャレにならないから!」
ドガッ! と床に打ち付けられる椅子。惜しい、外したようだ。
「次は、外さない……」
「だから待てって⁉」
「問答無用!」
連発する鈍器の攻撃。当たれば無事では済まないが、想定外の事態の連続に気が動転している祐希は滅茶苦茶に椅子を振り回し、目の前の痴漢を打ち倒す事しか考えられなくなっていた。
「いやっ! せいっ! はうあっ!」
「だっ、かっ、らっ! 待てい!」
ガヅンッ! と、痴漢が拳を振るい、祐希の手から椅子を叩き落としてしまう。
「きゃっ」
勢い余って体勢を崩してしまう祐希。敵を打ち倒す為に鈍器を振るっていたので、重心は必然的に前へと傾き、そのまま倒れ込んでしまう。
「ぐおっ」
頭は打っていない。けれど、肘や胸が床ではない何かにぶつかった気がした。
柔らかい何か。けれどそれは自分の柔肌のようなモチモチぷるぷるのそれではなく、筋肉で硬くなった男らしい肉付きの肌だ。スリムな体型に対して思ったより筋肉質というかなんというか、所謂細マッチョな肉体。それが、祐希の体と密着している。
つまりは、
「…………」
「…………」
祐希は、散々痴漢と罵った男性を下敷きにしていた。
肌と肌が触れる。布越しに伝わる体温が熱い、けれどそれ以上に顔に熱が集まってくる。
硬直ともとれる沈黙。時間にして数秒の停止は、二人にとっては数分にも感じられた。
――そして、なんとまぁ間の悪い事で。
「……え。目覚めて早々、ナニしてるの?」
いつの間に現れた銀髪の少女が、客観的に見れば少女が青年を押し倒している現状に、顔を引き攣らせていた。
◆ ◆ ◆
場所は変わってリビングルーム。
祐希が目覚めた場所――どうやら寝室だったらしい――での出来事は丸くは収まらなかったが、とりあえず現状の確認の為に一階の一番広い部屋へと集まった。
メンバーは赤髪金瞳の美少女こと祐希、痴漢と呼ばれて喜ぶ緑髪翠眼の変態イケメン、ショッキングな場面に鉢合わせてしまった銀髪赤眼の美少女、このリビングルームに一番最初に来てハイテンションのあまり謎の踊りを披露していた橙髪紫眼の変人イケメンの四人だ。恐らく――というか確実に、試作用転生トラックに轢かれた人間である。
「……それじゃ、まず自己紹介から始めましょうか」
テーブルやらソファやら紅茶やら、一通り落ち着ける状況を整えた銀髪の少女が切り出した。
「あ……と、その前に一応確認だけど、皆、転生トラックに轢かれた人たち……で、あっているわよね?」
「試作用だけどね。あっているよ」
律儀に訂正して答える緑髪の変態。リビングに来る前に自分が目覚めた部屋から服を持ってきたようで、その逞しい肉体は麻の布に隠されている。
彼に続き、橙色の髪のイケメンと祐希も頷き肯定を示した。
銀髪の少女が確認を取ったのも無理ないだろう。四人とも、一目見ただけでは分からないほどに姿形が変わっているのだから。祐希なんて、性別すら変わっているのだし。
「よし。えっと……じゃあ、あたしから始めるわね」
「いや待てっ! トップバッターは大事だから俺にやらせてくれ!」
いきなり口を挟んできたのは橙の髪のイケメン。異世界に来て滅茶苦茶ハイテンションになっているところを見るに、前世は男装の麗人とハーレムについて盛り上がったり騒いで女神に蹴り飛ばされたりしていたスーツの男だろうかと祐希は予想する。
そしてその予想は正しかったようだ。彼は興奮気味に自己紹介を始める。
「オレの名は……よし、二度目の人生では、デルタと名乗る事にする! 前世では四島コーポレーションで働く……これからバリバリやって輝かしい未来を手にする筈だった男、国木田三角だ! 今世ではハーレムを築く事を目標にするから、よろしくな!」
こちらにギラギラした視線を向けてくるが努めて無視しておく。祐希にはBLの趣味はない……いや、この姿だと男と結ばれるのがノーマルだから、なにも異常ではないのか……。
国木田三角、改めデルタは、蛍光色に近い橙の髪を短く切り揃えた、若干ゴツイ印象のあるイケメンだ。身長は恐らくだが百八十センチはあるかも知れない。瞳の色は紫で、何より特徴的なのはその頭部に聳え立つ二本の角――恐らく、彼の種族を表すモノだろう。流石異世界転生、異種族になるとは驚きである。
因みに、彼の話に出てきた四島コーポレーションとは、祐希が住んでいた地域では有名な中~大規模の企業の名前だ。そこに入社したてで未来に期待を懐いていた時に死んだとは、本人は相当ショックなのだろう。……今は異世界転生してはっちゃけているが。
「名前、変えるのかい?」
緑髪の変態の問いかけに、デルタはにやりと笑った。
「ああ! なんたって、二度目の人生だからな! ……それに、この姿じゃあもう、前世と同じ名前なんか使えねぇよ。色も体格も声も、中身以外の何もかもが違い過ぎるからな」
地球でもここ四、五十年で多彩な髪や目の色が増えていたが、そのにぎやかな色彩とも今の色は違う。身長や体重だって随分変わっているし、中には性別すら変わってしまった者もいるのだ。デルタの言う通り、前世と同一人物とはとても言い辛く、同じ名前を使う方がどこか不自然に感じた。
デルタの言葉に、緑髪の変態は「ふむ」と頷いて、
「……一理あるな。ならば俺は、今世ではセント、と名乗ろう」
「へぇ。その心は?」
「なんか神聖な感じがするから」
……良く分からない理由だった。一生使うというのに、そんな理由で良いのだろうか。
が、しかし、男二人は気に入ったようで、
「そうだな、確かにホーリーでセイクリッドな感じがするな!」
「だろう? ホーリーもセイクリッドも同じ意味だから被っているけれど、確かにそんな感じがするね。これからこの名前で女の子に呼ばれるのが楽しみだよ」
そしてこいつの行動基準は女の子らしい。ブレない、というかもはや病気の域か。
嬉しそうに口元を緩ませる緑髪の変態――セントは、デルタと同じように前世の事を語り出す。――それは、本人が気楽に言ったのとは正反対に、驚くべきものだった。
「前世は女の子が大好きで、可愛い子を愛でる事に生きる意義を見出していた女、四島奈子だ。今世は男になれて、本当に嬉しいよ」
――前世は女、と彼は言った。
「え、女……って、まさか性転換⁉」
「ああ、あの時ナンパしていた人だったのね……」
緑髪の変態、改めセントのまさかのカミングアウトに騒然とする祐希と銀髪の少女。そんな中、デルタは別な事で驚いていた。
「いや待て四島で女⁉ ちょ、まさか社長令嬢か⁉」
「ん、まぁそういう事になるね」
「ファッ⁉ マジかよオイオイ、お嬢様かよお前⁉」
彼が名乗った前世の苗字、それはデルタが前世で入社した企業を取り仕切るトップの家系――四島だ。つまり彼は、前世でイイトコのお嬢様でありながら、男装して街中で女の子をナンパしていたという……なんというか本当に、残念な美人だったらしい。
三人の呆れたような視線を浴びながら、それでも男になれた事を心底喜んでいるセントは、朗らかな笑顔で話を続ける。
「せっかく男になれたんだ、女では出来なかったやり方で可愛い女の子たちを愛でる事に生涯を捧げるよ」
「いっそ清々しいなお前! よっしゃ! 一緒にハーレム目指そうぜ!」
自身の就職した会社の(元)社長令嬢相手にハーレムを作ろうなどと馬鹿な話が出来るデルタは、ある意味尊敬に値する。いや、祐希は全く尊敬する気は無いが。
男装していた前世もセントは相当イケメンだったが、今世も元男の祐希でも見惚れるほど美しく整った青年だ。肩にかかる程度の緑色の髪に、エメラルドの如き瞳、更に長く尖った特徴的な耳は、自然の寵愛を得たエルフを思わせる。――いや、実際、彼の種族はそうなのかも知れない。
とりあえず、ハーレムで盛り上がる馬鹿どもは放っておいて、次は銀髪の少女が口を開いた。
「あたしは……うーん……そうね、セリアと名乗る事にするわ」
「何故に? 銀髪なんだし、禁書な目録の完全記憶能力持ちの子とかどうだ?」
「オンラインゲームで使っていたキャラクターの名前よ。というか、禁書な目録の銀髪シスターは普段から呼ばれるにはちょっと違和感がある名前だから止めておくわ。……えっと、前世は白水高校に通っていた特筆すべき事も無い女子高生、姉ヶ崎麻由里よ。家事とかは一通り出来るから、そこら辺は任せて貰っても構わないわ。宜しく」
「おお! 女子高生で家事OKか、ポイント高いぞセリア!」
「……いちいち五月蠅いわねデルタさん。なによ、三角だからΔなんて安易なネーミングの癖に」
セリアがぼそりと呟いた文句は、幸いデルタには届かなかったようだ。聞こえていたら確実に喧嘩に発展していた気がする。
セリアは、光りを受けて仄かに輝く銀髪をセミロングに整え、ルビーの如き瞳を持つ美少女だ。若干釣り目気味だが、それも相まって神秘的かつ棘のある薔薇のような雰囲気を纏っている。少し近寄り難いタイプの容姿だ。デルタやセントと違い、一般的な人間との――この世界の人間がどのような姿を基本としているのかはまだ知らないが、前世の人間と比べて――明確な違いはない。
さて、いよいよ最後の一人、祐希に全員の視線が集まってくる。祐希は前世よりかなり長い深紅の髪を指でくるくると弄る事で緊張を和らげつつ、口を開く。
「ええと、今世では…………」
特に考えていなかった祐希は言葉に詰まる。
そんなに簡単に名前など思いつかない。それに、これから一生使っていく大事なものなのだ、即決出来る訳が無かった。
その様子に気付いたセリアが祐希の横に並び、そっと抱くようにして体を近づけてくる。セリアはそのまま耳元に唇を近づけ、息が掛かるか掛からないかという位置で、
「名前が決められないの?」
「っ⁉ ちょ、近いんですが⁉」
――今になって祐希は思い出した。この少女、祐希が男装した奈子にナンパされていた時、奈子の「女が女の子を好きで何が悪い⁉」という発言に密かに頷いていた百合っ気のあった子だ。
身の危険を感じてセリアの腕から緊急脱出を図ると、先ほどまで腰かけていたソファーを盾にしつつ、彼女の言葉に答えを返す。
「え、えっと……そうですね、決められていません」
警戒心剝き出しプラス他人向け丁寧口調の祐希に、「あちゃあ、初っ端からやり過ぎたかしら」と苦笑するセリア。そんな彼女に代わって、セントが口を挟む。
「なら、君の名前は俺達も考えてみよう。参考までに、前世の名前を聞かせてくれないかな?」
「あ、はい……文月祐希です」
素直に答える祐希。正直、自分一人で考えても思いつきそうになかったので、渡りに船だ。
「ふむ……文月祐希…………無難にユキとかかな?」
「ミィとかツッキーとかユウとかはどうだ?」
「デルタさん、センス無いわね」
容赦ないセリアの言葉に、デルタは薄く青筋を立て、
「なにおう……⁉ ならお前、カッコイイ名前つけてみろよ!」
「女の子なんだから可愛い名前でしょ。……そうねぇ」
『可愛い名前』のところに人知れずダメージを受けている祐希を置いて、セリアは思いついた名を上げる。
「ルナ、とかどうかしら? 苗字に入っている月の部分からとったのだけれど」
どう、とか言われても、全体的に女の子の名前な事に変わりはないので却下したい祐希。だがしかし、彼女たちの考える基準は『可愛い』だそうで、男の子ネームは一向に現れそうになかった。
「キャロライン! フランベシカ! エリザベス!」
「どこから来たのよそれ⁉ もう原型が無いじゃない!」
「そもそも似せる必要なんてねぇだろ! アリスとかオリヴィアとかアントワネットとかどうだ?」
「何でもかんでも有名な名前を使えば良いって問題じゃないのよ。……そうね、赤髪だからアンとかどうかしら?」
「お前も有名どころじゃねーかッ‼」
「…………あのですね、もっと、こう……格好良い名前を……」
祐希の細々とした主張は、案の定論議する二人の声によって掻き消されてしまう。
「ルーシー! テレサ! いや、セーラも外せないな!」
「『セ』から始まる人が多すぎるから駄目よ。だから、アイリスとかどうかしら?」
「まて、赤髪だろ? 灼眼じゃないのが問題だが、シャn」
「言わせないわよ」
「……だから、もっと男の子っぽい名前を……じゃないと心が折れる……」
「じゃあもう、間を取ってメアリーだな」
「どこをどう取ったらそうなるのよ⁉」
「リアス!」
「リナ!」
「アカリ!」
「リンゴ!」
「マリアローズ!」
「エルザ!」
「ミコリn」
「いい加減人の話を聞けッ‼」
「「…………はい」」
キレた祐希の一喝に、縮こまって小さく返事を返すセリアとデルタ。
途中から完全に二人の言い合いになっていただけで、真面目に名前が考えられていたかは微妙なところだ。というか後半、何かしらのアニメやらライトノベルやらの赤髪キャラの名前を出していっただけではなかろうか。
肩を怒らせる赤髪美少女の図に、セリアとデルタはオロオロするばかり。
そんな中、途中から論議に参加していなかったセントが、名案を思いついたとでも言いたげな表情をして指を鳴らした。
「うん、ルナが一番良いと思うよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「ん? あれ? どうしたんだい皆、そんな無表情で押し黙って」
表情が抜け落ちた状態での沈黙が流れる。一人、セントだけ状況が分からずきょろきょろと忙しなく顔を動かしていた。
「……うん。もう、それでイイデスヨ……」
人生、諦めも重要なのだ。
この場合、今までの話し合いは完全に水泡に帰すのだが。
結局、祐希の今世での名前は、ルナで決定した。まる。
次回も宜しくお願いします。